学校で兎を飼いはじめた。校舎の横に50センチくらいに区切った檻が作られ、生徒たちは餌にする草を順番に持っていくようにいわれて朝の登校時に抜いた草の束を兎の檻に放り込む。いろんな草が放り込まれたが、わたしは兎が喜んで食べるチチグサを選んで摘んでいった。細い茎を折るとミルクのような白い液が出る。ある日上級生に「毎日チチグサ持ってくるのはくみこさんけ」と聞かれた。「そうづら」とこの頃は山梨弁で返事したなあ。あの兎たちはどうなったろう。学校の先生たちが食べたのかもな。
叔母さんの家では飼ってなかったが、裏に住むいとこの家では兎と鶏を飼っていた。
ある日、息子に召集令状が届いて戦争に行くことになった。明日の朝は出征という日は「今日はご馳走だぞ、鶏を一羽絞めるから」とそこの父親がいって、鶏一羽を使った汁の大鍋が供された。わたしも丼一杯食べさせてもらった。
鳥鍋を食べ、そこの息子はみんなが寄せ書きした日の丸の旗を鉢巻にして、数人の村人に送られてどこかに出征していった。そのころは田舎の侘しい出征風景が男子のいる家で見られたが、いつのまにか成人男子が村にいなくなった。
次の年の正月は兎の汁がご馳走だった。わたしが採ってきて食べさせたチチグサを食べた兎の汁だからうまかったよ。叔父さんたちは兎の締め方の自慢話をしていたっけ。可哀想とか思うよりも腹が減っていたからうまかった。