母の手伝い(わたしの戦争体験記 35)

5年生の一学期中に狭い納屋に母親を中心に一家4人で住みはじめた。毎日学校から帰ると叔母の家の井戸から水を汲んできて大きな陶器のかめに入れておく。その水で母が炊事をするのだった、食器洗いと洗濯と洗顔は横を流れている小川でやった。川の水は1メートル流れるときれいになるのだと家主さんがいった。たしかにきれいだったがうちしか使ってないし。

母は小さな畑を借りて野菜を作りはじめた。お米のほかの食べ物はここの作物で間に合わせたが、たまにいとこが食べ物を土間に放り込んでくれた。

近所の神社に行って杉の木の葉っぱの乾いたのを拾ってきて焚き付けにした。地元の子はそんなことをしないから見られるとちょっと恥ずかしかった。少し歩くと大きめの川が流れていて、秋になると川床に草が伸びたまま乾燥しているのを折ってきてかまどで燃やすのに使った。弟妹が幼いので、母の手助けはわたしの仕事だった。

母は田植えや草取りを手伝いに行っていくらかの現金またはお米をもらってきた。たまに大阪から闇で手に入れた砂糖など送ってくると、それはうちでは食べずに米と交換されるのだった。空襲の前に衣服を疎開させてあったのは順繰りに食べ物に代わっていった。