エースのジョーにしびれた60年安保のころ

今日1月21日に宍戸錠さんが亡くなられた。小林旭さんの奥様が亡くなられたばかりだしとてもさびしい。

出演映画の一覧表を見ていたら『銀座旋風児』のシリーズ名がたくさんあった。懐かしい。エースのジョーを初めて見たのはどの「旋風児」だったかな。すっごくおもしろく見たのを思い出す。あまりにもアホらしくて同行のSちゃんは「帰る」と腰を上げた。その手を引っ張って「もうちょっと」と座らせ、わたしはジョーを満喫した。「くみちゃんてもうちょっとインテリかと思ってた」といわれながら(笑)。
小林旭がスクリーンに派手に出てくるとジョーは敵役や相手役で出てきて、ふくらんだほっぺたがその場を支配した。わたしはジョーの笑顔が大好きだった。

そのころ、わたしは阪神電車の千船駅近くの小さな会社で事務員として働いており、仕事が終わると梅田へ出てコーラスや学習会や講演会や映画に行き、友達と会ってしゃべり、お好み焼きを食べ、カクテルを飲みにバーへいった。
60年安保の時期が近づき安保反対のデモがしばしばあった。わたしは労働組合に所属してなかったけど、友達の会社の労組のデモに参加させてもらってデモった。個人でデモに参加するのは困難な時代だった。「デモる青春、ジャズる青春」の言葉通りデモとジャズに明け暮れジョーのほっぺたに惚れて、アキラの笑顔に魅せられていた。

Sちゃんの父上が日活の株を持っていて入場券が届くとくれたので、梅田日活へしょっちゅう行っていた。帰りはすぐそばのお好み焼き屋でお好み焼きと焼きそばを食べた。お好み焼きにマヨネーズをつける食べ方のはしりだったと思う。そのあとカクテルバーに行って、お気に入りのバーテンダーのいるテーブルでカクテルをたのんだ。新作の「白雪」なんて名のカクテルがあったっけ(笑)。