〈冬ウツ〉から脱け出して捕物帳を読む

寒さ疲れで〈冬ウツ〉だと言ってるひとがいると、昨日の日記にミクシィでコメントしてくれた。そうね、わたしの〈なんとなくもの憂い〉も〈冬ウツ〉かもしれないと返事をしたら他にも自分もそうだというかたがおられた。〈なんとなく〉の正体がわかったから納得できて元気に(笑)。今日はよく家事をがんばった。エライエライと自分をほめる。

元気になったし今夜はエドワード・D・ホック「サイモン・アークの事件簿 V 」を読み終えたので感想を書くつもりだったが、選挙のこととかネットの書き込みに引っ張られるので明日にする。
ネットの合間に青空文庫で、林不忘「釘抜藤吉捕物覚書 のの字の刀痕」を読んでいるが、非常におもしろい。通りがかった家の前で勘次は「何だ、喧嘩か、勘弁ならねえ」と格子戸の前に立った。「勘弁ならねえ」というのが口癖で勘弁勘次というあだ名がついている。その家で血だらけの死体を見て、様子を見聞きした勘次は釘抜藤吉親分のところへまっしぐら。【秋の末、利鎌(とがま)のような月影が大川端の水面(みなも)に冴えて、河岸の柳も筑波颪に斜めに靡(なび)くころ】なんて美文にころりとまいってしまう。