冬瓜食べたよ

八百屋さんにいただいた冬瓜、「置いといて冬になってから食べよう、せっかく冬の瓜なんやから」とわたし。相方は「せっかくの貰い物だから食べて美味しかったと礼をいいたい」そうで。料理するのはわたしでないのでおまかせしたら、今夜の食卓に出てきた。昨夜クラブで飲んだらしく晩酌はなし。

今日の献立は、ご飯、揚げと菜っ葉の味噌汁、トリのミンチと薄切りの冬瓜を薄口醤油で煮てあんかけにしたのが主菜。トマトと青唐辛子のサラダ、玉ねぎのオイル漬け、納豆、番茶。質素だけど皿数が多かった。
冬瓜は思ったよりずっとうまかった。ミンチ肉のダシが今風の味を出していたし、ほんわかしたあんかけの食感もよかった。

最近、水曜日に淀屋橋の野菜の市で買ってくるトマトがむちゃくちゃうまい。ちょっと高いけど、野菜、米、お茶、お菓子と食べることが体をいたわっている感じがして、ちょっと贅沢やけどといいながら食べている。
冬瓜も体をいたわっている感じがして、うまさプラス体に良いと思った。
人生初冬瓜、うまかった。

家族の呼び方はアメリカ式

わたしの父親は若い時に浅草で働いていたそうで、東京に住んでいるときは浅草をぶらつくのが大好きだった。「お前を抱いてミミー宮島の踊りを見たんだぞ」と子供のときに聞かされた。3・4歳のときのことである。聞かされた歌は「ダイナ、わたしの恋人〜、胸に抱くはうるわしき姿〜」というんだった。そういう実演とアメリカ映画の影響が我が家では子供達にも浸透していた。「本を読んでも兄や姉のことを兄さん姉さんと呼ばないだろ。名前を呼んでいる。うちも名前で呼ぼう」と父がいったそうな。長女はねえちゃんでなくて和ちゃん、次女武ちゃん、長男みっちゃん、次男勝ちゃん、三女久美ちゃん、三男よっちゃん、四女せっちゃん。父母も子供達を名前で呼ぶようにした。わたしは「くみちゃん」と呼ばれた。母は父の文化的な面を尊敬していたので否応なく笑って従った。

4年生になったころ『若草物語』を読んで、名前で呼びあっているところをうちと同じやと納得。世の中は大東亜戦争真っただなかというのに、我が家は敵のアメリカ式なのであった。よそでいうなよといわれました(笑)。
さすがにパパママとはいわされなかった。ずうーっとおとうちゃん、おかあちゃんと呼んでいた。あれ、なんでやろ。

人生最高の暑さ

今日は暑かった。人生の最高の暑さかと思った。尊いような暑さ(笑)。大阪は37度。
ひょっとしたら山梨県へ疎開しているときにもっと暑い日があったかもしれない。山梨は甲府盆地だから気温が高い。3回すごした夏も毎日暑かった。田舎の暑さと都会の暑さは比べられないが、いまの大阪よりもマシだった。建物や道路の照り返しとかないし、クーラーの熱気もないし。少し山に入ると冷たい水が湧く泉がある。そこでお腹を下にして横たわり手ですくって水を飲む。うまかったなあ。
叔母の家はいまは市に変わっているが。当時は後屋敷村字清水というところだった。あちこちで清水が湧くからだと聞いた。ほんまに石の間から冷たい清水が湧いていていくらでも飲めた。もう大型道路とかできてあんな秘密めいた場所は残ってないだろうな。

いやいやもう、今日は暑かった。結局外にはよう出ず家にこもっていてベランダへ洗濯物の世話に出ただけだった。
冬物のカーテンが残っている窓がひとつあったので、すだれと夏物カーテンを重ねて吊るした。部屋の仕切りのドアを外して、いままでカーテンをかけていたのを「方丈記」やなあといいつつすだれを吊るした。

こめかみに湿布

膝痛用の湿布を貼っていてはっと気がついた。これこめかみに貼ったらどうやろ? 時代劇で古女房が貼っているやつ。紫色の布を巻いてたらしているお殿様もいたっけ。
ということで膝用の湿布の隅を2センチ角に切って貼ってみた。なかなかいい感じである。鏡をのぞいたら日焼けして黒い顔のこめかみに白い湿布の裏側が見える。ええやん。見せる人もなし。
と思っていたら、「なにしてるねん」と相棒が聞いた。時代劇で云々と説明したら「おれも貼ってみよ」というので湿布を切って渡した。二人で貼って仲良しさん(笑)。

昨日つるかめ整体院で「目が疲れてますね。本の読み過ぎですか」と右のこめかみをマッサージしてくれた。それで字が細かい本を読んでいると本の説明をして「拡大鏡もあるけど右手に持つと重いねん」といった。次は拡大鏡についてしゃべったので、こめかみの話はそれでおしまいになった。
でも、会話を覚えていたから湿布と結びついて、時代劇の古女房の発想となった。いまも貼ってある湿布は効いているように思う。もうちょっとしたら貼り替えようかな。

猛暑!!

梅雨が明けてから毎日暑い日が続いている。今日は特別に暑かった。洗濯ものを干してから、汗をだらだら流しながら朝昼兼用ご飯を食べた。熱いスープでよけいに暑い。暑さと食欲が関係ないのがわれわれである。お昼までクーラーなし。さすがに午後からつけた。クーラーつけたら涼しいのう。

3時につるかめ整体院に行ってからだのケアをしてもらったが、目の周りの筋肉がすごく疲れているといわれた。理由はわかっている。目の使い過ぎ。木村二郎さんのジョー・ヴェニスものが載っている『ミステリマガジン』9月号を昨夜読んだせいだ。まだ読み切っておらず、片付けがすんだら読む予定。
高齢者なのだからもうちょっと自分のからだを労らなくてはと思うが、興味にまかせて本とパソコンに向かってしまう。興味があるということが若く見える秘訣なり(笑)。でも、最近はそうもいってられない。そもそも、長く歩けないんだからどうしようもない。いつまでも亭主の厄介になるのもなあと思うんだが、こっちが厄介をかけられていたこともあるんやと思い直して居直っている。

新しいTシャツ、買ったばかりの夏帽子、お気に入りの肩掛けバッグで暑い日差しの中のお出かけ。機嫌よく、愛想よく。

とうがん、食べてみるかな

昨日、買い物から帰った相方のデイバッグからスイカが出てきたのを見て「うまそう!」と口から出た。その横に無骨な冬瓜があったから「これもこうたん?」と聞いた。「いや、もろたんや」。もらったのならよかった。買ってまで食べたくない。つぎに「これ食べるん?」とは我ながらこれいかに。冬瓜は食べるものやんか。

実はわたしは冬瓜を自分から食べたことがない。子供のころ母親はよく今頃の季節になると、炊いたり汁にしたりしていて、いま食べると秋冬の体のためにいいんやでといっていた。それでも食べるフリだけしていたわたし。
昨日ちょっと気になって「冬瓜」を検索したら、いまの時期に採れた瓜が冬まで置いといてもうまく食べられるから冬瓜というと書いてあった。そうなんや、知らんかった。
うちの冬瓜、このまま置いといて冬になったら食べよな。

今日のおやつはスイカ

今年は果物をよく食べている。果物はだいたいにおいて高価だから我が家の食生活にはほとんど入っていなかった。先日友達への病気見舞いにさくらんぼ、びわ、いちごを少しずつセットしてあげたが、自分ではもったいなくて食べていない。いちじくが好きだけど、高いからしょっちゅうというわけにはいかない。輸入物のいちじくジャムが目下のお気に入りである。

果物をもっと食べなくちゃというのが最近の我が家の食生活見直しで決まった。それでバナナ、リンゴをご飯前に食べることもあるが、茹でたケールといっしょに砕いてスムージーをつくって飲むことが多い。
果物でないがトマト、無農薬野菜の八百屋さんが持ってくるマクワウリが最近のおやつで好評だった。
今日のおやつはスイカ。うちとしては大きめのスイカをまるごと冷やして、午後に二人で4分の1を食べた。あと4分の3個残っているのは明日の楽しみ。

低気圧女子

今年は特にひどかったと思うが、6ー7月の湿度の高い日は体調が悪かった。膝と腰が重苦しくて、サポーターつけたり湿布を貼ったり対策に苦労した。腹巻をつけた日もあった。調子がいい日は天気の良い日で、湿布不要でサポーターも外して大丈夫なのだ。

昨日の夜ネットの軽い記事を読んでいたら「低気圧病」というのがあってなるほどだった。女子に多いそうで「ああ、わたしもこれやった」と納得した。
昔はおばあちゃんが「今日は肘が痛いから雨になる」とかいってて、そんなものかと聞き流していたが、これだったんやな。
記事には、気圧の低下により自律神経に乱れがでる、対策は両耳のマッサージが有効と出ていた。お茶飲みながらゆっくりやればいいね。耳たぶさわっていたら落ち着くし。ぬるいお風呂もいいって。

今日は高温だが我が家は風が吹き抜けていい気分。『方丈記』でいうところの夏向きの家だと毎年思う。その代わりに冬は寒くてガス代の支払いに苦労している。

台風6号が過ぎた

昨夜は台風6号の影響で大雨になるかもしれないと寝る時に洗濯物を取り入れた。カーテンはおおかた乾いていたが、一応室内にかけ今日の午後まで空気にさらしてから片付けた。間の悪い時に大物を洗ったもので一手間余分にかかった。
そのあとに通常の洗濯物2日分を洗ったからいっぱい干してある。さて、今夜はこのまま寝てしまっていいのだろうか。やっぱり取り入れて室内干しかなあ。

相方が昨日出かけたとき本屋に寄りこの間から話題にしていた『脊柱管狭窄症自力克服大全』(わかさ出版「わかさ夢ムック」)を買ってきてくれた。ほんまに自力で脱出したいので真面目にがんばろ。

留守番のわたしのほうはアマゾンで昨夜注文した木村二郎さんが「ジロリンタン通信」で薦めていた『ミステリマガジン』9月号が今日届いた。木村さんの「ジョー・ヴェニスものの新作「厄介な古傷」が載っている。三段組で字が細かくて虫眼鏡がいりそうだが、内容に惹かれて読み続けられたらいいな。休みながら、ストレッチを間に入れながら読む。

ウーパールーパーちゃんさようなら

「ウーパールーパーちゃんこんにちは」と書いたのは去年2018年10月3日。その後も月に一度は顔を見に行っていた。水の中にいても、わたしのことをわかっているみたいで、水槽の向こうのほうにいても、わたしが声をかけたほうに場所を変えて水の中に浮かんでいる。顔を見るとウーパーちゃんも見ているのがわかる。なんやかやと声をかけるとたまに激しく動いてくれる。そんなことを毎月していたが今年の春ごろ「この子、どうも体調がすぐれないんですわ」と飼い主がいうようになった。元気がなくて浮いているだけですわというので、こんちはと声をかけると、目を向けてはくれたが悲しげである。

今日行ったら、昨日の朝水槽を見たらお腹を上にして浮いてましたとのこと。
一人で寂しく夜のうちに逝ってしまったのだろうか。朝日が窓越しにさすのを見ただろうか。おとといきとけばよかったとかいろいろ気になる。飼い主さんが落ち込んでいるのも慰めねばいけないと思いつつ、いっしょに嘆いていた。代わりになにか飼いますわといってたけど、わたしのウーパールーパーちゃんはあの子だけ。