ミシェル・ゴンドリー監督『ムード・インディゴ うたかたの日々』

ボリス・ヴィアンの小説『日々の泡』の翻訳(曽根元吉訳、新潮社)が1970年に刊行されたとき読んだ。哀しく美しい恋愛小説にこころを揺さぶられた。44年前のことだ。それ以来読んでいなかった。読むと哀しいから読みたくならなかったのだ。

ミシェル・ゴンドリー監督『ムード・インディゴ うたかたの日々』は、ボリス・ヴィアンが感じて書いた物語を映像にして見せてくれて絶妙だ。
モノがそれぞれ生きていて暴れたり落ち着いたりしている。いろいろな人間が描かれる。わたしはなかでもジャン=ソル・パルトル(ジャン=ポール・サルトル)を表現するやりかたにイかれた。
1966年東京で元気なサルトルを見たことのあるわたしとしては、もう喝采するしかない。

そして、ロマン・デュリスとオドレイ・トトゥが恋人たちを演じて素晴らしい。その他の若い人たちもそれぞれ生きていて、語り、踊り、歌っている。
久しぶりに見た映画にこころ揺さぶられた。2013年のフランス映画。

1978年の The B-52’s ライブ

ミクシィの日記にマイミクさんがThe B-52’s のライブの動画をアップしていた。B-52、久しぶりやなあ。懐かしいなあ、あたしの40歳ごろのお気に入りだったっけ。
四ツ橋のカフェバー パームスで仲良し(といっても20歳年下)のめぐちゃんと遊んでいると、しょっちゅうモニターにB-52のライブ映像が流れていた。大阪爆撃でB-29に家を焼かれた身としては、B-52というネーミングが気に入っていた。当時は映像があまりないらしくよく同じものが流れていた。

そのB-52が京都でライブすると知って、めぐちゃんを誘ったら都合が悪いそうなので、わたし一人で勇気を出して行くことにした。
もう記憶がないが、当時流行っていたライブハウス磔磔(たくたく)ともう一店のどっちかで、四条に近かったと記憶している。検索したら1978年11月来日と書いてあった。そうだ、11月だから薄手のコートを着ていったんだと思い出した。

ライブで踊ったのは初めてだった。コートとバッグを隅っこに置いて、真ん中へんのちょと高くなったところのグループにくっついて踊った。ライブ映像を思い出して心臓強く(笑)。まわりは背の高いかっこいい女子ばっかり。若い知り合いが来ていて見てたんだって。終わってから「ようおどってはりましたね」と「お歳なのに」を省略して嫌味っぽくいわれたがなんのその、元気をもらって帰った。

『どしゃ降り』は49年前の映画

今日はずいぶん雨が降った。土砂降りっていうのはこのことかと改めて思ったくらいのどしゃ降りだった。こんな日に雨に濡れずに家にいられてなんて運がいいんだろとしみじみ思った。仕事をしているときは配達や御用聞きで外に出ることが多く、雨の日は大変だった。いまは「よう降るなあ」といいながら外を眺めている。この境地にくるまでよう働いたからこれがある。

どしゃ降りという言葉で、昔梅雨時に見た『どしゃ降り』という映画を思い出した。新世界の映画館で見て外に出たらどしゃ降りだった。雨の中を地下鉄の駅まで走って帰った。いまちょっと検索したら1970年の作品だ。49年前? びっくりするなあ、もう。そういえば、そのころは岸の里の文化住宅に住んでいた。映画を見て帰りどしゃ降りのなかでさっき見た映画の話をしてたら気色悪くなったっけ。
モーリス・ロネとロミー・シュナイダーの顔はよく覚えている。ふたりともすごく好きだったからどしゃ降りの中を新世界まで行ったんや。

図書館のホールギャラリーで文楽の展示を見て

昨日は投票の帰り久しぶりに中央図書館に行った。図書館に入るのはほんとに久しぶり。
エントランスホールギャラリーで文楽の展示をしていたのでゆっくり見た。娘役の人形の髪と衣装の美しさにうっとりした。最近すっかり文楽にご無沙汰なので、人形を見ても誰かわからない。車椅子の押し役は文楽をあんまり好きでないので長居は遠慮して要所をくるりとまわって終わり。でも、見るべきところは見た。人形のかしらができるまでの材木を切ったところから完成するまで丁寧な見せ方をしていたし、衣装が美しかったし、楽しんだ。

また古い話です。
1960年ごろ、文楽は二つに分裂していて因会(ちなみかい)と三和会とに別れていた。わたしは桐竹紋十郎さんのファンだったので否応なく三和会を応援していたが、見る機会は劇場がある因会が多かった。
三和会は劇場がないからあちこちの地方で機会があればやっていたようだ。

ある日の午後に三越劇場で三和会の「八百屋お七」を見たことがあった。桐竹紋十郎さんがつかうお七を見たことは若かったわたしの誇りと自慢となった。60年ほど経ったいまでもお七の姿がまざまざと蘇ってくる。
いやー、昨日はいいものを見せてもらって、そこから紋十郎さんを思い出すことができてよい日だった。

久しぶりに深夜のクラブ活動

昨夜は晩ご飯を食べて片付けして日記を書いてしまい、一眠りしてから着替えて出かけた。もうすぐ真夜中。以前おそい時間に出かけるとき、近くの店の奥さんに見られて「まずい!」と思ったことがあった。あとでなんか一言ある人なのである。ところがその後はどっちかというと羨ましそうな顔で挨拶されて嫌味は一言もなし。わたし夜遊びのときは輝いているのかも(笑)。

そんなことを思い出しながらタクシーでミナミへ。三津寺町の「味穂」でたこ焼きとどて焼きとおでんとビールでお腹を満たしていると、相方の知り合いのカップルが隣の席についた。やーやーとしゃべりながら食べてクラブマフィンへ。今夜はライブがあるから人が多いぞといわれていたが、廊下にもたむろしている。

うちはご老体だからカウンター前の席に座らせてくださったが、椅子が高くてどうしたら座れるか迷っていたら相方が背中から抱いて座らせてくれ椅子問題は解決(笑)。
マスターに紹介されて握手。暖かな人柄が手のひらをとおして伝わってきた。パートナーのまいこさんがわたし用に大きなグラスに冷たいお茶を用意してくれたのもうれしい。まいこさんとはおおかた10年近く前から知った中なんだけど、ここんとこご無沙汰してた。彼女のDJが好きなのに最近聞いてなかった。復活させなくちゃ。生きていなくちゃ。
ライブ中はマイクを持つヴォーカルの背中と私の背中がしばしばぶつかったりくっついたり。こんなライブはじめてだ。

激しい演奏だったからこういうんってなんていうのかなと聞いたらレゲエだって。ああ、そうかあ、レゲエかあ。
お客さんがたくさんいて相方の知り合いが多かったし、ニコニコと邪魔にならないようにしていた。とても、オーケーな夜だった。

ケイト・ブランシェットがCIA捜査官『ハンナ』

金髪の美しい少女ハンナ(シアーシャ・ローナン)は人里離れたフィンランドの山奥で、元CIA工作員の父エリックと暮らしている。狩に行き動物を撃ち殺すが、苦しむ姿を見て心臓に届かなかったと反省する。格闘技を父にしこまれ16歳にして並外れた技を持つようになった。
ハンナはある任務を受けてヨーロッパへ旅立つが、父がCIAにいたときの同僚マリッサ(ケイト・ブランシェット)とその部下が執拗に追ってくる。CIA捜査官マリッサは頭が切れる女性で、冷酷な判断でハンナを追いかけ殺そうとする。

旅の途中で知り合った少女がハンナに惹かれ友達になろうといい、ハンナは初めて友達というものを持った。
父と会うのはドイツのグリムの家と決めてあると友達に打ち明けてハンナは出かける。そのあとにマリッサは友達を脅してグリムの家と聞き出しハンナを追う。

マリッサ役のケイト・ブランシェットは姿と話しぶりでCIAの切れ者とわかる完璧な演技。

U – NEXT配信の映画2本『ボヘミアン・ラプソディ』『クイーン ヒストリー2 1980ー1991』

評判の映画『ボヘミアン・ラプソディ』(監督:ブライアン・シンガー、主演:ラミ・マレック)をネット配信で見ることができた。その上に『クイーン ヒストリー2 1980ー1991』がついていたので直ぐに見た。すごく勉強になった。これで友達との会話についていける(笑)。2本連続で見て体は疲れたけど、気持ちは満足した。

わたしはこどものときからジャズを聞いてきて、最初は父親のスウィングジャズにつきあい10代になってクラシックに傾いた。50年代の終わり頃からモダンジャズにいった。ロックなんか知らんかった。70年代はフリージャズに夢中になっていた。レコードだけでなくジャズ喫茶のライブや海外のミュージシャンの演奏に一人で行っていたが、同行者ができてからは2人で行くようになった。彼もフリージャズを聞く人で、ジャズ喫茶の常連になりミュージシャンたちと仲良くなった。

そんなもんで、ビートルズは知っているが、ローリング・ストーンズはFMラジオでしか聞いたことがなかった。クイーンというバンド名は知っているが演奏は聞いたことがない。
そんなわたしたちが70年代の終わり頃にパンクロックに目覚めてコンサートに行くようになった。78年ごろに『ロックマガジン』の阿木さんを知ってロックマガジン社に出入りするようになり、これやこれやとニューウェーヴに開眼。79年末のロックマガジン社のイベント開催を手伝った。

昨夜、フレディ・マーキュリーの歌をはじめて聞いた。オペラのアリアのような歌いぶりに惹かれた。『クイーン ヒストリー2 1980ー1991』はクイーンについての教科書のようだ。ここには「1985年7月13日に行われた、20世紀最大のチャリティーコンサート、ライヴエイド」でのフレディがたくさんある。
映画はもちろん良かったのだが、もひとついいことがあった。わたしらは1985年に「ライヴエイド」のテレビ放映を見ていたのだ。
85年は6月に夫が胃潰瘍で吐血して倒れ入院中だった。7月になって外出許可が出たので、その日を申告して家でテレビを見たのだ。久しぶりの自宅ご飯を食べて、猫と3者並んでテレビの前に座ったが、もちろんフレディのことは知らなかった。

昨日と今日はブログお休み

昨日はブログ休みました。引き続き今日もお休みします。
なにがあったかというと、アマゾンプライムで映画を見ていたからです。さぼりです(笑)。

昨日9日の夜は『ジェラシックワールド/炎の王国』を見た。第1作の『ジェラシックパーク』を思い出して混み合った映画館で見たことや、出ている俳優のことなど話し合って盛り上がった。せっかく1本見たのだから全4作見てしまおう、ネットで見られそうだ。

順番を整理すると、『ジュラシック・パーク』(1993 映画館で見た)『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997 未見)『ジュラシック・パークIII』(2003 未見)『ジェラシックワールド/炎の王国』(2015 昨日見た)となる。見ていない2作をネットで見られるのだからこの際見ておこうとなった。ということでいつもはブログを書いている時間を映画鑑賞に当てます。
これから晩ご飯食べて片付けたら見る。

ヨルゴス・ランティモス監督、コリン・ファレル主演『ロブスター』

ツイッターで知人が感想を書いていたのを読んだら興味がわきアマゾンプライムで見た。ちょっとSFでちょっと変わった作品と書いてあったとおり、タイトルがヘンだしどんな映画かなと気になった。

ヨルゴス・ランティモス監督(ギリシャ出身)の作品を見るのははじめてで、ちょっととっつきにくかった。冗談のようでもありSFのようでもあり、おもしろく見られる場面とあほらしくなる場面とがあって途中で少し飽きるところもあった。
ここで描かれる近未来社会は、子孫を残すことを強制的に義務付けられた社会である。そのうち日本もこうなるのかなと思わせるが、日本はきっとこのような即物的な形にいくまでにまず精神的に追い詰められていくんだろうなと想像してしまった。重く怖いSF映画だった。
それでも画面はいかにもアイルランドという感じの森の木々が懐かしいような気持ちを起こさせ息抜きになった。

コリン・ファレルの映画を見たのは3本目だけど、せっかく好きになっていたのに、お腹に贅肉がついちゃって・・・役に合わせて撮影前にしっかり体重を増やしたんだろうな。
レイチェル・ワイズ 、レア・セドゥはともに美してよくやっていた。

『ロブスター』はちょっとわかりにくい映画だったが、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2017、コリン・ファレル、ニコール・キッドマン主演)と『女王陛下のお気に入り』(2018、オリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズ主演)を見たらヨルゴス・ランティモス監督のことを理解できるのではないかしら。

アマンドラ・ステンバーグ主演『ヘイトユーギブ』

前知識なしで見ることになったU-NEXT配信の映画『ヘイトユーギブ』がすごくよかった。正攻法で黒人問題を16歳の黒人の少女のまっすぐな目線で描いている。2時間を超える長い映画を涙ぐみながら見ていた。
16歳の高校生スターは両親と兄弟との5人で黒人地域で暮らしていて、学校は少し離れた白人地域の高校へ通っている。父は黒人地域で小さな食料品店を経営し、母は大きな病院の看護師をしている。父はつねに娘に黒人としての誇りを持つこと、誇り高く生きることを伝えてきた。
高校には白人の仲良しがおり、白人男子生徒から付き合いたいといわれている。
スターは週末に出かけた黒人ばかりのハウスパーティーで、幼馴染のカリールに会う。彼に車で送ってもらう途中で白人の警官に車を止められ、カリールは手に持ったヘアブラシを銃と間違えられて射殺される。スターは事件の目撃者となってしまったが、マスコミはカリールをならず者扱いし、警官の行為を正当化したため警官は起訴を免れた。地域住民たちが抗議活動をはじめるが、やがて沈黙する。
カリールの無念を晴らすのはわたししかいない。スターは立ち上がる。
スターを演じているアマンドラ・ステンバーグが素晴らしい。
立ち上がった彼女はメガホンを持って群衆に呼びかける。応じてデモに参加した人々に襲いかかる警官たち。スターの父の店には火がつけられる。
最後のいままで抑えていた髪を解放しカーリーヘアにしたスターが生き生きと行動しているシーンがよかった。
2018年のアメリカ映画、129分 監督ジョージ・ティルマン・ジュニア、
原作 アンジー・トーマス『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』(岩崎書店)