猫がいたとき

昨日の午後は施設の姉の部屋でゆっくりしゃべっていたら「チャーの死んだ日がわかれへんねん」と姉がいう。猫のチャーを姉が膝に乗せてなにか話しかけているのとチャーが庭の木陰に立っているのと2枚の写真が額縁にいれて飾ってある。「その写真の下に死んだ日を入れておきたいねん」「ふーん、なにか書いたものを調べてみるけど」と答えた。
帰ってブログを調べたら、チャーが死んだ日はわからない。黙ってある夜、出て行ったまま帰ってこなかったから。数週間待ってようやくチャーは帰ってこないんだと納得した。「どこか死に場所を決めていたんやな」「猫はひとりで死ぬというからね」と姉はいい、それでも玄関に「まつとしきかばいまかえりこむ」とおまじないを書いて貼った。(元の歌は中納言行平の「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今かへりこむ」だそうな。わたしは内田百けん『ノラや』で知った。)

チャーは覚悟の家出をしたんやねと、姉とわたしは何度も話し合った。もともと野良猫で姉の家の庭に紛れ込んできた子である。ときどき数日いなくなることがあったが、この家が基本的に自分の家だという感じで戻っていた。そしてご飯を腹一杯食べてごろんと寝た。
チャーがいなくなったのは2013年11月だ。
その翌年、チャーの子分だったシマちゃんが死んだ。2014年7月17日。暑い日だった。この子はグレーのシマシマの美形だった。

姉妹団欒の午後

午後から姉がお世話になっている高齢者介護施設へ行ってきた。春に行ったきりすっかりご無沙汰していて、ブログの読者さんに「ずいぶんお姉さんのところへ行ってないですね」といわれる始末。姉は姪の携帯から電話してきて、久しぶりにあんたの声を聞けてよかったけど、顔を見たいなあと。それで重たい腰をあげてタクシーを呼んで出かけたというわけ。行こうと思えばすぐなんだけど、腰がなかなかあがらんのですわ。
5時の夕食まで暖かい部屋でゆったりとおしゃべりしたが、戦争中のこととか聞きたかったことは忘却の彼方だった。わたしのほうが細部を覚えていた。

戦争中に短歌を学んでいた姉の歌が一度「朝日歌壇」のようなページに採用されたことがあった。その歌で覚えているところ「海の中行くにもにたりわが汽車は・・・・信濃路を行く」(「・・・」のところの記憶が出てこない)、なんともない歌だけど、当時は新聞に載ったというだけで尊敬したものだった。
「へえ、そんなことがあったっけ」という姉に「ここんとこなんていうたか思い出して」といったが出てこなかった。
それからケチな叔母さんと豪快な叔母さんの思い出話がおもしろかった。ケチなほうは蒸したサツマイモを1センチ幅に切って皿に並べて出し、豪快なほうは大きなままでザルにどんとのせて出したって。

愛猫チャーがいなくなった日を思い出せないというので、なんとか記録を探してみると返事した。壁にチャーを抱いた姉の写真が飾ってある。その下に記録を書いておくんだって。このブログからなにか出てくるだろう。

話好きな運転手さんの相手をしながら帰りもタクシーで。お蕎麦屋さんに寄って酒と肴と蕎麦の晩ご飯。帰ってお饅頭とお茶。洗濯物を取り入れたら11時過ぎてしまった。

鏡の中の白い髪

居間に大きな鏡があって浴室&トイレから出ると姿が映るようになっている。最近は白髪の自分が映っている。にこっと笑うと白髪の人もにこっとする。なかなかいい。

髪を染めるのをやめようと思ったのは、たしか5月のはじめだった。美容院の予約を入れてから、おもむろに「あたしこれから白髪あたまにしようと思てるねん」といったら「わかった。うまく切ったげる」と簡潔な返事。それ以来カットだけしてそのまま帰っている。それ以前とカットと染めの具合で茶髪の部分と白髪の部分ができて混じり合っているところもあり、意図してそういう髪にしたみたいである。自分では気に入っているが、他人が見れば「みっともない」かもしれない。前髪だけがなぜか全面的に白くなっていておもしろいと思うのだが。あと2ヶ月はこの混じり髪で過ごす。

明日は久しぶりに姉のいる施設へ行くつもりをしているが、白髪あたまの妹を見て姉はびっくりだろうな。

眠れない夜と寝入った昼

昨夜はこれからくる台風に備えて部屋を片付けたり、食べ物を点検したりして落ち着かなかった。関西はそれるとわかっているけど、もしかということもあるからと思って。2時ごろ横になったが寝付けないでごろごろしていた。
今朝は朝というより昼前に起きてネットで台風情報を探してなんやかんやとコメントをしゃべくっていた。
しゃべくりとご飯がすんだら午後遅い時間になっていた。相方が昼寝して、わたしはネット。4時ごろ選手交代でわたしがベッドに。いつもわたしは横になるけど、寝入ったことがない昼寝できない体質。でも今日はすぐに寝入ってしまい、爆睡2時間で目覚めた。

夕方起きてまたネットで台風ニュース。今回はツイッターに川の氾濫報告がたくさんあって胸がいたむ。
昔、小6の時に「クミちゃんの家が川の氾濫で水浸しになってるで」と偽ニュースを流されたときのことを思い出した。必死で走って帰ったらいつもどおりの日常があって、ほっとするやら腹が立つやら。

今夜の川の氾濫はどんな結果になるのだろう。すごい数の氾濫記事が並んでいる。そこへ震度4の地震発生記事が入っている。

あれはたしかジェーン台風だった

台風19号は明日12日の夕方から夜にかけて東海または関東に上陸する見込みとラジオでいっている。関西はそれるらしいが、大きな台風なので影響はあるだろう。
今日は夜になる前にと、干してある洗濯物を片付けて竿やハンガーなども外した。明日は洗濯を休む。

台風がくると思い出すのは、中学生のときか働き出して間も無くのときだったか、ジェーン台風が大阪をおそったときのこと。当時は台風にカタカナの名前がついていた。父親がカラミティジェーンかと喜んでいたのを思い出す。

父も兄たちも仕事や出先から帰ってこなかったので、母とわたしと弟と妹が台風が通り過ぎるのを家で待っていた。急ごしらえの風呂場の屋根のブリキ板がはがれて飛んでいったのを弟が追いかけて拾ってきた。さすが男の子と母は大喜び。風が吹き荒れているとき、「なんまいだ、なんまいだ」と座布団を被っていた母(笑)。
わたしは「いざ!」というときのために、登山用アノラックを着て待機していたが、出番はなかった。

たしかその台風に、最寄の阪急電車「神崎川駅」に渡る橋桁が破壊された。それから長いこと電車に乗るために渡し船で川を渡っていた。

わたしが人に笑われようとも、台風に備えて早めに食量や懐中電灯やろうそくを用意し、風呂に水を溜めておくのはそのころの台風体験によるものである。

晩ご飯は友達と外食

台風19号が気になってしょうがない。天気予報ばかり見ているが見たからどこかへ行ってしまうわけでなし。外に出ると風が少し強く感じるが台風の影響かしら。
友達の母娘と新町のココナツカレーの店ヨバレヤで晩ご飯を食べた。友達の母のほうはヴィク・ファン・クラブ会員で英語教師と翻訳の仕事をしているIさん、そして娘さんAちゃんは最近生まれたばかりの赤ちゃんをだっこして現れた。うちは相方と2人。お店で座っていると続々と現れたのはDJやクラブ好きな人たちで、やーやーと相方と交流していた。ベルリンから一時帰販しているAさんはルーマニア人の夫人と二人連れで久しぶりの大阪を楽しんでいる感じ。

カレーを食べながら2年ぶりくらいの無沙汰を吹っ飛ばす会話がはずんだ。まあ、しょっちゅうメールしあっているからわかっているとはいえ、顔を見て話したら安心するよね。
Aちゃんの夫さんが来られなくて残念だったが、相方とAちゃんのクラブ話が面白かった。Aちゃんの彼の予期しなかった朝帰りの話に笑わされたが、クラブで踊っていたら早く帰りづらいでしょう。うちもいっしょやからよくわかる。

帰りにIさんからお土産をもらった。「黒船」のどら焼きで、大きな栗があんこの中に入っている豪華版。うまかった〜

秋日和

午後5時前の空はほんとにきれいだった。つるかめ整体院から道へ出ると東方面と西方面の空が見事なブルー。日暮れまでもうちょっと。迎えにきた相方と3人で「秋やね〜」「ようやく秋がきたね〜」と叫んでいた。真夏は西日が照りつけたが、今日は穏やかで、西日ちゃんよどこへ行ったのと聞きたいくらい。

しゃべりながら帰宅。「晩ご飯はなに?」「この間買った無農薬米十穀米ごはんとおかずいろいろ」とのことでおやつにサンドイッチを食べる相方。おやつはスルーのわたしはコーヒーだけもらった。

さて、今日は整体に行っていい思いをしたからあとは家事しなくては。薄手の羽毛布団を出してカバーをかける。いままで一人でやってきたけど、今年からは二人でする。カバーを引っ張るのが二人だとラクだ。いままで使っていた薄い夏掛けとタオルケットを洗って干した。

晩ご飯は、焼酎湯割り、焼き鯖、レンコンと満願寺唐辛子とキノコの炒めたん、ソーセージ炒めとトマト、十穀米ごはんと豆腐とネギの味噌汁、番茶。うまくて食べすぎた。

大型で猛烈な台風19号

台風発生のニュースを知るとまず台風襲来の1週間くらい前から膝が痛くなる。整形外科の先生に聞いたら「それは気象現象といって台風や雨の前に体調が乱れることをいうんや」と教えてくれた。高齢女性にそういう人が多いんやて。
台所でまっすぐ立って作業して30分くらい経つと膝が痛くなるので、よっこらしょと慎重に膝を正す。ほんまにいやになるが、これくらいで済んでいるから良いかと思うことにしている。背が低いから膝を曲げて立てないのがナンギ。少しでも背を伸ばそうと台所では健康サンダルをはいている。素足で立つよりかちょっとマシ。

次に頭痛がくる。こっちは台風がくる直前。どっちも横になってじっとしていれば治まるから騒ぐほどではない。まず長風呂。あとはサポーターで補ったり、お気に入りのスカーフを巻いたりしてやり過ごす。美味しいコーヒーも大事だ。
今年最強の大型で猛烈な台風19号が上陸の恐れあり。

96歳の姉と85歳の妹

午前中に施設にいる姉の世話をしている姪から電話があり、ちょっと待ってねとすぐに姉に代わった。姉はわたしの誕生日を覚えていて先月から会いたがっていたらしい。元気やったらええねん、たまに声を聞きたいからねという。そういわれると長いこと見舞いに行ってない。今年は暑かったからよう行かなんだと言い訳して、近いうちに行くからねといった。そういうたら喜んでいたから、近いうちに行かなあかんな。

姉の夫が亡くなってから去年の暮れで10年だ。それ以来、週に一度姉の家に行って習慣になって10年通った。
長いことおうてへんから会いたいやんといわれたら、ほんまやなあ、会いに行くわといわざるをえない。あたしも体調悪うてしんどいねんというたら、声は元気やんかといわれた。声は元気やなとだれにでもいわれるねん。そういえばわたしもそうやと姉。96歳の姉と85歳の妹がじゃれあうようにしゃべっている風景、なかなかええもんやん。まだ姉と妹の間に男兄弟がふたりいる。わたしの下に妹がひとり。

白髪までもうちょっと

あたまの真ん中から前の髪がみんな白髪になった。後ろのほうはまだ茶髪である。あたま全体は入り混じっているのであまり見よくない。先日も整形外科の看護師さんが帽子を脱いだわたしをじっと見るので、白髪あたまにする過程でこうなっているのと説明したら、わざわざこういう髪型にしているのかとじっと見てましたといった。そう思っておいてねと笑っておいたが、早く全部が白髪になって欲しい。

今日の午後に美容院シュリットで髪をカットしてもらってきたが、もうちょっとやなあとのこと。あたまのてっぺんあたりを、このピンで留めてときらきら光るピンで留めてくれた。白髪のほうが面積広くなったみたい。あと2ヶ月でかなり変わるとのこと。ふう、あと2ヶ月の辛抱か〜

秋冬の帽子を全然持ってない。お店で良さげなのがあれば買おうかな。はて、どこで買ったらいいものやら。