なに飲む? コーヒー、紅茶、ココア、お茶があるけど

晩ご飯の片付けがすんでひと休み。さてなにか飲もうかとなというとき飲むものは、まずコーヒーだが、豆を挽くか、袋入りの挽いた粉で淹れるか。紅茶ならダージリンとラプサンスーチョン、ココアはバンホーテンでミルク在庫あり、お茶なら煎茶と番茶。さて、いまなにを飲みたい?
コーヒー紅茶ココアにはビスケットとチョコレートとナッツ類あり。お茶には袋入りのふるさと菓子あり。

部屋に流れてるのはイビザのテクノパーティのYouTube、DJのゆるやかな動きとリズムに合わせて、食後なのでソフトドリンクでガマン。
ゆるい金曜日の夜。もう少ししたらブッシュミルズが少し残っているから飲んで楽しもう。

春の嵐の朝

昨夜はずっと起きていて風雨を気にしていたが、午前2時過ぎに横になったときはまだたいした降りではなく風も吹いていなかった。すぐに寝てしまって、明け方一度目が覚めたときは雨は降っていたが静かなものだったので、こんなものかとおとなしく寝た。そのあと何時頃かすごい雨風の音で目が覚めた。それから午前中いっぱいすごい風と雨だった。といっても起きてみることもせず寝ていたが。クライマックスのときは熟睡中(笑)。

昼過ぎにベランダに出たら大雨のあとが残っており、ああようけ降ったんやなと空を見上げたら、青い空。洗濯してちょっと風が強いが干した。ひるがえる洗濯物が心地よいが、ちょっと心配。その後は風が収まって普通の午後になっていた。

バレンタインデーはうちの猫の命日

バレンタインデーはうちの飼い猫花子の命日ということは忘れることはないのに、何年前か覚えていない。日記を書いているからそのうち遡って調べよう。
相方はその当時得意先に出張して仕事していたので夜遅く帰って来た。花子はわたしに抱かれて相方の声を聞きつつ息を引きとった。
バレンタインデーだったのでマイルス・ディヴィスの「マイファニー・バレンタイン」をかけて花子のこの世の別れとした。

今日のSNSに友人が自分の猫が病院にいると書いていたので、わたしはうちの花子を思い出した。花子を拾ったのは春浅いころだった。抱いてジャケットのジッパーをしめ腕で押さえて通勤したっけ。桜咲くうつぼ公園に散歩に連れて行ったら、いろんな人に可愛いといってもらった。
病院へ連れて行ったのは4月ごろだったかな。知り合いに教えてもらってアメリカ村の病院へ行った。その夜のさびしかったことは忘れられない。病院に預けてから心斎橋の喫茶店でココアを頼んだ。

それから22年一緒に暮らした。人見知りをする内気な猫だったが、わたしらにはわがままいっぱいで贅沢この上なし。男の子だったけどピンクが好きなので、クッションとかリボンとか少女っぽくしてやった。ピンクの服を着たくまちゃん人形が大好きでいっしょに留守番してた。

春めいて気分よし

今朝は目が覚めて第一声が「今日はぬくいね」だった。パジャマの襟が汗ばんでいる。寒くなってから一日置きに着替えてたのに、これから毎日着替えて洗濯かいなとサボりの虫がつぶやいた。
湯たんぽが寝床の足の向こうにひっそりとあった。知らん間に蹴飛ばしていたんやな。春が近くまできた証拠。

洗濯ものを干しにベランダに出た。ほんまに寒くない。大寒いころは綿入れを着て干してたのに、セーターだけで平気だ。へえっ、春が来るんやな。けっこう、けっこう、いい気分。

今夜は湯たんぽなし。オイルヒーターだけつけて寝よう。
テニスボールのストレッチをちゃんとやってお風呂でぬくもって横になる。
カップにたっぷりのココアがうまい。春の夜のココアもまたいいものだ。なんちゃって、この後はまた冷え込んで「春のち真冬」かもしれないのに。そしたら寒い夜に温かいココアだ。

今日は雨水(うすい)

今日は二十四節気のうち「雨水」だって。今年は2月19日から啓蟄(3月5日前後)までの期間が「雨水」。啓蟄は「冬籠りの虫が這い出る」という意味だそうだ。そういえば猫がいるころ、台所の引き出しで啓蟄の日に小さなゴキブリを発見してキャーと叫んだことを思い出した。猫のご飯のおこぼれをゴキブリがもらって我が家に住み込んでいたのだ。猫が死んだらゴキブリも姿を消した。夏になったらどこかから入ってきたのを見かけることはあるが。

せっかく二十四節気から話をはじめたのに、ゴキブリへと落ちちゃった。
「雨水」のころにおひな様を飾ればいいそうである。わたしがこどもの頃の我が家は貧しくて、わたしはお雛様というのは自分でつくった紙製のしかなかった。妹の時代になってガラスケースに入った小さなひな壇が飾られた。父親の好みでとても素朴なものでよかったが、なんせ妹のものだったから、わたしの心はわびしかった。スルーできたのは『小公女』とかやっぱり少女文学だったなあ。というようなことを回想するわたし。外は春雨、だったらいいのに、いいお天気です。

こんなに寒い冬

今日も寒かった。ベランダを通る風が冷たくて洗濯物を干す手が凍りそうだった。
地球温暖化という言葉は長い間によく聞いてきたけど、今年の寒さはどっちかというと、「地球寒冷化」といったほうがあたっているように思える。
ガスヒーターが去年までは暑いほどだったが、今年は寒さをカバーしきれていない。こたつというのを使ってないので、オイルヒーターと両方合わせても床から寒気があがってくる。こたつとテレビがない生活なんで(笑)。

だから寝るときは湯たんぽの世話になっている。厚手のパジャマとぬくぬく毛布で身を包んで足元には湯たんぽで、万全の対策。
起きてるときはたくさん着込んで厚手ソックスを履く。スリッパ履いたら蹴つまづいて転んだらあかんのでソックスでがまん。

今日は本から仕入れた知識で両膝の横下に使い捨てカイロを貼ってみた。ほんのり温くて気持ち良い。カイロの買い置きしとかねば。

寒い夜にココア フランソアを思い出しつつ

突然ココアが飲みたいと相方が言い出した。「長いこと飲んでないなあ」「飲みたいか?」「ふん、飲みたい、ココアずっと忘れとったわ」「寒いからココアが飲みとなってん」
それでバンホーテンの缶と牛乳を買ってきてくれたのでわたしがつくった。
ココアの粉と砂糖を少量の水で混ぜて火にかける。沸いたら牛乳を入れて沸かして出来上がり。甘くておいしいココアの味。なかなかいけた。

ココアで思い出すのが京都木屋町のフランソア。長いこと行ってないので検索したらいまもちゃんと営業してはる。わたしがよく行ったのは40年も前のことである。Kに勧められたココアがおいしかった。京大大学院生で京都へ行くと彼の下宿に泊まった。翌日は京都をあちこち散歩。彼は数年前に亡くなったが、当時は京都で学生をしながら大阪天王寺でジャズ喫茶マントヒヒをやっていた。たしか二度目に店に行った日にいっしょにうちに帰り3人で宴会して泊まったんだった。
フランソアは場所がわかりやすかったから、のちのち一人で京都へ行ったときも立ち寄った。由緒ある椅子に気取って座ってココアを飲んだっけ。

最近は喫茶店に入って「ココア」と注文することがないと気がついた。たいていコーヒーである。今度カフェに入ったらココアを頼もう。京都フランソアまで行く元気があればええんやけど。

電話がたのしいとき

こどものときは家に電話がなかった。向かえの酒屋さんから「電話かかってるよ」と呼ばれて慌てて出たものだ。家族が多いから呼び出しも多い。そのお礼にお酒をたくさん買っていたと思う。
かかった電話は出たら話せるが、かけるときは困った。酒屋のおじさんにダイヤルをまわしてもらって、受話器を握った。あるとき「反対や」といわれて気がついた。聞くのと話すほうと間違えていた(笑)。
働きだしたら電話に出るのも仕事のうちで、取引先からかかると「お世話になってます」とか「まいどどうも」とかいわんとあかんので苦労した。
登山やうたごえ活動など打ち合わせの電話が会社にかかる。偉いさんの渋い顔を尻目にしてかかってきた私用電話の相手をしてた。だって連絡手段が他になかったから。まあよく働く子だったから偉いさんも面と向かってはなにもいわなかった。いま思い出すと顔から汗が出る感じ。

最初に住まいに電話を引いたのが泉北の公団住宅に入ったとき。それまで岸里の暗い文化住宅に住んでいたから、新築の明るい部屋に電話があってうれしかったなあ。そのころは友だちと電話で話すのが楽しかった。ただ東京の友だちと話すとお金がかかる・・・向こうからかかるとお金がかかると気を使う。懐かしい過去の風景。

今日、久しぶりに姪と話して楽しかった。双方が機嫌よくしゃべって笑って終わったのが気持ち良かった。

ともだちからうまいソーセージが届いた

Mちゃんがクール宅急便でソーセージやハムが詰まった箱を送ってくれた。20年来自宅へ宅配を頼んでいる岐阜県の「山のハム工房ゴーバル」ってとこので、晩ご飯にソーセージを食べたらワインとよく合ってうまかった。すごく上品で余分な油気がないところも気に入った。

Mちゃんとは1980年くらいから10年近く仲良くしていた。パンク少女ですごいカッコで出歩いていて、連れ立って歩くと道ゆく人が振り返った。知り合ったのは心斎橋のディスコで、帰ろうとして外に出たら横にくっついてきて「一緒に行く」とのたまわったので連れて帰ったのがはじめ。
どこへでもくっついて出かけていたが、空手の教室に行ったときは先生に可愛がられた。普通の空手と違う先生のあみ出した拳法だった。

Mちゃんはそれから東京へ出て美術関係の仕事をしたり、バーを経営したりと華やかだった。その後、結婚して子供が一人できて年に一度くらいは連絡があり、正月にはお酒やお菓子を送ってくれる。こちらは昔いっしょに遊んでおごったのを盾にして、もらいっぱなしで大きな顔をしている。

電話はかけないでください(kumiko日記について)

毎日わたし自身が思うこと、あなたに伝えたいことをこの日記を書くようにしている。たまに休むときがあるがほとんど毎日書いている。わたしのことが気になったら、この日記を読んでほしい。現にいま読んでくれている人は、それで納得してください。

たまにブログを読んだから電話したと電話がある。まるっきり善意の電話だが、いまのわたしにはそういう善意は不要だ。
つい先日、妹からの電話を「これからはわたしに電話しないで」と断った。妹は善意の人である。

このブログが、あなたからの善意の電話をお断りする通知であることに気がついてほしい。