今年の夏は

我が家は夏のはじめは過ごしやすい。真夏になってしまえばなにもいうことなくひたすら暑いが、この時期はニュースで真夏日だのこの夏最高の暑さなど聞いてもそうかなと思うだけだ。

夜になるとベランダに面したガラス戸を閉めた。年寄りになったせいかもしれないが、暑さをそんなに感じないのだ。寒さにはおおいに感じることを忘れずに書いておこう。去っていった冬はいつまで経っても寒かったっけ。ガスヒーターの目盛りが上がるのをずいぶん気にしてた。

この季節、昔なら朝起きたらパジャマが汗でビショビショになってたりしていたが、ここのところ汗はかいてた感じはあるがそれほどではない。汗かいてないからもう1日着ようと思うくらいだ。
気持ちは若いつもりでも年寄りの体に強制変換されてしまったのを感じる5月。

とはいえ、まだ5月だ、
そのうちに梅雨が終わり西日が差し込むほんまに暑い夏がくる。年寄りでも大暑い夏が。

『クジラウオ』の鉄火味噌

今日もいつもの八百屋さんで買ってきた野菜で一献! 焼いて細く切った油揚げにミズナを切ってぱらぱらとのせ、お醤油をかける。うまかった〜 そして、ポテトサラダとトマトと肉炒め少々。それにご飯と味噌汁、ご飯にはこれも日曜日にステップ・ハーベストで買ってきたクジラウオの鉄火味噌をぱらぱらっとかけた。

ああっうまっ!
クジラウオさんは数年前まで九条でお店をしていて、わたしもたまに行っていたが、田舎で暮らしたいと和歌山に引越して、農業と食べ物作りに精を出している。ときどき自然食の催しがあると自然食の瓶詰などを出品される。それを目指して買いにいく怠け者のわたしら(笑)。
今夜もおいしい晩ご飯にありつけました。

お茶の若葉の素揚げ

日曜日のステップハーベストでいろんな野菜、お菓子、瓶詰めなど買ってきたのをぼつぼつ食べている。生産者さんからの雑談付きの買い物は楽しいようだ。わたしもいちいちその会話の内容を聞きながら食べるのが楽しい。

今日の酒の肴はお茶の若葉の素揚げだった。初めて食べたよ。大皿にのった若い葉がさっぱりとした味わいでうまかった。ついで、鯖の味噌煮缶と茄子の炊きあわせ、豚肉とキャベツともやしの炒め物、ご飯と大根の味噌汁だった。お酒は焼酎のソーダ割り。安いものばかりでうまく仕上げるのがうまくなった。皿数が多くて盛りかたに工夫があり「男の料理」という感じから抜け出している。

デザートは廣井堂の夕霧最中

廣井堂は我が家から15分でいける。だが日常的に通らない道にあり、スーパーの帰りにちょっと曲がればいいのにすっかり忘れている。たまに廣井堂の和菓子を食べたいなと思うがすぐに忘れる。戦中・戦後に、母親が「廣井堂の夕霧最中が食べたい」といっていたのをよく思い出す。

今日は銀行に用事があって出かけるのに、車椅子の運転手が道順を勘違いして廣井堂の前を通った。それをきっかけに、帰りに夕霧最中を買って帰ろうといって用事をすませ、帰りに忘れずに寄って最中とどら焼きを2個ずつ買った。
おやつにどら焼き、晩ご飯のデザートに最中を食べて、まんぞく、まんぞく。

秋になったら栗蒸し羊羹を買って食べよう。

掻いて治した

午後から美容院でくつろいできた。毎日くつろいでばっかりじゃん(笑)。
白髪にもどす髪の対策を相談して、短くカットしてもらった。ボブからショートヘアになって、そのうちに全体が真っ白になる予定。
遅ればせながら入院のお見舞いに果物を持って行ったら、帰りに和洋のお菓子をいっぱいもたせてくれた。わたしらなにをしているんだか(笑)。

昨日、阪急オアシスの冷凍ケース前であちこちしたあと選ぶものがあって、車椅子でじっと止まっていた時間が長かった。「寒いわ、はよ帰ろ」といったときはときすでに遅かったみたい。
帰って暖かいパンツに着替えてご飯を食べた。背中や足が冷えているから気をつけなきゃとお風呂に入って長時間じゃぶじゃぶした。寝る前にストレッチと体操をした。

今朝はいつもどおりに起きたけどどこかしんどい。
美容院から帰っておやつを食べ、ぼちぼち台所の片付けをしていたら背中が痒くなってきた。太ももや膝の裏まで痒い。手を背中に突っ込んで掻きまくりながら悟った。昨日の冷えがこれで消えて、搔くだけ掻けば日常にもどる。
今日の前半は家の中を歩くのもしんどかったのが冷えのせいだとわかって、やれやれ。自分のからだは自分で守らにゃ。

質素な生活、整体院には行く

今日は水曜日で整体院へ行く日。ばたばたと予約時間にかけつけた。わたしは駆けられないから相方が車椅子を駆けて押した(嘘、笑)。

先生に施療してもらいながら、いろいろおしゃべり。
夏は水分をしっかりとるようにとのこと。コーヒーや紅茶は水分ではなくて嗜好品だそうな。日本茶はよいそうだ。我が家はコーヒー、紅茶が大好物なんやけどあかんのか〜 いつも水を用意しておいて飲むように心がけよう。

こっちは東京の友人が遊びにくるとメールがさっき届いたこととか、先日買った『文藝春秋』の村上春樹さんの作品のことなど話しながらうとうと。ああ極楽。若い時からいいトシまで長いこと働いたからいま極楽させてもらってもいいよね、といいわけ。
食べ物質素、着るもの質素、本だけは読みたいのを買っている。

古い友人からワインがとどいた

今日は夫の誕生日、古い友人のMちゃんからワインとオリーブオイルが届いた。毎年忘れずに東京からプレゼントを送ってくれる。
知り合ったのは40年くらい前で、心斎橋のディスコへ遊びに行ったら、なんかの拍子に視線があって、なんか話をしたんだった。帰りに家はどっち?と尋ねたらうちの前を通って西の方へ行くとわかって、一緒にタクシーで帰った。それからはうちへ来るし、こっちも彼女の部屋に行くし、毎日のように行き来していた。

ハタチと40過ぎの遊び人が出会って、それに夫が加わって、最強の3人組が出来上がり80年代の夜の大阪を楽しんだ。パンク・ニューウェーブのライブにいっしょに行き、けっこう有名になっていたっけ。空手を学ぶグループと知り合っていっしょに空手の道場に行ったこともある。おかしな3人組だった。

Mちゃんは東京へ行ってから結婚して、毎年なにかプレゼントを送ってくれる。うちはもらいっぱなしでお礼の電話をするだけ。今年はハガキの礼状を出しただけだが、夫はゆっくり手紙を書くといっている。

ハタチと40過ぎが知り合ってから40年経って、いまや60と80過ぎでっせ。こうなったらどっちも立派な高齢者だ。

甲州弁をしゃべってみた

山梨県で暮らしたのは国民学校(小学校)の4年生のときに叔母の家に疎開した2年間だけである。わたしは5歳のときに東京から大阪に引っ越し、東京弁から苦労して大阪弁を使えるようになった。4年生の1学期まではちゃきちゃきの大阪っ子だった。それが夜行列車に乗って山梨県へ着いたら異邦人(笑)。関西からの疎開者は少なかったので珍しがられた。その上に国語の時間に教科書を読むと、大阪に行く前の東京暮らしが役に立って標準語なのである。先生に褒められて国語の時間には今日勉強するところはわたしが朗読することになった。
そんなことで目立つようにもなったけどふだんは甲州弁を使うようになっていた。「いいじゃん」「そうけ」「◯◯づら」なんて。

今日、雑誌『クロワッサン』を買って読んでいたら「もの忘れは、治せる」というページがあった。そのひとつ、椅子に座って本を音読するのがいいらしい。なるほどなあ。iPhoneに入れてある漱石作品の中からと思ったのだが、そうそう、こんなときに甲州弁を使ってみよう。手元に深沢七郎『甲州子守唄』がある。そこで開いたページを読んでみた。甲州弁の会話がある。やってみよ。
ところがですね、読むと言葉は甲州弁なんやけど、わたしの読み方が関西弁なのである。えっ、とびっくり。あきまへんわ。どうにもならんわ。

さては花粉か、暑いのに鼻水

今年の春はなかなか暖かくならなくて、桜の花は咲いたものの散るのが遅かった。その後も朝夕寒い日が多かったが先週の終わり頃からようよう暑くなってきた。今日は夏並みに暑いと予報でいってたが、うちは昔から冬が寒くて夏はマシなのでそう暑いとは感じなかった。家の中の板敷きの部屋にいる限りは。

今日は午後の3時ごろに洗濯して干したんだけど、ベランダに直射日光がきびしくあたってクラクラした。暑さと明るさで倒れそうといってもウソでない。あわてて壁に手をついた。なんせ、腰と膝に弱点を抱えているのでね。
そんなこんなでしっかりせにゃと思う初夏。

暑くても鼻水が出るというのはなぜだろう。さっきからテッシュペーパーのお世話になっている。だいたいアレルギー症で鼻水が出やすい体質なんだけど、もしかしたら花粉症が遅ればせにやってきたのかも。早くから くしゃみ鼻水でなんぎしたが、みんなが騒いでいるころはころっと忘れていた。いまのは風邪ひきっぽくないから、わたしに合った花粉が飛んでいるのかも。なんじゃもんじゃとか(笑)。

なんじゃもんじゃの花

先日木津川まで散歩したとき、通りかかった道になんじゃもんじゃの花が咲きかけていた。そのときは「この花変わった名前やったね」といって名前を思い出せなかった。「だいぶ前やけど、プールに行ってる時に札がついててわかったんやね」と語りあったが名前が思い出せず。「変わった信じられへん名前やったな」といいながら帰った。

それがですね、いまなぜか突然思い出したんですよ。「なんじゃもんじゃやった〜」って。検索したら木と花の写真が出てきて「これや、これや!」とうなづいた。どこから出てきたんやろ。

以下、コピペさせてもらった。
「一葉たご(ひとつばたご)というのが正式の名前。木犀(もくせい)科。開花時期は、 4/20 ~ 5/10頃。」