昨日アップルストアで

昨日は夕方からアップルストアへ行って相方が欲しいというワイヤレスキーボードを買った。マックにもiPad2にもiPhoneにも使えるんだって。テンキーがないのにしたのでうんと小さく机が広く使える。わたしは今年の2月Mac miniを買ったときにどうしようかと思ったけど、いままでどおりのテンキーつきでコードつきキーボードにした。保守的やったと反省。

2年前のいまごろ義兄が入院していて大変なときにiPhoneの充電ができなくなった。いちばん携帯電話が必要なときである。アップルストアの閉店前に駆け込んで見てもらおうとしたのだが、予約しないとだめだという。どないしょと立ち止まっていたら、ちょうど通りかかった店員さんが見てくれて、これならと即、直してくれた。うれしくてるんるんと階段を下りきった段差のところでこけた。ラックにぶつかって倒したので大変な音がして店員さんが6人かけつけてくれた。めっちゃ恥ずかしかった。
次にアップルストアへ行ったのがMac miniを買いに行ったとき。思い出すのもカッコわるいがリベンジするぞなんて言いながら行ったら1階で用事はすんだ。

先々週の土曜日にヴィク・ファン・クラブの20周年例会に関東から来てくださったお二人を案内して、心斎橋から御堂筋へ出てアップルストア前へ。土曜日の賑わいの店前で現場検証してもらった(笑)。
昨日はキーボードを買いに行ったので2階へあがり手すりを持って静かに降りた。段差も足元見ながらそろーりと降りた。

ウォルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズ」( I ) マックとわたし

ここ数日本書を手にしてジョブズ漬けになっていた。同時代に生きていたなんてことでなく、わたしはジョブズのおかげでこの生きにくい日本で生きてこられた。24年前の1987年11月13日にマックプラスを買ってから。
そのころ、わたしたちは新町1丁目で写植・版下・デザインの仕事をしていた。1985年の阪神タイガース優勝の年の6月に、相方が胃潰瘍で1カ月入院という事態になって、結局2カ月間休業することになった。その後は仕事をセーブして(セーブできるなんて職種ではないのでひたすら断って、結局仕事をなくした笑)、公園を散歩したりしていたが、うつぼ公園で猫たちを見てから毎朝5時半に猫に朝ご飯を運ぶようになった。マックと出合ったのはそんなときだった。

パソコンなるものを一度見に行こうとある日曜日に日本橋へ行った。電気店ではたくさんのウィンドウズ機が並んでいた。灰色の山の向こうの隅っこに輝いて見えたのがマックプラスで、わたしは一目惚れ。これにしようと相方にせがんだ。そのときは帰ってカタログなどを調べお金が足りるか調べて(持っていたもんだ!)、画材店いづみやから買った。営業マンがマックペイントで絵を描いているのを固唾をのんで見ていたのをいまも思い出す。

世の中はどんどん変わっていって、その後、わたしたちも手仕事の世界からマックで仕事をするようになった。人よりもさきにマックを使っていたので転換はわりとスムーズにいった。その転換するまでの時期1991年(マックを買ってからまる4年目)にヴィク・ファン・クラブ(VFC)をはじめた。その前年、1990年に2代目のSE/30を買っている。SE/30でVFCの会報をつくったのがDTP第1号となった。ほんとうの意味のデスクトップパブリッシングだと誇ったものだ。あまり理解してくれた人はいなかったけど。
それからはマックを何台買ったかしらね。ほとんどはデスクトップだが1994年にノート(PowerBook 520)が発売されたときに1台買った。それをを持ち歩いて知り合いの〈できそうな女性〉から嫉妬をかった。男性の嫉妬はかたちを変えて現れ意地悪された(笑)。

仕事のやりかたがどんどん変わっていった。仕事が簡略にできるようになると価格が下がり、事務所の維持が難しくなった。阪神大震災(1995年)のあとの不況で事務所を閉めて自宅営業にした。
日本語のサイトをつくってほしいとサラ・パレツキーさんから要望があったので、サイトを作らないかと早川書房の編集者から話があったのは1998年のことだった。ホームページ作りはかねてから考えていたことなので、喜んで返事をして出来上がったのがVFCサイトである。
その間にマックを何台も買ったが、すでに産業機械に変わってたんだよね。それがジョブズがアップルを追い出されスカリー会長に変わっていたのと同じ時期になる。ほんまにあのころはわたしたちも暗かった。DTP仕事で日々食べることに必死だった。
その中で相方がVFCサイトをつくり、ホームページ作りを仕事にできるように勉強した。

ジョブズがアップル社にもどり、1998年にiMacが華々しく発表されたけどうちはお金がなくて買えなかった。兄が買うというので日本橋のソフマップまでわたしがついていき、一式揃えて買うのを手伝ったことがある。それからは、毎日兄から電話がかかって操作方法を教えていた。兄はワードで能楽のプログラムを作るのに四苦八苦したが、コピペから教えるのだから大変だった。

マックのマの字も知らなかった友だちがiMacを買うたびに嫉妬で苦しんだ(笑)。わたしはイチゴ色を買うと決めていたが先立つものがなかった。
結局2002年に、iMac G4 (Flat Panel) を買った。いわゆる大福マックを1年おいて2台。その次には相方はインテルiMacを使っており、わたしはMac miniを買っていまは2台目を使っている。

iPhoneはわたしは3Gを売り出し時に買ったままいまも使っており、相方はiPhone4、iPad2は売り出し時に買った。
本の感想を書くつもりが24年間の自分の歴史になってしまった。一息に書いたよ。ああしんど。

お気に入り、kazunさんのバッグ

kazunさん製作のバッグを「ハンドメイド、手作り品の販売・購入ができるフリーマーケットサイト、tetote(テトテ)」で買った。
kazunさんはヴィク・ファン・クラブの会員で素敵なブログ「Kazun’s Show Case」のあるじである。去年まではシカゴに住まれていてアメリカ生活の報告が楽しかった。帰国されてからは子どもさんのPTAその他のさまざまな活動に積極的に取り組んでおられる。その上に半端でない手芸家で、この夏からtetoteを通して自作品のネット販売に乗り出された。

ミクシィやVFC会報などで紹介したら、さっそくバッグやネックレスを買った友人から、満足の言葉が届いた。わたしも半月ほど前にバッグを買った。6ページの2段目左から二つ目のリバーシブル・グラニーバッグ(オレンジ&緑)で、すごく持ちやすく気に入っている。小さめなのでちょっと銀行へ行くときとかにいいし、大きなバッグのときはこれと二つ持ちする。財布やメガネやiPhoneを入れると便利だ。

明け方の夢は地震の夢

今朝の地震の夢はリアルだった。がたがたっと揺れて目を覚まし「地震やっ」と叫んだ。目が覚めたときも揺れていたみたいで、いまになってもほんまに地震があったような気がする。さきに起きていた相方が地震なんかなかったでと言ったのが信じられない。それでネットで「履歴」を見たのだが、もちろん今日は関西に地震はなかった。
前の道路をトラックが通って荷物ががたんと音を立てたのか、強い風が吹いてベランダのドアががたがたいったのかもしれない。とにかくがたがたっと大きな揺れだった。
明け方に見る夢は正夢だとこどものころにだれかに教えてもらった。それからたまーに合ってたと思うことがあったが、最近は夢を見ていたことは覚えていても、夢の内容は覚えていないことが多い。
今朝は地震の揺れで目を覚ましたのだからどうもこうもない。正夢でないことを祈るのみ。

月の光

さっき空を見たら、真上にある満月が雲の中に入ったり出たり。まわりはビルだらけだけど月だけを見れば神秘な光を放っている。

昨日は松尾大社で素晴らしい体験をした。ライトがいろんな色や形を楼門や舞台にあてている他は月の光だけ。月の光を遮るのは大きな木の葉叢だけ。そばにいる人の顔も判然としない。複数の知り合いが来ていたのに確かめられず、帰ってからツイッターやミクシィでそこに居たのを知った。
それでふと思ったんだけど、昔は恋する人の存在を香りで判断したのだろう。だから香というものが大切だったんだろう。匂宮、薫宮と名前からしてそうだなんだもんと、ふんふんとうなづいている。「源氏物語」とか何十年ぶりに読みたくなった。

大阪にもどってきて地下鉄から上がると、いつもは「帰ってきた〜やっぱり新町はええなー」と思うのだけれど、昨日だけは「あれっ、ヘンな匂いがしてるなー、松尾とえらい違うなー」と思ったのだった。はは、いい空気を吸った後だから異臭に敏感になっておった。

スティーブ・ジョブズさん逝く

わたしのマックのブラウザはサファリでアップルのサイトがホームページになっている。今朝起きて開くとアップルストアが出ないでジョブズさんの笑顔の写真があり、横に1955-2011とのみ記してあった。あっとおどろき、まさかとニュース記事を読みにいったら、やっぱりお亡くなりになったという記事が並んでいた。
腰が抜けたような脱力感でしばし呆然。涙ぐみそうになるのをおさえて記事を読みあさった。ツイッターにはたくさんのツイートが並んでいる。リンクされている記事を読んだり動画を見たりした。そして当ブログのカテゴリー「マック・パソコン・ネット」を読むと、半年ちょっと前の3月5日にiPad2の発表があって、マックを見ながら夜中に騒いでいたことが書いてある。機嫌良くiPad2を紹介していた姿が思い出される。痩せていてちょっと痛々しかった。あの夜は今日のようなことが起こりそうな予感がしてはしゃいでいたような気がする。
わたしの人生の後半に思いもかけない彩りを添えてくれたジョブズさんに感謝するのみ。

ツイッターとミクシィのつぶやきにこう書いた。
〈朝起きてMacを開いたらジョブズの写真と1955-2011の文字が・・・。わたしがMacを最初に買ったのが1987年11月、それから24年、ずっとMacとともに暮らしてきた。iPhone3、iPad2もここにある。謹んでご冥福をお祈りします。〉

どんぐりころころ

近所のビオトープのある公園は実のなる木が多い。掲示板には樹木の写真と遊び方が書いてある。マテバシイ、アラカシ、あとは忘れてしまったがドングリのような実がなる木である。今日はいっぱい転がっているドングリをほいほいと拾ってきた。

ウキペディアを見たら【シイ(椎)は、ブナ科シイ属(Castanopsis)の樹木の総称である。ほかに、マテバシイ属のマテバシイ(Pasania edulis)もこの名で呼ばれている。果実のドングリは椎の実と呼ばれ食べられるので、古くから親しまれている。照葉樹林の代表的構成種でもある。】と書いてあった。

食べられるとあったので「椎の実の食べ方」で検索したら「大学生のための社会的責任投資概論 花咲爺の教え」にヒットした。「椎の実の食べ方」だけでなく他のページも勉強になりそう。
わたしはインテリア用に拾ってきたのだが、写真を見てたらほんまにおいしそう。生で食べると気分は縄文時代だそうだ。ちょっとようせんなぁ。

たしか夏目漱石の「三四郎」で、三四郎が池のそばにいるとふたりの女性が近くにおり、まだ知り合いになっていない美穪子があれはなんの木?と尋ね、相手は「あれは椎」と答えていた。

パラソル

パラソルという言葉が好きだけど日常的には日傘っていうかな。パラソルはハイカラな感じで少女小説的かしら。岡田茉莉子とか昔の映画女優を思い出す。
太陽光の強さに10年くらい前から日傘をさすのが当たり前になった。もっと以前は少なかったように思う。いまは長い手袋はめて黒い日傘をさして自転車に乗っているひとが多い。

わたしは昔から日傘をさして歩くのがわりと好きだったし、仕事で出歩くから必需品だった。ある夏に知り合い夫婦の事務所へ寄ったとき、女性のほうがわたしの日傘を見て、「日傘っておばちゃんぽいって彼がいいやんねん」と言った。わたしが彼の顔を見たら知らぬ顔をしている。彼女のほうがわたしよりもずっとおばちゃんぽいやん。もう10数年経つのに覚えている執念深いわたし(笑)。

濃淡の水玉が入った紺色の日傘は何年前に買ったっけ、7年くらい経つかな。バーゲンでお店の前に広げてあったのを一目惚れで買った。UVカットのベージュの折りたたみは近所のスーパーライフで買った。電車で出かけて降りてからの歩きが長いので持ち歩きように。
昨日2本とも洗って片付けた。また来年お世話になる。

出会い

昨夜はせっかくの湯豆腐と熱燗だったが、そのあと爆睡してしまい、起きてから仕事関連で会議(?)したりして、寝たのは明け方だった。今日は昼起きで昼寝を2時間。夜中になってから寒いなぁと言いながらCompufunkの『Ona’s_Bar』へ遊びに行った。おなさん、あべちかさん、れみちゃんの3人の美女の接待で楽しく遊ばせてもらった。あべちかさんのおでんが抜群にうまかった。家ではおでん作っても野菜と揚げなので、練りものがなつかしくうまかった。

そして、おもしろい出会いがあった。
知らない男子がこっちを見てにこにこ笑っている。最近は若い男の子の顔を覚えきれないので、どこかで会った子やろと笑顔を返した。そして横にいた初対面の女子Rさんとしゃべっていたら、911サウンドデモに行った話になった。彼を誘って行ったというとにこにこしていた男子が自己紹介。デモで暑がっていたわたしを、立花通りからアメリカ村を歩いている間中ずっとあおいでくれたKさんだった。わたしは長堀通りで脱落したが、そのときていねいに礼を言ってよかった(笑)。

そしてRさんとKさんは仲が良さそう。別々に聞いてみたら、RさんはKさんが好きだけど相手の気持ちがもうひとつわからん。Kさんも同じことを言う。まあ、照れてるだけやろけど、後押しというかお節介した(笑)。
他にも顔見知りが来ていてみんな調子良く接してくれ、いい気分で帰宅。

イタチの子

久しぶりで姉のところへ行った。通る道で家の前や公園で曼珠沙華をたくさん見かけた。そして、そろそろ金木犀の季節がはじまりそう。姉の庭には萩が咲きかけていた。
大丸地下で大阪寿司やら京都の漬け物やら黒船のお菓子などを買っていった。みんなうまかったけど座して食べていたらどうなるやら(笑)。

食べながらおしゃべりしていたら、縁側のガラス戸が開いたところに可愛い動物が・・・縁石の上に立って縁側に手をかけている子猫くらいの子。あれっ、イタチとちゃうかな、平気やなと言うているうちに去っていった。数分後にまたきた。好奇心が強いのかと思ったが、どうやら半野良猫の縞太郎の猫ご飯の匂いにつられたらしい。姉がこの子にもご飯をやろうかと言うので、食べてるときに縞太郎が帰ってきたら血ィを見るでととどめた。
結局5回くらい行ったり来たりだったのだが、最後はほんまに上がってきそうだったから、意に反したが追い出した。それからちょっとして縞太郎が帰ってきた。匂いを嗅いでいやーな顔をして、ご飯を食べずにイタチが走っていった先を調べにいった。

子どものころは道を横切ってイタチが走るのをよく見た。「ネコがネズミとってイタチが笑う、ほいほい」とはやしたものだ。最近も夜中に街を歩いていると見かけることがある。いつもフルスピードで正面からの顔なぞ見たことがない。生涯に一度のイタチとの対面だった(笑)。