水引草に風が立ち(わたしの戦争体験記 13)

立原道造の詩「のちのおもひに」の一節
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

山梨県に疎開してよかったのはかっこよくいえば自然と触れ合えたこと。東京都品川区→大阪市西区の都会っ子だったから山梨県へ行った当初はすごくおどおどしていた。人間もだけど道に蛇が横たわっていたりね。夏休みが終わって二学期がはじまり、新入生はわたしだけだったので注目された。もう一人大阪から来た子がいたが一学期からなので、彼女は意識してわたしには東京の子っぽく振舞っていた。

学校に通う道の左側に大きな竹やぶがありその横に清水から流れ出た小川があり、川端に雑草が生い茂っていた。その中に夏は赤まんまがいっぱい生え、秋になると水引草が咲いた。そのころはもちろん水引草なんて知らずにただ気に入っていただけだけど。
履いて行った運動靴が破れても代わりを送ってこないので、みんなと同じように下駄や藁草履を履いて登校した。下駄はだんだんちびて鼻緒は切れ切れで情けなかったが、じっと我慢の子。そんな姿には水引草がよく似合う、なんて考える子だった。

のちに詩集など読むようになって知ったのが冒頭の詩である。あの花だ!と思った。しかし大阪では水引草にお目にかかったことがない。詩だけを胸に日にちが経った。
大阪へもどり、友達もたくさんでき、働き出してどこへでも出かけるようになった秋のある日、友達と天王寺公園内の植物園に行った。当時は温室もありいろんな植物があったが、いまはなくなったのかな。植物園内の庭にいろんな植物の植え込みがあって、なんと!水引草が咲いていて、掲示板に名称も書いてあった。植物園だから水引草も大きく伸びて立派で、風が立ちという風情はなかった。当時はカメラもなく長い茎を折って持って帰るわけにもいかず、思い出の水引草の確認をしただけで帰った。

いまは姉の庭に毎年雑草ぽく咲くし、花屋で売ってるのを見たこともある。どちらも見るだけでもらいも買いもしない。水引草はわたしの思いのなかにある。