焼ける前の大阪、川があって馬がいた(わたしの戦争体験記 66)

れいわ新選組候補者の一人やすとみあゆみさんが馬を連れて新宿に現れたのをツイッターの動画で見た。その数日後に見た演説会の動画では、やすとみさんは馬と人について語られていた。そうだ、そうだ、わたしが子供のころ、近所の道を馬が歩いていて、決まったところで水を飲んでいた。水は道路脇に水道栓があって容器に溜めた水を馬が飲めるようになっていた。
道路には馬糞が落ちているので歩行注意だったっけ。フンを撒き散らしながら歩いている馬もいた。そうだ、馬が日常的にいた。

家から格子戸を開けてろーじ(路地)へ出て石畳の道を抜けるとアスファルトの道へ出るのだが、路地の終わりのところに大きな水たまりがあった。天気が良いと空が水に映って美しい。のぞいていると吸い込まれそうだった。
水たまりをそおっとまわって大通りに出ると、アスファルトなのに水たまりが多くて、溜まった水にガソリンがこぼれてピンク色に染まっている。美しい縞模様にうっとりした。いま思い出すと路地から出たすぐのこの道は新町南通になるのかな。そこからもうひとつ南の川に沿う大きな通りはいまの長堀通りだ。いま地下鉄があるところは川だった。
川に橋がたくさんかかっていて、走って渡ったり友達と手をつないで渡ったりした。よく覚えているのは白髪橋と問屋橋だ。ずっと東に行くと「橋を四つ渡りけり」の四ツ橋がある。橋の向こうは北堀江。友達が住んでいてよく遊びにいった。北堀江も新町も色街だった。
馬が荷車を引いてぽこぽこ歩いていて、荷車にはおっちゃんが前方を見ながら坐っていた。