花田清輝「復興期の精神」のころ

今日ツイッターでフォローし合っているかたが「花田清輝」のbotをリツィートしてくださった。すぐにフォローしてツィートを読むと、これが花田清輝の話し方だったよなとうなづける言葉があった。
きっかけはなんだったのか覚えていないが、60年代はずっと花田清輝のファンだった。「復興期の精神」はバイブルのようなもので、西欧へのあこがれをかき立ててくれた。何度も何度も読んで記憶していたくらいだから、文章の最初がわかれば、いまでも続きを暗唱できるかもしれない。

わたしは孤独な文学少女だったが、和文タイプの教室で知り合った人の彼氏のTがやっている同人雑誌の仲間に入れてもらった。そのT氏や中心になっていた労演事務局の人などと知り合って、タイプ印刷の冊子に原稿を載せてもらった。そういうときに知った花田清輝だった。
あるとき文芸講演会があり5人ほどの講演者の中に花田清輝と野間宏が入っていると聞いた。わりと広い会場だったがどこだったんだろう。
花田清輝はかっこ良かった。ハンカチをポケットから出して両手で持ち替えつつ話していた。内容は忘れたがハンカチを持っていたことだけは覚えている。「だれかくみこにあのハンカチをもらってきてやれや」とからかわれたが、それを言ったK氏が亡くなったと人づてに聞いた。そのときいたWさんとT氏が亡くなったのを最近ネットで知った。

60年代も後半になると「アヴァンギャルド芸術」「近代の超克」「もう一つの修羅」を読んだがそれほどの熱狂はなく、「復興期の精神」で花田さんがふれている作家や、もっと新しい作家の作品を読むようになっていった。
花田さんはその後はけっこう有名になったみたいで、父親が読んでいた文芸雑誌に「ヴィクター・マチュアに似ている」と写真付きで出ていた。たしかに似ていた。ヴィクター・マチュアが「サムソンとデリラ」に出ていたころの話だ。
そうそう、ミステリを書くと言われていたように覚えているが結局書いてないのかな。チェスタートンのことを書いていたのを思い出した。

わたしは運がよくて、探さなくても文学仲間に恵まれたし、山に登ってみようと思う前に登山青年が目の前に現れた。音楽もしかりでいろんな分野のかたと知り合いになっていまにいたる。パソコンとネットでは相方にお世話になっているがこれも運命のなせるわざ(笑)。

なんか最近はツイッターで昔読んだ本や昔見た映画を思い出させてもらうことが多い。思い出したことはぼちぼちと書いていこう。