「世直しカフェ Vol.1」に参加して思い出したこと

18日の学習会の感想をいつものようにその日に書こうとしたんだけど書けなかった。今日はもう書かなあかんなと思ったが、タイトルが重くて最初からしんどい。思いついたことなど書くしかないな。

テーマ:在日朝鮮人の運動と弾圧&ナショナリズムと戦後責任
講師:朴栄致(朝鮮総連東成支部)/下地真樹(阪南大学准教授)

わたしが在日朝鮮人の存在をはじめて知ったのは小学校の6年だった。クラスで「ニンニク臭い」と言われている子がいた。そのウワサはじわじわと広がっていって、その子とつきあうといっしょに仲間はずれにされそうだった。わたしはニンニクがなにかを知らなくて、家で食事のときに父親に聞いた。そしてはじめて在日朝鮮人の存在を知った。その子はわたしが近づこうとしても離れていた。わたし自身も本ばかり読む子であまり友だちはいなかったが、それとは別の話だ。

それから10何年も経って、わたしは数人の女性たちと歴史学研究会という大層なサークルで勉強していた。講師は阪大や大阪市大の学生が代わりばんこにやっていて、堅苦しい上にヘタクソだった。あるときの講師がKで、いままでの失敗から学んで講義の方法を変えると言い、講談口調で日本史のある部分を語った。笑ったけど、わたしら勉強に来てんねんでと彼に言って旧来の講義調に戻してもらった。
彼は在日だと陰でささやかれていたが、わたしも本人もそういう会話はしなかった。彼が結婚したときは生活費の足しにとカンパをしたことを覚えている。ある夜、なんのデモか忘れたが、梅田を在日韓国人のデモの列が通っているのを見ていると、Kがプラカードを持って照れくさそうにしていた。よっしゃーと思った。
それだけのことだけど、それからもう半世紀経とうとしている。数年前に会った友人がKも死んでしもて、当時の友だちで残っているのは君と僕だけやと言った。その友人も去年亡くなった。こちらは有名人なので新聞で知った。

下地先生が「在日問題は日本人問題」だと言われた。わたしがいまも感じる歯の間にご飯粒が引っかかっているような在日問題だって日本人問題だ。