四方田犬彦『歳月の鉛』からちょっとだけ

読む前から覚悟していたが、この本は暗い。この本だけを長時間読んでいるのはしんどいので、他の本を混ぜながら少しずつ読んでいる。今日は気に入った一箇所についてだけ書いておく。

本書が書かれている時代は先日読んだ『ハイスクール 1968』のあとになる。高校生だった筆者は東大へ進学しようとして受験に失敗し予備校へ通い、一年後には合格して東大生になった。1970年代の学生生活の暗さが言葉から立ちのぼってくる。

本書の出版は2009年で「あとがき」には【1970年代とは文字通り、停滞のなかで両手両足を縮めながら、いかにして生き延びるかを模索していた時間であった。】とある。そして本書を書くにあたってこの時代に書き続けたノートを読み直して当時の感情を回復した。わたしはいま73章のノートからの引用が挟んであるのを読んでいるところだ。

途中で気がついてにやっとした箇所がある。
引用の(23)はポール・ニザンについて。20歳のニザンは融通の利かない社会にうんざりしてアデンに向かった。そこで少しニザンと旅について説明をしたあと、【生きるとは旅行をすることではなく、慎重にひとつの場所に辛抱強く定着するということなのだ。真実を得るにはじっと待ち伏せしていなければならないのだ。】とある。
そうや、そうやとわたしはつぶやき、そして大声で言った。「四方田さん、若いときにもうわかってはったんやなあ」
とても有益なというか我が意を得たりの読書をしていると思うと楽しい。
(工作社 2009年5月発行 2400円+税)