福島県飯館村の酪農家 長谷川健一さん講演会〈原発に「ふるさと」を奪われて〉

主催:阪南中央病院労働組合「六ヶ所村ラプソディー」を上映する会in阪南病院 講演場所:河内松原 ゆめニティまつばら 多目的ホール。
久しぶりの遠出なので早めに出かけてよかった。近鉄南大阪線で河内松原駅下車を乗り過ごし藤井寺まで行って戻った(笑)。
会場にはたくさんの人が来ておられ熱心に聞きいっていた。わたしはいつものように前のほうに席をとった。

長谷川さんは友人の写真家や自分で撮影した写真と動画を見せながら話しはじめた。
「わたしは東北の人間でずーずー弁です」とずーずー弁で言って笑わせてからシビアな話題に入った。
福島は現在進行形であること。オモテではマスメディアが発信して終ったかのようだが、ウラではさまざまな現実が進行している。

飯館村は日本一の美しい村だった。峠の上から下の方に村が見える。春にはわらびが芽を出したくさんの人たちが訪れる、までぃー(“美しい”のほかにもいろんな意味のある東北弁)な村だった。いまの村長とは酪農家どうしで16年になるつきあいだが、311以後は分断してしまった。

3月11日は畑仕事をしていたら地震。畑が地割れしたのであわててトラクターを安全な場所に移し家に帰った。停電した村を部落長として巡回しているといやな予感がしたが原発とはそのときは思わなかった。
3月14日、3号機爆発。15日夕方から緊急集会を開いたが、雨と雪によって放射能が体についたのをまだ知らなかった。この日は原発からまっすぐに飯館村の風が吹いた。それを国と県が隠蔽していたので知らなかった。

長谷川さんの家に写真家森住卓さんやフリージャーナリストがたくさんやってきて泊まって取材するようになった。
21日には水道水から放射性ヨウ素が見つかった。国と県と村の要請で御用学者がやってきて安全説法がはじまった。
27日に京大の今中助教が測定して異常な高さであると教えてくれたが、外で大人は仕事、こどもたちは遊んでいる。原子力保安院とかえらい人が安全だと言ったから。

「原発さえなければ」と遺書を遺して隣村の酪農家の友人が自殺した。隣の部落の102歳の女性が家族の邪魔になるからお墓に避難すると書き残して自殺した。その他多数の自殺者が出た。

村はいま雑草だらけで野生の王国と化している。被曝を覚悟で田んぼだけは世話をしているが、あとは放ってある。
ここでスクリーンにずらっとミイラ化した牛の死体が映し出された。その向こうの通路になっているところには豚の足跡がいっぱいだ。倒れた牛を野生化した豚が食べたという。牧場ではイノシシも飼っていたが山に帰って野生化している。

飯館村では村長が国と一体になって除染にまっしぐらに進んだ。放射能は日本の学者によると土着化するから除染がよい、外国の学者によると全部は土着せずに浮遊する。それに山や森の除染をしないと流れ落ちてくる。長谷川さんはいま2本のレールがあると言う。1.除染、2.村を離れること。

こどもに差別が起きている。こどもらは飯館村生まれを背負って生きていかねばならない。自分にはこどもらをすぐに避難させなかった負い目がある。

事故は終っていない。風化させない。収束宣言とはなにを言うているか! 去年まで講演会をするとテレビカメラや記者が来たが、今年はなにも報道されない。

いまは伊達市の仮設住宅にご両親とご夫婦で暮らしておられるそうです。飯館村の24戸が同じ仮設住宅で暮らし、近くの土地を借りて家庭菜園をしているとのこと。

お話が1時半から3時までで質疑応答が30分でした。
以上、わたしのメモから書き写しました。
帰りに本を買ったので読んでから感想を書きます。(長谷川健一『原発に「ふるさと」を奪われて』宝島社発行 1400円+税)