広瀬隆さんの講演会〈「第二のフクシマ 日本滅亡」主催:福島のこどもたちを応援する会 〉が西淀川区民会館であった。
阪神電車の福という駅からすぐというので、桜川まで歩いて尼崎行きの阪神電車に乗ったらロマンスシートだったので旅気分(笑)になったがすぐに着いた。淀川の鉄橋を渡ってすぐの駅だ。
会場についていつものように最前列に座ったら、広瀬さんにいちばん近い席だった。
広瀬さんの講演は二度目である。「東京に原発を!」(JICC出版局)が出たばかりだったから1981年のはず。アメリカ村のボウリング場だったところにぎっしりと若者が詰めかけて3時間の熱い話を聞いた。それから30年以上経った今日、広瀬さんは同じようにほっそりとして情熱的に語った。
あのときわたしには福島原発事故が起こるなど想像もできなかった。東京に原発を建てるべきだと思ったが、福島に建てても東京に被害が及ぶなんて想像できなかった。
パワーポイントで画像を出しながら語られた。まず「福島原発事故の真相と放射能汚染の恐怖」の文字が大写しで出た。
大阪の放射能は東京の1/10くらいで、そのせいか名古屋から西の人間は放射能汚染への関心がぬるいと話がはじまった。
福島第一原発の現状について写真とともに詳しい話。米国の著名な原子力技術者アーニー・ガンダーセンの著書「福島第一原発——真相と展望」(集英社新書 700円+税)からも引用されていた。この本は家にあるけどわたしはまだ読んでなかった。広瀬さんの話が整理しきれなかったので、詳しくはお互いにこの本で。
広瀬さんの原点。60年代から70年代は高度成長時代といわれていたが、光化学スモッグ発見の年で、実は大公害時代のはじまりだった。
そこからさかのぼって被曝の歴史について。キューリー夫人など研究者や医師の被曝、時計の夜光塗料を塗っていた女工たちの被曝、妊婦のレントゲン写真でこどもの癌、コロラド州ロッキー・フラッツの核施設、低線量被曝した皮膚がんの医師、などの被曝の歴史。
人間は二足歩行をはじめてから自然界の放射能を体内から出すようになっている。1945年(広島・長崎への原子爆弾投下によって地球上に放出されたのが最初)以前にセシウム137はなかった。いまは体内に放射線をあび続けている。
東京は福島との間に山がなく、風が放射能を運んできた。いま広瀬さんの自宅や公園を測ると高いベクレル数がでる。カウンターは空間線量を測るものなので、エアフィルターをレントゲンで感光させた写真で見ると、シアトルはほとんど空白、東京はかなり汚染、福島はすごく汚染されている。
東京湾の汚染がひどい。霞ヶ浦でセシウムが増えている。水源大汚染で太平洋側にも日本海側にも流れる川の水が汚染されている。汚染は海水に溶け、海底に溜まるので今年から来年にかけて深刻な事態になる。
体内被曝について。
いままで「内部被曝」という言葉を使っていた。3日に話を聞いた守田敏也さんの著書も〈矢ヶ崎克馬・守田敏也「内部被曝」(岩波ブックレット)560円+税〉「内部被曝」なのだが、広瀬さんは「体内被曝」とおっしゃった。これからは「体内」のほうがわかりやすいので、「体内被曝」ということにする。
X線、原爆による閃光、大気中の実験などは体外被曝である、アトミック・ソルジャーやこどもの癌はこれにあたる。
体内被曝は皮膚がんと同じものが体内に濃縮していく。レントゲンは一瞬だが体内に取り込むと体内にある限り放射線を出し続ける。
(体内被曝については矢ヶ崎克馬・守田敏也「内部被曝」を読んでから書きます。)
それから津波と地震の話。津波の画像がいろいろが映し出された。
いまは大地震の時代である。大飯原発は大丈夫か。
大飯原発で直下地震が起これば制御棒を差し込む時間はなく即爆発する。大阪の人は道路渋滞で逃げられない。窓に目張りして部屋に閉じこもること。琵琶湖もやられるから、水と食糧を備蓄し、防護マスクを用意しておく。現金も持っているべき。
最後におっしゃったこと。
ここに来ている人はわかっているからいい、来ていない人を変えていくのが大事だ。となりにいる人に話そう。
広瀬さんの新しく出る本、「原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論」(集英社新書)