マイケル・ウィンターボトム監督『ウェルカム・トゥ・サラエボ』

ちょっと前にマイケル・ウィンターボトム監督の「GO NOW」を見たら他の作品も見たくなった。知っているのは映画館で見た「日陰のふたり」だけかと思ったら「24アワー・パーティ・ピープル」(2002)を2回見て感想を書いていた。

今日はいつか見たいと思っていた「ウェルカム・トゥ・サラエボ」(1997)を見て、その勢いでマンチェスターつながりの「24アワー・パーティ・ピープル」をもう一度見てしまった。久しぶりの二本立て。

サラエボでは1984年冬季オリンピックがあった。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争によるサラエボ包囲は1992年4月から96年2月まで続き、12000人以上が殺害され、50000人以上が負傷したものと推測されている。死傷者の85%は軍人ではない市民であったそうである。

映画はテンポよくはじまったが、街中での銃撃が続き、結婚式に向かう家族が銃弾で倒れる。子どもが走って逃げて行く。イギリス人のヘンダーソンやアメリカ人のジャーナリストたちが現地の運転手を雇って特ダネを目指して撮影に向かう。彼らは銃弾の嵐の中の子どもたちを救おうと報道するが、むくわれない。バスで子どもを救出する活動をしている女性を知ったヘンダーソンは、街で出会った少女エミラを連れてバスに乗る。エミラが片時も離さず世話をしていた赤ん坊はバスを停めた兵士に連れて行かれる。イギリスの自宅へ帰ったヘンダーソンは妻の同意を得てエミラを養女として育てようとする。イギリス生活になれたエミラだったが、そこへサラエボからエミラの母親が返してほしいと言ってくる。再びサラエボにもどったヘンダーソンは養女の署名をもらうべく破壊された街の中を探し歩く。

ヘンダーソンのイギリスの家が緑に囲まれてインテリアが素晴らしいのにおどろいた。上流階級出身なんや。そして子どもを養子にするのが自然に行われるのにもおどろいた。

大阪は第二次大戦のとき、3月から8月までアメリカ軍による爆撃を何度も受けて市民は逃げ惑った。わたしの家族はばらばらになって逃げたが、あとは郊外で再会できて食べ物はなかったが生き延びた。その後は母親と小さい子どもは山梨県へ逃れたがまさに難民だった。
いま、そんなことも思い出しつつ福島を想う。