レジナルド・ヒル「ベウラの頂」(3)

10日以上ずっと本書を読んでいる。本を読む時間が少ないせいもあるけど、それにしてもこれだけ長く1冊の本を読んでいるのはめずらしい。二度は最初から読んで、つぎはお気に入りのところを繰り返し読んでいる。

読んでいるうちに映画「ピクニックatハンギング・ロック」(1975)を思い出した。オーストラリアで実際に起こった事件を書いた小説をピーター・ウィアー監督が映画化した。1900年のバレンタインデーに寄宿学校の女子生徒たちが岩山へピクニックに行き、3人の少女が魅せられたようにずんずん登っていき姿が消える。白いドレスの少女たちの美しさと儚さがいつまでも残る映画だった。

15年前にデンデイルの村から3人の少女が消えてまだ見つかっていない。そのとき捜査に関わったダルジール警視とウィールド部長刑事はその事件を忘れることはない。近い場所でいままたひとりの少女が犬を連れて散歩中に消えた。

15年前、貯水池にするためにデンデイルの村は全村が移住させられた。絵本「みずうみにきえた村」(ジェーン・ヨーレン文/バーバラ・クーニー絵 ほるぷ出版)を見ると、ニューイングランドの村がボストンに水を供給するために消えて湖になった様子がくわしくわかる。そのように「ベウラの頂」を仰ぎ見る村も水没させられた。いまは水位がさがって壊された昔の村が峯から見える。

今回の事件はダンビーで起こったが、前回の事件と似ている。「きっと少女を襲った野郎はそこでやめられないだろう」とダルジールはいう。二度目の犯罪を起こさせないこと、いまの事件の解決と15年前の事件をいまこそ解決しなければ。それぞれの警官たちが動く。

ピーター・パスコーは娘ロージーが重病にかかり生還した体験から事件に深い関与の気持ちを持つ。
【「・・・ぼくはデーカー夫妻に対してそういう気持ちなんだ。彼らに残されているのは、知るということだけだ。ぼくがこの段階で言っているのは正義でも報復でもない。ただ単に知るということだけだ。この点で、ぼくは間違っているかもしれないが、彼らに対して、また、ロージーをぼくらに返してくれた神だか盲目の運命だかに対して、ぼくにはこの件を確かめる責任がある。】

15年前に行方不明になったひとりの少女の家を訪ねると、窓台に野の花が生けてある。キツネノテブクロとオニタビラコ、わたしも知っている野の花なのがなんとなくうれしい。
(秋津知子訳 ハヤカワポケットミステリ 1800円+税)