昔の知り合いからメールが届いたもので、ジャズ喫茶のことなんか思い出したり、ついでに検索して遊んでいるうちに今日がなんの日か思い出した。51年前に大阪フェスティバル・ホールでアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを聞いた日である。ものすごい衝撃を受けたんだけど、忘れるともなしに忘れていた。
ところが数年前にSUBに行ったとき、壁に貼ってあるアート・ブレイキーの写真を見て、西山さんにあのときわたしもあそこにいたと言ったらすごく喜んでくださった。それ以来、いろんなお客さんやミュージシャンに「彼女は1961年にあそこにいたんや」と写真を指差して紹介してくれた。毎週金曜日の竹田一彦さんとのデュオのときに竹田さんが「わしも行っとったで」と言われて、三人組みたいな感じになった(笑)。それでSUBへ行くとわたしはクミちゃんだった(笑)。
去年の夏に西山さんが亡くなられた。「暑い! 冷たーい水を呑んでください。 体に気をつけましょうね!」というメールが残った。
51年前に生意気な娘だったわたしはお金を工面して行ったアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズに熱狂したが、西山さんはあまりのすごさにジャズをやめようかと思ったと語っていた。ちょうど50年後にジャズベーシストとしての人生を終えられた西山さんに想いを馳せる夜、わたしは61年前と相変わらず心は生意気な娘(笑)。