1994年のボブ・ディラン

ボブ・ディランにノーベル賞ということで名前や写真を見る機会が増えた。もらっても断っても話題になる人である。サルトルのように断るのをかっこいいという時代でもないから、もらっておいたらええやんと思う。

わたしはずっとジャズを聞いてきて、ジャズミュージシャンの来日公演にはずいぶん行った。70年代の終わる頃にパンクに目覚めたが、それまではローリングストーンズさえ気にしていなかった。80年代は同時にボブ・ディランを含めてロックを吸収しようとしたから大変だった。

90年代はニューウェーヴからも遠のきつつあり、アフリカやアイルランドなどの音楽を聞いてみようかと思ってレコードを買いだした。レコードからCDになっていたかしら。
そんなときアメリカ村のバオバブって中古レコード店をやっている女性と知り合った。バオバブは20年もやっていた店を今年閉めてネット販売専門店になっている。いまサイトを見たら「広大なアフリカ大陸のほぼ中央に位置する、コンゴ民主共和国(Democratique Republique Du Congo = 旧ザイール)」のめくるめく優美な音楽の専門サイトです。」とあった。
勧められるままにザイールのレコードを買ったのを思い出した。でも都会派というかやっぱりパンクっぽいのが好きなわたしには大地の音楽はちょっと遠かった。

いやいや、いろいろ思い出すことがあるもんです。

今日の話題はボブ・ディラン。
バオバブの彼女がチケットを買ったのに行けなくなったという知らせがオフィスの隣室のMさんを通じて入ってきた。1994年2月12日 大阪城ホールの入場券が2枚あった。けっこう高かったが、それもそのはず、前から10番目くらいのアリーナ席だった。椅子はあったがずっと立っていたように覚えている。歌うボブ・ディランの眼光はするどく一瞬射すくめられたようなときがあった。