電話がたのしいとき

こどものときは家に電話がなかった。向かえの酒屋さんから「電話かかってるよ」と呼ばれて慌てて出たものだ。家族が多いから呼び出しも多い。そのお礼にお酒をたくさん買っていたと思う。
かかった電話は出たら話せるが、かけるときは困った。酒屋のおじさんにダイヤルをまわしてもらって、受話器を握った。あるとき「反対や」といわれて気がついた。聞くのと話すほうと間違えていた(笑)。
働きだしたら電話に出るのも仕事のうちで、取引先からかかると「お世話になってます」とか「まいどどうも」とかいわんとあかんので苦労した。
登山やうたごえ活動など打ち合わせの電話が会社にかかる。偉いさんの渋い顔を尻目にしてかかってきた私用電話の相手をしてた。だって連絡手段が他になかったから。まあよく働く子だったから偉いさんも面と向かってはなにもいわなかった。いま思い出すと顔から汗が出る感じ。

最初に住まいに電話を引いたのが泉北の公団住宅に入ったとき。それまで岸里の暗い文化住宅に住んでいたから、新築の明るい部屋に電話があってうれしかったなあ。そのころは友だちと電話で話すのが楽しかった。ただ東京の友だちと話すとお金がかかる・・・向こうからかかるとお金がかかると気を使う。懐かしい過去の風景。

今日、久しぶりに姪と話して楽しかった。双方が機嫌よくしゃべって笑って終わったのが気持ち良かった。