二度目の大病は脊柱管狭窄症

昨日は東京の思い出はジフテリアに罹ったことのみというようなことを書いた。これからいろいろと思い出して入院のことなど書こうと思っている。

その前に年末からの病気からようやく抜け出したと思うのでまとめを書きます。

何度も書いたけど、自己判断で病名は脊柱管狭窄症である。それに30年来の膝痛が重なって、この冬の寒さの中でひどい風邪を引いて三重苦であった。

始まりは秋頃だった。姉の夫が亡くなってから8年、最初は月に一度か二度姉の一人暮らしの家に行っていたが、だんだん要求が増えて毎週行くようになった。初めの頃は地下鉄を二度乗り換えて、駅から15分歩いていたが、しんどいので駅からタクシーで行くようになった。タクシー代をもらえるとなると、梅田で買い物をしていくようになり、だんだん品目が増えていった。
次は梅田で買い物をしてタクシーに乗るようになり、この2年くらいは家から梅田までもタクシーとなった。それだけ身体がもたなくなったんだけど、自分は丈夫にできているという過信があった。

おととしの夏くらいから帰りは姉の家から新大阪までタクシーに乗ることにして、新大阪から家までは地下鉄にした。新大阪にショッピング街ができたので、本屋や洋品店に寄る楽しみができたが、去年の秋ごろから、買い物をすませて地下鉄に乗ろうと歩いていると腰がしんどい。腰を伸ばして歩こうとしても足がいうことを聞かない。地下鉄のホームに上がってベンチに座るとほっとして腰が治る。電車で座ると元気なものである。心斎橋で降りて乗り換えるのに歩いていると、いつも同じところで腰がだるくなる。丸い椅子が並んでいるところで座って息を整えて電車に乗った。

こんなんが続いていても疲れてるんやと思って、できるだけ体を休めるようにしていた。そのうち梅田へ出ても帰りは疲れてタクシーに乗るようになった。高齢者乗車券があるのに地下鉄に乗るために歩く元気がない。
そのうちに堀江に出るのにタクシー、帰りもタクシーで家計があっぷあっぷ。それでもまだ疲れだと思い込んでいた。

12月に入っても同じように姉の家には週一で出かけていた。買い物が重くて百貨店から外に出てタクシーに乗るまでがしんどい。
そして去年最後の週に倒れた。正月休みは食べて寝て過ごした。

いちばんひどいときは歩けないし立てないので、夫がネットで車椅子を注文した。でも、わたしは楽観的でこの状況を病気とは思えなかった。

年末と正月を寝て過ごして、義弟からの年賀状をゆっくりと眺めていて、これだ!と思った。症状がいっしょなのだ。
そして、教えてもらった本を買ってテニスボールストレッチに励み、いまも毎日3回やっている。効果あり。
膝痛のほうは整形外科に行って水を抜いてもらった。毎週ヒアルロン酸を注入してもらっている。この歳になったらどうのこうのいわずに、いまある方法をやってもらったらいいだろう。30年間は何人かの整骨院の先生にお世話になったが、この膝がいままで持ちこたえてきたのは整骨院の先生たちのおかげである。

以上さらっと今回の病気のおさらいを書いた。
わたしとしては4歳のときかかったジフテリア以来の大病である。
3ヶ月外を歩いてなかったので、歩くところからはじめているが、先が見えてきたので気分がよい。もっと回復して夜遊びしたい。目的があると回復が早いんじゃないかしら。でも歳だからぼちぼちですね。