桑の枝の皮をむいて供出

山梨県へ着いたのは夏休みがはじまって間もなくだった。母と学校へ行って先生に挨拶したらすぐにお国へ協力するようにいわれた。桑の枝をむいて乾かし束にしたものを二学期の最初の日に持ってくるように。集まった皮は繊維にする。そして軍服になるのだとのこと。
叔父が桑の枝を切ってきて、母と姉とわたしで皮をむいた。わたしにはそんなことするのは無理だったなあ、これも叔父さんが助けてくれた。

母と姉と弟2人が大阪にもどったあとの二学期の最初の日、むいた皮を干して束ねてリヤカーに積んで学校へ持って行ったら4貫目あった。他の生徒はもっといっぱい持ってきていた。10貫目の子もいた。(※1、1貫目は3.75kg     ※2、この行為を「供出」といった)

この皮の繊維で作った軍服が実用になったかは知らない。学校で先生がこれがあんたたちの桑の繊維で作った服と見せたことはあった。ごわごわして気持ち悪かった。

昭和19年夏、国民学校4年生の二学期はこうしてはじまった。