仮病でずる休み(わたしの戦争体験記 19)

疎開先の人たちに悪い人や威張った人はいなかったが、みんな働き者で、小さい女の子にかまっていられない。叔母さんだって洗濯はしてやらなあかんし、まずご飯を食べささなあかん。誰とも話をする時間なんてなかった。祖母だって孫をおんぶして繕い物したり、蚕の糸をとったりしていた。

家のいちばん奥というか仏壇のある客間のような部屋に祖母と孫の6歳の男子とわたしが並んで寝た。田舎の人はみんな早起きで、わたしが目覚めるころは一働きしたあとだ。
そろそろと起き上がって井戸端で顔を洗い、いろりのある台所へいって朝食を食べる。それから学校へ行くのだが、10日に一度くらいわたしは頭いたかお腹ぐあいが悪くなることにして起きていかなかった。叔母さんと叔父さんは顔を見合わせて苦笑いしてたみたい。

起き上がらないでじっと天井を見ながら寝ているといつのまにかうとうと(笑)。トイレが遠いのにはまいった。そっと縁側から庭の裏の方に出て、そぉぉっと・・・雪が降ってると白い雪が黄色く染まったっけ。近くに住むK子が学校帰りに寄って連れ出してくれた。

叔母が母に久美子は勉強しないし学校はさぼるしと手紙を書いたらしく、母親から厳しい叱責の手紙がきた。叔母さんに勉強するくらいなら本を読めと父親がいったともいえず、黙って下を向いていた。この父親は「雨が降るのに学校へ行くことはない」という人なのだ。
学校へ行く途中で下駄の鼻緒が切れたからと裸足で帰ったこともある。ところがある日、親切な女性が鼻緒を直してくれたので、その日は帰らずに学校へ行くはめになった。1時間目だけ遅刻で情けない一日。