恵林寺へお参り(わたしの戦争体験記 27)

ある日曜日の朝、近所のK子と遊んでいると上級生がついてこいといった。これから「えりんじ」へ行くからしっかり歩けとのことで、モンペにゲタばきだったがついていった。遊びに行くからって着替える服はないし、靴はないし。

いま地図を見たら、山梨県甲州市塩山小屋敷2280恵林寺とある。そこまで後屋敷村(いまは山梨市)から歩いていったのだが、地図を見たら記憶にあるほど遠くない。実はそんなに大変なことではなかったのかもしれない。5・6年生はうんと大人でみんなを引き連れて歩いていた。

野道といってもけっこう立派な道だったが、覚えているのは道の両側が畑で、わたしらは腕を組んだりして歌謡曲をうたいながら歩いていた。

青々とした野菜畑や道端にタンポポやレンゲの花が咲いていたから春だったんだろう。つまらんことを覚えているもので『野崎参り』の歌がぴったりだと思ったっけ。

やがて立派なお寺に到着し、引率者が寺の由来など教えてくれた。

恵林寺サイトの「恵林寺の歴史」には「4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は『心頭滅却すれば火もおのずから涼し』と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。」と書かれているが、その通りの説明であった。甲州人の心に刻まれている言葉なのだろう。のちにおばあちゃんから聞いたし、母も話していた。

引率者は自分より年下の者に甲州魂を伝えたかったのだろう。

帰りはただうらうらとした春の日の野道を歌いながら歩いていた記憶のみが残っている。鳥の鳴き声も。