1985年

昨日は1985年に開催されたライブエイドをテレビで見るために病院から外泊許可をもらったことを書いた。6月20日ごろに倒れて救急車で運ばれて即入院。手術はしないで輸血と薬と睡眠で1ヶ月の安静と診断された。倒れた時は太陽がギラついていて数日好天が続いたが7月に入ると雨の日が多くなった。

救急車で運ばれたのは本田にある大阪掖済会病院だったから、うちからは西へまっすぐに30分くらい歩いたところにあり、途中に松島公園と松島橋があった。アジサイとクチナシが雨に打たれている植え込みのそばを長靴履いてぱしゃぱしゃ歩いて行った。
毎日昼ごはんがすむと病院へ行って夕方までいたが、ちょうど名古屋場所のときで千代の富士を応援してたから済むまでテレビを見ていて帰った。

そうそうもういっこ思い出した。休んでいる間にわたしの両方の親知らずを抜いたんだった。心斎橋の日航ビルにあった歯科に行って抜いてもらったのだが、帰り道は大丈夫かと聞かれ、次回行くと、抜いた後は晩ご飯を食べられましたかと聞かれた。えっ、昼ごはんもしっかり食べましたと答えて歯医者さんをびっくりさせてしもた。実は食べることはしっかり食べたんだけど、からだはしんどくて病院から早々に帰って寝たっけ。

1985年をよく覚えているのは、プロ野球の阪神タイガースが優勝した年だからだ。あの夜は晩ご飯にお赤飯を買っておいて食べ、野球中継が終わってすぐに家を飛び出した。梅田へ行ってファンの渦の中に入り、「御堂筋を行進しよう」との呼びかけに応じて道頓堀まで歩いた。夜中を過ぎても大騒ぎが続いて、わたしたちも明け方近くまで騒いでいた。

いま思い出すと、夫が一生に一度の大病をした年であるが、ライブエイドに熱中し、阪神タイガース優勝で騒いだおもろい年でもあった。体調を気遣って仕事をセーブしたので、それ以来お金の苦労が絶えなかったが、なんとか切り盛りして現在に至る。いまも懐が苦しいっす。入院したときにタバコをやめてよかった。