桑の皮の国民服と桑の葉のお茶(わたしの戦争体験記 57)

桑の実ほど美味しいものはなかったといまも思うほどに、疎開した山梨県の桑の実は美味しかった。田舎の子が食べているのをあんまり見たことがなくて、わたしは一人でむさぼり食べていたが、みんな桑の実よりうまい果物が自分の家の庭にはあったんだろう。むさぼっているところをじっと見つめられた記憶はない。桑畑がいっぱいある上に畑の外側や道に勝手に生えている木があって、たいていの木に実がなっていた。

疎開した4年生の夏休みの宿題に桑の枝の皮をむいて干したのをもってこいというのがあった。わたしの初登校の日、みんなリヤカーや自転車で運んだり、担いて運んだりした。わたしはみんなの10分の1くらいの1束を持って行った。この1束だって叔父さんに手伝ってもらってやっとできたもの。

桑の皮むきは桑の枝の皮をむいたのを乾燥し繊維にして布地にし服を作るという国家の計画だった。その夏の国民学校生徒はいっせいに桑の皮を供出した。次に桑の葉を乾してお茶の葉代わりにせよと命令がきた。生徒全員が桑畑で葉を採集してムシロに広げて乾した。こちらは簡単だったけどお茶はどうにもこうにもまずかった。桑茶といって薬用になるくらいだから乾し方にきっと工夫があるはずだけど、ムシロで乾しただけだからうまくない。

忘れた頃に桑の皮の服が学校に届けられた。ごわごわして気持ちわるかった。当時、木綿の代わりに化学繊維のスフが使われるようになっていたが、スフよりずっとごわごわしてたのが桑の皮の繊維だった。