奉天 続き(わたしの戦争体験記 70)

おとといの日記「奉天」を書いていて気がついたことがあった。
最後の一行〈いまになって「奉天」という言葉に郷愁を誘われている。あの本はどんな話でどんな主人公だったんだろう。〉に続いて思い出したこと、考えたことを書いておく。
山梨県に疎開する娘を見送りにきた父親が渡してくれた本には、奉天で処刑された陸軍少佐のことが書かれていた。いまになればおぼろげな記憶でしかないが。汽車に乗るときは国粋主義をかぶれと父の深謀だったのだろうか。

本の内容は奉天で処刑された軍人の話だった。おとといの夜から「奉天」という言葉が胸のなかでだんだん大きくなっていった。
そこで「奉天 処刑」で検索してみたら「観るナビ」に以下の文章があった。
〈『中村震太郎少佐の墓』中村震太郎は昭和6年、陸軍参謀本部の命令を受けて満州に渡り、視察中、奉天興安屯軍に処刑された。この事件が満州事変の発端となった。当時、「護国の神」として全国民に仰がれた〉
そうだ、この人について書かれた本だった。あまりにも死者を美化していて疎開列車に乗った子供には怖い本だった。
ずっと山梨の記憶を封印していたので、「奉天」を思い出すこともなく暮らしていたが、今年になって「疎開を書く」気持ちになったとき、「奉天」の記憶も融けた。これはついおととい。

奉天の本は最後までよう読まずにリュックに入れて田舎に持って行ったが、結局風呂の焚付けとなった。
疎開生活中は相変わらず『小公女』と『イエローエンペラー』と吉屋信子にこだわっているわたしがいた。2年後に引き上げて大阪にもどるとき、坂の上で振り向いて山梨にはもう一生来ないと誓ったわたし。20代で八ヶ岳に登ったのは別として。
80歳を超えて「もう解禁してもええやろ」とひそかにつぶやいたが、いまは足が悪いので解禁はどうなるやら。
甲州ぶどうが食べたい。