田舎は朝が早い。わたしが目を覚ますときはみんな起きていて、叔父叔母は蚕の餌にする桑の葉をもぎに畑に出ている。山盛りの籠を背負って戻ると蚕の待っている2階へ上がり一仕事。
それから叔母は朝ごはんの支度、叔父は畑仕事の準備で忙しい。ご飯のときに叔母はわたしを起こしに来る。たいていは起きていて顔を洗い膳についているが時々仮病で寝ている。「お腹が痛い」「頭が痛い」の二つを交互に使う。適当に「寝てなさい」が返事だが仮病を見抜いている。
母が幼い子を2人連れて大阪からきたので、座敷は母と子供3人の寝場所になっていた。その日もわたしはどちらかが痛いといって寝ていたのだが、叔母が仮病だといって母を責めている。仕方なしに起きて「今日は耳が痛い」といった。母はご飯が済んだら医者へ行こうといい支度をはじめた。1時間半くらい歩くと町で、耳の医者があるという。仕方なくついていったら医院の前で止まって「ほら医者へ来た」といい引き返した。お腹は減るし足は疲れるし。
負けず嫌いの母は、娘が嘘をついているのを知っていてうまく収めたのだとわたしは思い知った。
その後は近所の農家の納屋を借りて母とこども3人は独立した。こうなると仮病は使えない。母の手先となって家事の手伝い、母が近所の農家で仕事の手伝いをするとその手伝いといままでよりも忙しくなった。
堤防に生えている大きな雑草が枯れる秋には切り取ってきて焚きつけ用に積み上げた。春は食べられる野草を摘んで食べた。
「変な子だ」といわれたが、吉屋信子と中原淳一にならって可愛い野の花を摘むのを忘れなかった。
仮病はそれ以来使わなくなった。母がうるさくて仮病になっている暇もなかった。本は大阪から父が送ってくれたからたくさん読んでいた。