静かに読み終った。〈私小説〉がこんなに新鮮に読めるとは思っていなかったので、いい機会をもらったものだと感謝でいっぱい。
『欣求浄土』から「一家団欒」と『悲しいだけ』から「雛祭り」
私の父は70歳で、兄は36歳で、姉は18歳で、もう一人の姉は13歳で、弟は1歳で、妹も1歳で、全員が結核で亡くなった。そして妻は39年間の結婚生活の最初の4年以外は結核と闘病したが亡くなったとある。もう少し時代が後だったら結核での死は免れただろうに。
実家の墓には彼ら全員が眠っている。
私はまだ妻が動けたときにいっしょに墓地へ行った。熱心に墓掃除をして、
【花を差し水を石に注ぎ叩頭して手を合わせたとき、後ろに立っていた妻が不意に
「わたしはこの墓に入るのはいやです」
と云った。暗黒のコンクリートの穴のなかで見識らぬ私の肉親たちにひとり囲まれるという恐怖が、妻の短く低い呟きに鋭く現れていた。帰途
「暗い土に埋まってひとりでに溶けて、それから水になってどこかへ消えてしまいたいのよ」
と柔らかく弁解するように云った。】
その後、妻が亡くなってから墓参りをしたとき、私は墓に妻の死を報告し、「私が死んだとき連れて行きます」と心の中で云う。私がいっしょに行けば妻も安心だろうしみんなも喜ぶだろう。それまでは妻の遺骨の入った骨壺は側に置いておく。
藤枝さんがお亡くなりになったとき、近親のかたがそう取りはからったことでしょう。
(講談社文芸文庫)