座り心地がよくて気持ちよい

長いこと使っていた事務椅子を新しくてちょっといいのに取り替えた。食べるものと本とパソコン関連にはわりとお金を惜しまないほうだけど、こういうものには惜しむ。今回も長いこと変えなければといっていた。いいだしてから半年くらい経ってようやく買った。
パソコン机の前にでんと置かれた椅子に腰をかけると仕事ができる人になったみたい。
そこへコーヒーのカップを置くと豊かな感じになった。読みかけの本を数冊もってきて横のプリンターがのった台において、1冊手にとる。今日はばたばたして雑誌を見ていただけだったから、これから更けてゆく夜は読書に励もう。

さて、この椅子で見ているパソコンは同じものなのに、新しく買ったみたいに新鮮な感じがする、というのはオーバーだが、椅子がちょっと高くなってパソコンと机の上の見た目が気分良くなった。背が高い人の視線を手にいれただけなのかも(笑)。

若竹煮で一献

今年はまだタケノコを食べてなかった。だれからももらってないし、わたしは買い物に行ってなかったし。5月になってもタケノコ食べたいなあと思わなかった。季節感喪失。そういえば筍弁当を2回イカリスーパーで買って姉のところへ持って行ったのを思い出した。イカリスーパーのお弁当はちょっと高いけどうまい。阪神間の地名がついた花見弁当もなかなかうまかった。でもあれだけではタケノコ食べたとはいわれへんね。すでに忘れてた。

ときどき近所の洋食屋ライオンキッチンで相方が野菜をわけてもらっているのだが、とてもユニークな野菜があり、うまい。今日はタケノコの水煮があった、今年最後やそうや、とのことで買ってきた。
さっそく出汁をとってタケノコを炊き、ワカメを入れた。さっぱりとうまい。暑いからビールと思ってたけど、料理用の山田錦があったので冷酒にした。はい一献。うまいなあ。トマトと豆腐のサラダもよくあってた。

「ラジオのように」はいまも甘美

先日、突然、コ ム ラ ジ オーと歌声が聞こえて、なつかしいなあとしばし聞き惚れていた。久しぶりにCDかけたんだ。
この曲を最初に聞いたのは50年近く昔のこと、友人カップルを訪ねて東京へ行き、新宿やら明大前やらのジャズ喫茶に連れて行ってもらった。彼らの部屋にはレコードと本がたくさんあり、わたしらより数歩前を進んでいるのがわかった。そのときに聞かされたレコードがブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」だった。甘くて知的なブリジットとアレスキの声にアート・アンサンブル・オブ・シカゴの演奏が加わる。甘美な音に酔ってしまった。

大阪にもどってすぐにLPコーナーに行って輸入レコードを買った。当時のLPコーナーは東京のレコード店より早く輸入レコードが入荷するのが自慢の店だった。ちょっと前から行きつけになっていてフリージャズのレコードをたくさん買った。

そのころは泉北の団地に住んでいて、広くはないが明るく、遠方の友だちをよく泊めたものだ。西成区から移り住んで3年間、いつも誰かが来てレコード聞いたりしゃべったりで賑やかだった。
いまは亡きジャズ喫茶マントヒヒのマスターもよく泊まりに来てた。東北出身なので近所の山菜を教えてくれた。秋にはアケビを採った。
その雰囲気にぴったりなのが「ラジオのように」だったといま思う。時を超えて甘い気分になっている。

Blu-ray騒ぎのあと、ぼーつと過ごした土日

先週の木曜日は雨との予報で姉のところにいったのは金曜日。きつい日差しで暑かった。庭に面した障子を全部開け放したので風がよく通る。蚊がそろそろと現れて腕や首やあちこち食われた。わたしは蚊に食われ体質なのでこれから梅雨がきて夏になると思うと憂鬱。

ここ数日Blu-rayで騒いだので落ち着いて読書の夜にしたが、前夜遅くまで『マグニフィセント・セブン』のメイキングに続けて『トレーニング デイ』を見たので睡眠時間が大幅に不足。若いときと同じことをしているからいくつになっても大人になれない。なのに体のほうは老化の一途だ。姉の肩を揉みながらあくびの連続。服を買った喜びで疲れが飛んでいったけどちょびっとだけだった(笑)。

結局、金曜日は早寝で土曜日は遅くまで寝ていた。24時間中12時間寝てたかな。今日、日曜日も遅くまで寝て、昼寝もした。読書ははかどらず。あ、洗濯した。スカーフと布のかばんを手洗いして干した。暑くなってきたら皮のかばんが重苦しい。布のも色と量感のあるものは暑苦しい。重くない肩掛けかばんの出番だ。洗わないでしまってあったので慌てて洗濯(笑)。新しいのも欲しいなあ。

アントワーン・フークア監督、デンゼル・ワシントンとイーサン・ホーク主演『トレーニング デイ』

『マグニフィセント・セブン』を見てはじめて知ったアントワーン・フークア監督による2001年の映画。デンゼル・ワシントンが徹底した悪役に挑みアカデミー賞を得た。16年前のイーサン・ホークの未熟さがいい。その3人、監督・主演の2人が『マグニフィセント・セブン』で協力したのだと思うと感慨深いものがある。

デンゼル・ワシントンがものすごい悪徳警官アロンソ役でこれでもかの演技を見せる。その部下に配属された若い刑事ジェイク(イーサン・ホーク)が初日の早朝に電話を受け出勤する。連れて行かれるところがすべて悪い奴がのさばっているえげつないところ。アロンソは新人にまず麻薬を吸わせる荒療治からはじめる。
アロンソは引退前にひと山あてようとして失敗し、ロシアン・マフィアに1週間以内に100万ドル払わないと消される運命にある。100万ドルのために手段を選ばず密売人を罠にはめて現金を奪い殺すつもりだ。ジェイクはそれを阻もうとしてロシアン・マフィアに監禁され殺されかける。以前助けたことがある少女のおかげで助かった彼はアロンソに拳銃を向け撃つ。アロンソは蜂の巣になりわめきながら死んでいく。

母と娘、姉と妹

さっき実の母親の介護をしつつ娘を育てている友人からメールがあった。いろいろ具体的なグチが書いてあって、ほんまに大変やなと思う。だけど彼女はわたしのことを、「姉への週に一度の訪問、毎日の電話」がすごく大変なことをしていると褒めてくれた。まあお互いに大変やなあということね。
でも、「母と娘」に対して「姉と妹」ではちょっっと重みが違うように思う。母と娘ってのっぴきならない間柄だよね。それにわたしの場合は、姉には姪がいてわたしより彼女のほうが距離が近い。

まあ、今日も朝から買い物して姉の家に行った。姉の出かける範囲は、医者とデイサービスの他は、郵便局、ローソン、美容院、散髪屋(顔そり)くらいだ。そこでは売っていないものを買っていくのがわたしの仕事。
しゃべりながらご飯とおやつをいっしょに食べ、背中のマッサージをした。帰る前に洗濯物を片付け植木に水やりする。それがすんだら最寄り駅までタクシーで行き地下鉄で帰る。
今日はタクシーで梅田まで出て先日見ておいた軽いコートを買った。これで介護労働の疲れが飛んでいった(笑)。

映画で元気に

映画を見たい、本を読みたい、といいつつSNSを読むのに時間をとっている。いまのところ書くよりも読むのがおもしろい。パソコンに向かってばかりだと目と肩が疲れる。昨日はつるかめ整体院で体調を整えてもらった。今日は近所でマッサージチェアを1時間お借りした。お風呂と合わせていまのところの最高の体調ケア。

今日は晩ご飯後に『マグニフィセント・セブン』のメイキングを見た。どんどん場面が進むのでもう一度見ないとわからないところがあった。もう一度ゆっくり見よう。Blu-ray持っているんやから(笑)。
時間がないといいながら、その後に同じアントワーン・フークア監督による『トレーニング デイ』を見た。新人刑事のイーサン・ホークがものすごく頑張っていてういういしい。2001年だから16年前だもん、若い。明日の朝早いので今夜はもう閉店につきそのうち感想を書く。
さあ、おふろ、お風呂。

アントワーン・フークア監督『マグニフィセント・セブン』をBlu-rayで見た

『マグニフィセント・セブン』にはいまいちばんのお気に入りイーサン・ホークが出ているからどうしても自分で持っていたい。Blu-rayが出たらすぐに買うと決めていた。恥ずかしながらうちではいままでBlu-rayを見たことがなくて、買ったのは『キャロル』がはじめてだった。届いた包みを開くとDVDと両方入っていたので、Blu-rayを買えばDVDも入っているものと思い込んでしまった。とりあえず一回目はDVDで見よう、その後ゆっくりとBlu-rayで。これが間違いだった(恥)。
アマゾンで今日発売のが昨日届いたのだが、そんなわけで昨日見られなかった。見るのに必要なものを相方が調べて手に入れ今夜見ることができた。無事に見られるかしらとどきどきした(笑)。

『マグニフィセント・セブン』は素晴らしい映画だった。もともと西部劇ファンである。思い出せば『駅馬車』『赤い河』『明日に向って撃て!』『OK牧場の決斗』と大好きな映画のタイトルが思い浮かぶ。その中に入るけれどそれらとは比較できない新しさがある。いやあ、すごく楽しんだ。
今夜は遅くなったのでまた書くけど、いい映画だった。

○アントワーン・フークア監督について検索してわかったこと。
2001年の映画『トレーニング デイ』でデンゼル・ワシントンがアカデミー賞を受けた。そしてイーサン・ホークが共演している。

ジョー・ライト監督『つぐない』がよかった

イギリスの作家イアン・マキューアンの小説『贖罪』(新潮文庫)の映画化(2007年)だがすごく好み。『高慢と偏見』や『秘密の花園』などのイギリスのお屋敷ものを思い出す舞台装置を頭がよく神経過敏な少女が歩きまわり、タイプライターを使って実体験をもとに想像力を働かせ小説を書いている。
主人公の少女が終盤に年老いた作家としてインタビューに応じるところはヴァネッサ・レッドグレイヴが演じている。貫禄があるのはもちろんだが、そこを悔恨の表情がよぎってでもあくまでも誇り高く素晴らしい演技。「書く」ことについて考えさせられる。でも姉のキーラ・ナイトレイ演じるセシーリアと恋人は妹によって愛を破壊されるが、短い人生ながら深く生きた。生きることと書くことについて考えさせらる作品だ。

最初の場面から屋敷と庭が素晴らしい。検索したらロケ地のお屋敷の写真がでてきた。100室以上の部屋がありそう。
お屋敷つながりでイーヴリン・ウォー『ブライズヘッドふたたび』を思い出した。こちらはテレビドラマがあるようで、若きジェレミー・ アイアンズが見られる。時代は同じく第二次大戦時の話である。

ヴィク・ファン・クラブの会報は25年を超えた

おおっ、快挙だ! われながらすごい! いままで調べたことがなかったけど、数えてみたらすごいわ。

昨夜は疲れていたけど結局は1時過ぎに横になって、そのまま熟睡。なんとまあ10時間も寝てた!! 途中で目が覚めた記憶があるようなないような。ヴィク・ファン・クラブの会報はプリントを昨夜全部済ませて積んである。7枚×人数分あるのをテーブルに広げて綴じて出来上がり。封筒にゴム印を捺し宛名シールを貼って1部ずつ入れていく。会員の入会年を調べて5月の人には振込み用紙をつける。140円の切手を貼って、夕方ポストに入れに行ってほっとした。これで今月は終わり。これを1992年1月からやっている。おおっ、今年で25年、四半世紀ですやん。最初の数年は毎月ではなかったが、毎月に決めてからは1回も欠かしたことがない。
病気もせずによくやってきた。転んで怪我をしても出し続けた。
何度かしんどいからやめようかと呟いたときに、やり続けるように励ましてくれた夫に感謝。

この夏にヴィクをこの世に送り出した人サラ・パレツキーさんに手紙を手渡してもらう機会ができた。サラさんには毎号を送っているので、日本でヴィクファンが集まってなにかしゃべっているのはよくご存知である。
いままで挨拶程度のことしか(なんせ英語ができないので)してなかったが、今回は少しだけ日本という国で生きていることについて話そうと思っている。