四方田犬彦『女神の移譲 書物漂流記』

図書館で借りて返しに行ってまた借りてきて長いこと抱えこんでいた。全体をさあっと目を通したけど、きちんと読まないと理解できないことがわかった。四方田さんはよく読むのはもちろん、よく人と会って話す。そして現地に走って納得するまで見る。そして書く。エネルギッシュである。
この本は買って自分の本にしようと決めた。それでとりあえずあさって図書館に返しに行く。
買ってすぐに読んだらいいんだけど、いま積ん読本の山があるので、心覚えだけここに書いておこう。

本のタイトルになっている『女神の移譲』は26章のうち20章目に入っている。本のタイトルにするくらいだから気合いが入っていると感じた。タイトルの「女神」がアルテミスのことと知ってうれしくなった。狩りと月の女神アルテミスは弓を放てば百発百中だったそうだ。わたしの性格はアルテミス型だとわかったのはジーン・シノダ・ボーレン『女はみんな女神』を読んだから。

ギリシャ神話のアルテミスはローマ人にはディアーナと呼ばれていた。フランソワ・トリュフォー監督の映画『黒衣の花嫁』ではジャンヌ・モローが花婿を殺した仇と突き止めた画家のモデルとなる。ディアーナの衣装で弓を持った姿が印象的だった。

女神の像を見るために四方田さんはエフェソスへ旅する。イスタンブールから飛行機でイズミール到着、ホメロス生誕の地である。バスを乗り継いでセルチェクへ到着。シーズンオフなのでバスもない。ホテルの主人が車を都合してくれたのでエフェソスへ向かうが、崩れかけの階段なんか見て面白いのかと不思議がられる。
四方田さんはこの地に生きた人について書き、その人が生きた場所を訪ねたいと思ったと書いている。

ここから引用
だが最後に、もう一つ別の、いささか観念的な理由を告白しておこう。それは他ならぬこの地域が古代のギリシャ人によって、最初に「アジア」と名指された場所であったという事実に関連している。わたしは二十歳代の韓国留学が契機となって、長い間にわたりアジアとその映像をフィールドとしてきた。ここらで一度、その名称の起源の地とやらに立って、四方の風景を見渡しておいてもいいと気紛れな気持ちを抱いたのである。
引用終わり。暖かな気持ちになった。
(作品社 2400円+税)

そよ風で昼寝

昨日の午後は姉の庭で植木の世話の手伝いをして気持ちよい汗をかいた。蚊がすごかったので蚊取り線香を足元に置いて。アジサイとクチナシとガーベラが終わり、来月末には猛烈に伸びている萩が咲きはじめそう。水引草が早くも伸びて赤い花が地味についている。
隣家の紫式部がまだ花が咲いているのにもう実になっている枝もあり、ムクゲも地味に咲き出した。
うちはベランダ園芸をやめてしまったので、園芸趣味は姉の庭。

なんやかと疲れて帰ってお茶ときんつば(笑)。それから長風呂して片付けしてブログを書いてツイッターを読んで寝た。
今日お昼前に起きたが、まだ疲れが残っている感じ。夏の外出は出かけるだけで疲れるのに体を動かしたもんね。いつも昼ごはんを食べるとクーラーいれるけど、風がよく通るのでそのまま昼寝した。そよそよと音はしないがそんな感じで風が通っていき、あたまもからだも休まった。その後は猛烈な西日のなかクーラーつけてちょいと仕事した。

明日、あさっては天神祭ですなあ。

出入橋のきんつば屋

阪神百貨店の和菓子売り場をぶらぶらしていたら「出入橋のきんつば屋」の売り場が目についた。京都の豆餅といっしょに小さいコーナーである。わーい!という感じで一包み買った。阪神沿線で働いていたころ、みんな出入橋のきんつばはうまいと言っていた。福島は電車で通るし、野田阪神は銀行があってよく行ったが出入橋まで行ったことがなく、食べたことがなかった。

反原発デモに行っていたときに西梅田公園集合と解散のときがあり、地図を持って探しながら行くと入ったところと反対側の出口の向こうに「出入橋のきんつば屋」の看板が見えて、ようやくここが出入橋だとわかった。ちょっと行ったらきんつばが買えるんやなとわかったが、なかなか行けないものだ。
今度からは阪神百貨店に出かけたときにここを通ればいいのだ。

今日は姉の家に行くので、おみやげにちょうどよいときんつばを買って行った。姉は働いているとき勤務先で来客にお土産にもらったりしてよく食べたそうだ。
今日の姉の第一印象は「ちいそなった」。
たしかにふつうのきんつばより小さい。これは昔の3/4やなとのこと。味は同じやということである。皮が薄くあっさりとした甘さで3個くらいはいけそう。
ふふ、今日は2個食べたよ。

お別れパーティ

先日近所に引っ越してきた若夫婦がまた引っ越すことになった。前のときはあちらにお邪魔したので、今日はうちへ来てもらってお別れパーティ。
お互いに食事はすませてから9時集合。持ち寄りの酒の肴でビールとワイン。気持ちの良いかっこをつけない二人と3時間ばかりしゃべった。
普通に話していると、お互いにごく普通だが、今日はご飯をお釜で薪で炊いていた話でびっくり仰天された。それでダンナがテレビを天皇の結婚式のとき買ったとか、近所のテレビのある家にプロレスを見に行ったとかいうと、それってほんとにあったことかと驚く彼ら。おもしろかった〜

年齢差があって、育った生活がかけ離れていたのが、いま現在のネットや音楽や映画の話で盛り上がっているのが楽しい。
引越し後も遊びに来るそうだし、わたしらもそう遠くないのでワインをさげて遊びに行くことにする。

『日本会議の正体』をまだ全部読んでない

今夜は風がよくとおって涼しい。満月がまだ見えないので待っているところ。あちこちのマンションが邪魔になって上のほうに上がらないと見えないのだ。

青木理さんの『日本会議の正体』(平凡社新書)を読みだしてから10日以上経ってしまった。ミステリの読みかけをおいて読んでいるというのにどんどん読みすすめない。内容に圧倒されている。用心深い書き方にも影響されて慎重に読んでいる。

途中で祇園祭があり、この時期になると開く川端康成『古都』を最初からまた読み通した。寝る前の読書は漱石の『草枕』をiPad miniで読んでるところ。どっちも何十回目だ。『草枕』の最後のシーンを読んでいたら、蓮實重彦『伯爵夫人』を思い出した。戦争がはじまるときの知識人の胸に頭に浮かび上がるもの。開戦前の気分が両方の作品から感じとれる。その感じがわたしにもわかる。もしかして、いま。

ようやくヴィク・ファン・クラブの会報づくりをあと2ページまでやった。暑いとスピードが落ちて毎日2ページずつしか進まない。今月はA4で18ページ。
クーラーつけていても、パソコン関連機材に囲まれているから暑い。
でも今夜は風が通って涼しいから、これからコーヒー飲んでもうちょいがんばろう。

今年もうまい桃がきた

ここ数年梅雨時になると今年は桃が来るかなと思う。妹が桃つくり農家で夫の義姉であるYねえさんに家族分を頼んでくれるのだが、Yねえさん夫妻が高齢なので、今年も作っているかどうかわからない。季節になると電話して今年も作っているとわかり送り先明細を書く。
ということで梅雨に入った頃から今年はどうかなと電話で妹と話していた。美味しい桃が食べたいのと昔一度だけ会ったことのあるYねえさんがお元気だと知りたいから。昔、母といっしょに訪ねたときわたしと二人で並ぶとえらい差だった。普通よりはるか大きなYねえさんとはるかにちさいわたしと。互いに話題に困ったっけ。

今年もきたよ。山梨県一宮発の桃「丸月のもも」が。大きくて甘くて口に入れると甘みがいっぱい。お昼ご飯と晩ご飯のあとに半分ずつ食べた。うまいわ〜

うちわを買った、スーパーで

毎年夏支度のとき数本のうちわが出てくるが今年はなぜか見当たらない。古びたのばかりだから去年の夏の終わりに処分したのかもしれない。天神祭の由緒ありげなのや、友だちが送ってくれた東京の古い神社のや、郵便局でもらった朝顔柄など無造作に投げ出してあったのに。
どこかでくれないかなと思ったが、昔のようにうちわをくれるようなお店に行かないものね。どこで売ってるかなと考えたら東急ハンズだ。おしゃれなうちわや扇子をたくさん売っている。心斎橋を通ったときにと思っていたら、荷物をたくさん持っていて立ち寄る元気がなかった。

さっきスーパーへ行ったとき、もしかして売ってないかと文房具売り場を見渡したら、あった、あった、可愛いうちわ。
相方用に朝顔柄、わたしのは海辺に貝がらが散っていて猫の親子がのんびり昼寝している柄。なかなか可愛くて気に入った。

そのうちに、物入れの隅っこから去年のうちわが出てきたりして。

痒いところに手が届く

もう10年よりもっと前になるが、虫歯の治療に近所の歯医者さんに行っていたときのこと。4つの治療椅子があって、2人の歯医者さんが治療するようになっていた。わたしは黙々と奥の椅子で治療中。もう一つの椅子には男性の患者がいて絶え間なく医師と話している。わたしはぼーっと聞くともなく聞いていた。いろんな雑談のあとで医師が言うには、「痛いと痒いはもとは同じですよ、痒いのがひどくなったら痛く感じるようになる」。ええっ!とびっくりした。初めて知った。
歯科医の椅子で得た新知識を帰ってダンナに教え、それから友だちに教えた。みんななるほどと納得していた。そのころはそれが真実とされていたみたい。

いまは誰でもはっきりと違うと知っていると思う。ネットで読んだりテレビでも言ってたりして。
わたしは「痒い人」なので、特に「痛いと痒いは同じである」をそうだと思いこんでいた。今は「痛いと痒いは違う」になるほどと思っている。

ああ、痒い。これは蚊に食われたせいです。

祇園祭やさかいに川端康成『古都』を読む

先日姉と話していたら妹と電話で朝日新聞の連載小説の話で盛り上がったという。昔みたい。そう昔みたいに姉と妹はいまだに朝日新聞である。昔は親たちも子どもたち7人もみんな連載小説を愛読したものだ。晩ご飯は連載小説の話題とともに(笑)。

川端康成の『古都』は1961年10月から朝日新聞に連載された。そうか、60年安保の翌年か〜
安保闘争のあと、わたしがしょぼんとしていたときの気分に合ったんだろうな。そのころは小さな会社で働いていて、言うならばひまわり娘みたいな存在だった(笑)。京都から通勤していた同僚の男性が祇園祭に誘ってくれ、祭りの後は古い町屋の自宅に泊めてくれた。『古都』を愛読していたわたしは千重子の気持ちになって祭りの人混みの中にいた。

次に祇園祭の京都に泊めてもらったのは70年代になってジャズ喫茶マントヒヒに通っていたときだ。マスターの木村さんと常連たちと京大西部講堂でのコンサートの帰りに飲んだ後に木村さんんの下宿先に泊まらせてもらった。関大教授で関大ジャズ研顧問になった木村さんが京大大学院に学んでいたときだ。

祇園祭をもう一つ思い出した。やっぱり70年代だったか、西部講堂で催しがあり、あんまり面白くなくて早めに引き上げた。そのとき街は祭り一色だったがあまりにも暑くて、今日はもうええやんと帰ってきた。
それ以来、祇園祭はニュースで知ってるだけである。

夏になると『古都』を引っ張り出す。文庫本が傷んでくると新しく買い直して読む。電車で出かけるときはバッグに入れておく。
古都・京都に生きる千重子と苗子、父と母、竜助と真一、秀男、竜助の父、みんな好きどす。こんなに愛読している新聞小説は他にない。

せかせかとクマゼミが鳴く

最近はわりと早く目が覚めてわたしとしては早起きしている。数日前に窓から突然クマゼミの鳴き声が聞こえた。うちのへんのセミの声は街路樹から聞こえる。なんとなくセミが鳴いたら梅雨明けと思い込んでいて、おお梅雨明けしたかと思ったが、そうではなくて相変わらず雨が降っている。今年の猛烈な暑さのせいで出てきたんだろうか。

今朝は姉のところに行くのに早めに家を出て公園を通ってから地下鉄に乗ることにした。蝉の声が超やかましく遠くまで聞こえる。最初はうれしく、真夏になるとうるさくてかなわん(笑)。今日はうれしくて、立ち止まって空を仰ぎじっと聞いていた。

姉の家に行くと一匹だけが必死のパッチで叫んでいた。おお、夏になったな、と庭を見ていたら、うーむ、イヤな奴、ヘクソカズラが塀の向こうから伸びてきている。

今夜は涼しいなあ。タオルケットで間に合うかしらん。
窓を閉めよう。