久しぶりに焼きそば食べた

また昔話になるが、ハタチのころ何年か地域のコーラス団に所属していた。たまたま阪急沿線の駅近くの電柱に貼ってあったポスターを見て入会したのだが、当時の電柱はポスターやビラを貼る場所でもあった。いつの頃からか怒られるようになったけど、わたしがハタチころは役に立つ広告柱だった。同じ電柱広告を見て参加した梅田で働く典型的なOLのSさんと仲良くなった。彼女は歌を上手く歌うために参加したのだが、わたしは友達をつくるために参加した(笑)。

毎週月曜日夕方に三国駅で待ち合わせ、駅近くの幼稚園の教室へ行った。十三にある病院勤務のS先生が指導してくれて楽しいコーラス団だった。時間が早いと「お腹すいたなあ、お好み食べよ」となって、三国大橋に近いお好み焼き屋さんに行った。「お好み焼き、豚」を二人が注文して食べ終わる前に「追加、焼きそば一人前」と頼む。半分ずつ食べた焼きそばのうまかったことよ。お腹が満足してコーラスに駆け込んだ。

うちは日常的にお好み焼きや焼きそばやたこやきを食べない。先日、久しぶりに味穂でたこやき食べたけど、何年振りかというくらい。
昨日、突然にやきそばが食べたくなって「明日やきそばせえへん?」といったら、ちょっとしぶったが今日になって「やきそばやろか」と材料を買いに行き、今夜のご馳走はやきそばだった。ただし、焼きそばの前にタンパク質と野菜が三枚ずつのお皿にのっていた。そのあとの焼きそばがうまかった。またやってや〜

梅酒がうまーい

5月の末に頂いた23年もの梅酒を少しずつ飲んでいる。水で割って氷を入れて飲んでもうまいし、炭酸水で飲んでもうまい。寝る前なんかはお湯割がぴったり。氷菓子屋さんが使っている瓶からシロップなんかをすくうスプーンを買ってきて使っている。これが便利ものですくい出したのを焼酎の空き瓶に入れてテーブルに出すつもり。明日は空き瓶ができるから。自分の好きなだけ飲める。

寒い時は焼酎の湯割り、暖かくなってきたら水割りかソーダ割り。おかずによってはワイン、日本酒と酒飲み天国っぽい我が家。わたしはほとんど飲まないけど、この頂いた梅酒割りはうまくて、ついもういっぱい飲んでしまう。
そうそう、この梅酒、もう1瓶いただけるらしい。ありがたや。

歯にも目にも

自分は歯が丈夫だと思いこんでいたがそうでもないことが最近わかった。歯科の3ヶ月検診で「80・20」って言葉を知ってますかと衛生師さんに聞かれて、いままでもってきたのがえらいと褒められたが「80・20」までもっていた歯がここへきてネをあげ出した。しっかり手入れしていた歯がぐらぐらしだしたのだ。「自然にまかせましょう」と歯医者さんがいうので、歯間ブラシで毎日の手入れだけはきちんとしているが、そのうち抜けるんだろうな。まあ自然に抜けてくれたらええか。

今日の午後、つるかめ整体院で診てもらっていたら「本の読みすぎですね」と目の周りのマッサージを丁寧にしてくれた。それで目の疲れがかなり改善されてホッとした。「本を読みだすとあかんねん」と言い訳して、読んだ本「大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(うず いもせやまおんなていきん たまむすび)」の話をしたが、いまだに寝る時間を惜しんで本を読むということをしているのである。
おっとー、耳はよく聞こえてます。

おやつはシナモンドーナツ

昨日はパソコンの前にいる時間が長かった。よくないのはわかっているが、つい引っ張られる。仕事をしていたわけでなく、ツイッターなどを眺める時間が長かっただけ。いくつになってもオトナになれない。

2、3日前に古い友人からわたしのブログのリンクが切れていると問い合わせがあった。当ブログの前に使っていた無料ブログが廃止になっていまのブログに引っ越したとき、古いブログの全文章をテキストにして保存した。それ以来ぼつぼつと新ブログに移転しているのだが、なんせ年月が長く文章の量が多い。友人の問い合わせ分は新ブログに移転してあるのがわかりホッとして返信した。ここで、またひとつ焦りのタネができた。移転してないのがある! まあ、ぼちぼちやっていこう。あかんかったらそれまでだ。

そんなこんなで一昨日は解決してホッとし、昨日は続きでツイッターを眺め、外出しないもんで体は疲れないのに気持ちが疲れた。早めに寝床に入ったのに眠れない。早めというのもいかんかった。もっとストレッチとかやらなあかんかった。後出しの知恵でどうしようもない。明け方から眠って昼前に起きて風呂に入ったら疲れが出た。
今日は整形外科に行くことに決めていたので血液検査の結果を見にいく相方と一緒に出かけた。車椅子を押してもらって、帰りに八百屋、銀行、スーパーを巡った。これがいい気晴らしになった。

スーパーライフの入り口のところでフロレスタがドーナツを売っていたので、シナモンドーナツを2つ買って、帰ってからコーヒーをいれておやつ。こんなときにシナモンが効いたドーナツはうまい。

パーマネントに火がついて(わたしの戦争体験記 61)

この歌知っている人いるだろうか。
これ、歌なのか、なんなのか、なんかの替え歌か。
こんな歌詞をよくぞ思い出したと自分を褒めている。頭のどこかに書庫があるみたい。続きはあるのかどうか知らないが、わたしの書庫にはない。

パーマネントに火がついて
見る見るうちに禿あたま
禿のあたまに毛が3本
ああ恥ずかしや恥ずかしや
パーマネントはやめましょう

もしかして知っているのはわたしだけかと思って(笑)、検索したらいろいろ出てきたのでびっくりした。

髪を縮らせているのが非国民ということで道を歩いていると知らない人に注意されたりする。うちでは長女と次女がおしゃれしたい年頃だった。髪の先をくるっとしたいが、まっすぐでないとダメらしくて文句をいっていた。火鉢に髪用アイロンを突っ込んで熱くして髪を巻いてカールをつける。そのカールが愛おしくてそっと触ってみる。他愛ないそんな女子の楽しみも道を歩いていて見つかるとおこられたんだとか。

家の中では次兄が学校で覚えてきて歌っていたような気がする。「やめとき」と母が叱るが、実はその歌で娘2人が髪をカールしないようにとなればと思っていたかもしれない。よその人にいわれることに敏感になっていたから。
疎開前だから3年生か4年の1学期だったかな。

大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』

1ヶ月ほど前に『週間現代』の読書欄で知った本。大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(うず いもせやまおんなていきん たまむすび)。タイトルも作者名もはじめて目にしたが読みたいと思った。「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)という言葉に惹きつけられたのは、ちょうど谷崎潤一郎の『吉野葛』を久しぶりに読んでいたからだ。この谷崎の愛らしい作品のはじめのほうに著者と友人が奈良で待ち合わせ、吉野へ行くいきさつが書いてある。読者はつぎの言葉が読みたくてそそられる。
最初のほうで妹山と背山が並び立ちその間を流れる吉野川の描写がある。幼い谷崎が母といっしょに橋の上から妹山背山を見た記憶が語られる。二つののびやかな山の写真も載っている。

「妹背山婦女庭訓」は近松半二による浄瑠璃のタイトルである。当ブログ5日に書いているが、わたしは20代のころ文楽と歌舞伎に夢中になって「妹背山婦女庭訓」も見ている。その優美さは忘れていないけれど、なんせ40年も昔のことで記憶がほとんどない。近松半二と名前を見ても近松門左衛門の息子さんかなと思うくらい頼りない。全然違ってた、息子さんではありません。
『週間現代』に導かれて本を注文しようかなと思っていたら、図書館に行くからと夫が探して借りてきてくれた。それが先週の木曜日で、木曜日の夜と金曜日丸一日、土曜日の半日かけて読み終えたら目が疲れてしんどくて。
からだは疲れたけどやめられないほどおもしろかった。大阪弁の会話が自分らがしゃべるように自然で頭に入ってくる。
江戸時代の大阪の人々の様子が目に浮かぶように大阪弁で語られるからどんどん惹きつけられていく。道頓堀の芝居小屋の様子が目に浮かぶよう。ろーじ(路地)の長屋など、わたしの幼児期の新町の記憶が役立ち、少しは雰囲気がわかるような気もした。とにかく大阪弁がすごくぴったりきた。

『オール読物』に連載されていたとも知らないで、いまごろ週刊誌の書評欄からの知識で読んだのだが、もし知っていて連載第一回を読んでいたら、続きを読みに毎月発売日に走って買いにいってただろう。『剣客商売』のときのように。
いまは読んだだけでお腹いっぱいになっているが、そのうちまた読みたくなるだろう。今度は買って読む。
(文藝春秋 1850円+税)

梅雨寒におもうこと

関東地方は来週初めも入れて梅雨寒(つゆさむ)で冷えるとラジオの天気予報が伝えていた。今朝は関西地方の我が家も寒いくらいに涼しくて、つゆさむや〜とはしゃいだ。しかし、生活がすっかり夏モードになっており、朝起きたとき着るものがない。重ね着をするか、長袖を出してくるかしなきゃ。

姉が住んでいた家を明け渡して三ヶ月。わたしは一度も行ってないがもう整地してしまったかな。いつかどうなったか見に行く機会があるだろうか。
姉が手間暇かけてつくった庭はどうなっているだろう。
木々の下には雑草が生い茂っていた。5年くらい前から草引きをやめたので、どくだみ、ヒメジョオン、タンポポなどが元気に咲いていた。整地してなければ萩なんか勝手にあちこち出てきてるだろうな。
一角に紫陽花の大きな株があった。咲き出すと近所の人が花のついた枝を切りにきて持ち帰った。もらっていくほどの人気はなかったが、大きなクチナシが1株あって、わたしはアジサイよりこっちのほうが好きだったなあ。
そうこうするうちにつわぶきと水引草が咲き出すのだ。

ブログで楽しい生活送ってる

毎日ブログを書くのが習慣になっている。数えたことはないけど30年くらい書いているかな。一度そのうち調べてみよう。毎日書いてるけど、書いているだけで数字を出したりするのは苦手。なにか書くことないかなといってなにか書き、毎日が過ぎてホッとしているのがいま。今日もなにを書こうかなと思っているうちに11時を過ぎた。
で、いまのこの状況の気持ちを書くべえと思ったわけです(笑)。

読んでくださっている人はどうなんだろう。同じようなことばかり書いているから読者数は少ないだろうな。いっとき気になって調べようとしたが、最近は「ま、いいか」の心境でほったらかしである。書きっぱなし。80代も半ばになろうとする老婆の繰り言に興味をもって読んでくださってるかた、ありがとう。

今日は本の感想を書こうと思っていたのに晩ご飯が遅くなって、書くのも遅くなってしまった。明日は洗濯物が山積みだから午前中に片付けたい。今夜はふきんを洗って干してから寝る。
こんなことぐたぐた書いているがけっこう楽しい。わたしはブログですっごく楽しんでいると思う。

梅雨入りかしら

天気がよいのに膝が痛むので両膝に湿布を貼った。視界がぼんやりと暗くて、歯のあちこちで不都合が起きている。あきまへんわ。トシですなあ。
半年ほど飲むのをやめていた痛み止めを飲んだ。この歳で薬がクセになるからやめるというのはもうええかなと思って。飲まなくても辛抱できていたけど、飲んで痛みが弱まるのだからとぼちぼち飲みはじめることにしたわけ。

午後から着るものの整理をした。クリーニングに出すのが例年より遅くなってしまったので慌てて袋に入れた。まだ20%引きの期間中であるのを確かめた。よっしゃ〜
昨日までにやっときゃええのにね。そして今日になってシーツの洗濯。夜中から雨になりそうだからさっき部屋干しに切り替えた。

そういえば梅雨入りは明日かな?
梅雨に入ったせいで体調不良なのかも。
おいしいコーヒーを飲んでひといき入れよう。プラス チョコレートという選択もあるな。いま口に放り込んだのはナッツ。

谷崎潤一郎『吉野葛』で思い出したことなど

去年は折口信夫に関連する本をたくさん読んで、折口をますます好きになった。子供の頃に親の言いつけで新町までお茶を買いに行き、駄賃をもらって道頓堀で芝居を見たという話にしたしみが増した。
そんなときにこのブログに「わたしの戦争体験」を書き出して、自分の過去をたどると、国民学校(小学校)の遠足で「笠置」へ行ったことを思い出した。「笠置」といえば「後醍醐天皇」を思い出さざるを得ないということも思い出した。歴史の知識はまるでないのに、郷愁に誘われて日本中世史をひもとくことになった。興味が広がるばかりでまるで勉強とはいえないけれど、雰囲気がわかりだして自分では納得している。まだわかりだしたところだが。

そんなときに文庫本を積んである中から谷崎潤一郎の『吉野葛』が見つかった。後醍醐天皇→南朝→吉野と連想がいっての『吉野葛』。すっごく素晴らしい物語で何度も読んで楽しんでいる。
谷崎が東京から京都で一泊して朝早く奈良に入り、待っていた友人と吉野へ向かう。
その友人の恋物語が素敵なのだ。その道中で「妹山」「背山」の前を通ることになる。間に流れているのは吉野川。そこんとこで思い出した。歌舞伎と文楽とで妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)を見たことがある。たしか20代になったころ。そのころは演劇に夢中で自分でお金を払って遊ぶのがうれしかった。もうどんな芝居かも覚えてないが、妹山と背山があって春の場面だった。お琴を弾くシーンがあったなあ。記憶はそんなところである。

それから、25歳くらいで登山に夢中だったころ、知り合いの登山家が自分がよく知っている吉野に連れて行くというのでついて行った。男女2名ずつ4名のパーティで近鉄下市口まで電車、それからバスに乗ってだいぶしてから降りた。どこで降りたやらなんという山に登ったやら覚えていない。沢を歩いて、這って、登って、ご飯をつくって食べた。この山行きは「吉野」という特別な名前でいまだに覚えているが、バス停の名前くらい覚えておいたらよかった。

ここまで書いてネットで調べたら、この芝居を文楽劇場で5月にやっていた。
〈5月文楽公演「通し狂言 妹背山婦女庭訓」〉

●妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)という言葉をどう読むかも忘れていたところ、数日前に大島真寿美さんの本『渦』と出会った。この本の話は後日書く。