夜霧よ今夜は・・

昨日の真夜中のこと、いまツイッターを確かめた。こう書いている。
「夜中の1時ごろ、布巾を干しにベランダへ出た。なんとなく空気がよどんでいる。外を見たら南北とも夜霧で景色が見えなくて驚いた。風がないから淀んでいるのかな。この家にいてこんなすごい霧を見たのは初めてだ。

わたしは寝る前の片付けをしたら最後にまとめておいてある布巾を洗って干す。明日の朝のお日さんが当たるように。
そのときに空を仰いでお月さんが出てたら大儲けの気分になる。だいたい西の方向しか見えないから見たときにお月さんがあると断言できないが、見えたらラッキー。

昨日は月どころではない。南の方が霧で覆われている。北の方をみたら、こっちも霧の中。「夜霧よ、今夜はありがとう」。すごかった。霧が立ち込めて街灯などがぼんやりと見える。明日は金曜で仕事だからたいていの窓は暗い。
それからお風呂に入ったりして約1時間後に窓を開けた。ちょっと薄くなったようだけどまだまだ濃い霧に覆われている。でも、今度は月が見えた。頭上に小さな丸い赤い月が見えて、これまたラッキー。

森山大道『遠野物語』に導かれ

ひと月ほど前に相方が森山大道さんの写真の本をたくさん図書館で借りてきた。大きな買い物用リュックにいっぱい詰めて。その中から「これ先に読んでもいいで」と出したのが『遠野物語』で、早速先に読ませてもらったが、写真はもちろんいいけど、文章が抜群なので何度も読んで楽しんだ。

そもそもわたしはずいぶん昔に柳田國男の『遠野物語』を買ったものの読み終えていない。いろんなところで紹介されているのを読んで理解しようと思ったけど、どうもピンとこないというかしっくりこない。
子供の時に『甑島昔話集』という本が家にあり、甑島(こしきじま)という島の名前を覚えた。昔話や古い土地の話のことが話題になると甑島を思い出す。内容は忘れてしまったがこの本は楽しかった。読んだ年齢のせいもあるかもしれない。

教養をつけようと思って『遠野物語』を読もうとしたのがそもそもの間違いだった。
いまはツイッターで「遠野物語を紐解く」をフォローしていてツイートが入ると楽しんで読んでいる。「教養」でなくて「楽しみ」として読んでいるのがいいみたいで、遠野物語を楽しめている。

そこへ偶然、森山大道『遠野物語』が目の前に出されて、ゆっくりと写真を眺め、文章を読んだ。
ようやく『遠野』がわかったような気がする。森山さんの写真の『遠野』が、わたしにも『遠野』なのだ。

わたしが東北を旅したことは一度だけ。友人たちと仙台の裁判所へ裁判の傍聴に行き、七夕まつりの仙台で泊まって、翌日はみんなと別れ一人で中尊寺へ行った。一人旅でまだハタチ前だったように思う。お金が不足で中尊寺からは急行券をケチって普通夜行列車で東京へ戻り、有り金を数えてその日の急行で大阪へ。お金をかけず時間がかかった旅だった。

『遠野』ええなあ。死ぬまでに行きたいな・・・まあ無理。それより後醍醐天皇の「笠置山」へ行って子供のときを思い出したい。そこがわたしにとっての『遠野』かも。

お風呂で遊んで温まる

すこーしだけぬるめのお風呂に入って首までよくつかってから、風呂に体を横たえるようにして足首をじゃぶじゃぶさせる。心地よいし膝の運動になるから数を数えながら何十回、何百回やる。ゆっくりと暖かくなって心地よく眠れる。昨日は注射をしたのでお風呂を休んだ。うっかりして下半身を温めるのを忘れて寝たら、下半身をくるんだ毛布が温まってきて、痒い、かゆーい。足から背中へお腹へと痒さが増えていく。まいったー。

そんなに温もっているのに、トイレに行きたくなるのはなんでやろ。からだの外側が温まって痒いのに内臓が冷えてトイレに行きたいとはこれいかに。
ということで、昨日は寝付くまで苦労した。今日はちゃんとお風呂に入ってじゅうぶん楽しんでから寝る。

肩こりと腰痛

目の使いすぎで肩が凝っていて、目を使うときの座り方から腰にきていると思う(本とパソコン)。今日は肩も腰もだるくて仕方ないので膝用に買ってある湿布を出して両方に貼った。大きめのをがばっと貼るとちょっと冷たくてやがて温もると気持ち良い。夕方貼って寝る前にはがすと効き目があったように思える。

今日は整形外科でヒアルロン酸の注射をしてもらったので、お風呂はお休みだ。こんな日にはぬるめの風呂でばしゃばしゃやればかなり気分がよくなるのだが、「今日はお風呂に入らないでね」と看護師さんにいわれている。

今夜は寝る前に湿布をはがす。つぎに顔や腕や足をお湯で丁寧に洗って、しぼったタオルで背中と腰を拭いて清潔なパジャマに着替える。
その前にコーヒーを飲むか、ウィスキーを飲むかしよう。その前にすることあるじゃん、ストレッチを忘れたらあかん。おとといまでは1回20分×2回(午後と夜)してたのを、昨日から1回15分×3回(午前、午後、夜)にしてみた。体調がマシになったみたいなので、これからは1回15分×3回(午前、午後、夜)にする。その他にもスクワットとか続けるつもり。
とはいえ、いっこうに回復しないのでいやになるが、やれば体調が良くなるので続ける。肩こりと腰痛がおさまってもっと本が読めるように(笑)。
明日はつるかめ整体院に行くんだ。

今日は彼岸の入り

お水取りが終わったら関西は春のはずなのだが・・お水取りが終わっても寒い日があって、モンクばかりいっている。
あんまり関係ないけど、ひな祭りが終わり、ホワイトデーが終わり、春が進んでいく。今日はお彼岸の入りである。中日、春分の日が21日。いよいよ春かな。暑さ寒さも彼岸まで、だからね。
とかいってるうちに3月末になると桜が咲き、桜を愛でて喜んでいると、突然花冷えに。このときの寒さはつらい。つい昼のままの薄着で夕方公園などに行くと冷たい風が吹き抜ける。毎年ではないが、寒くて震えた花冷えの記憶がけっこうある。

公園とかでシートを敷いて座るとお尻から冷えてくる。若い時は辛抱できてもこのトシではあきません。トイレの我慢もたまらん。そういえば、長いことそういう花見はしてない。桜の樹の下を上を見ながら歩くだけだ。今年は歩きもなし。遠目に眺めるだけ。
今日からお彼岸か〜おはぎが食いたい。

晩ご飯は質素なご馳走

遅くまで寝て起きて朝昼兼用ご飯(大盛りパスタ)を食べたら、おお!3時を過ぎている。

今日の晩ご飯はちゃんと予定があるねんとのこと。わたしは洗濯して枕カバーの交換をして、厚手毛布を軽いのに替えるべくあちこちした。相方はスーパーで予定の買い物をし、たまにはとクリームたっぷりの菓子パンを1個買ってきたので、半分こしてコーヒーを淹れた。たまに食べるクリーム入りのパンはうまかった。

料理人はすぐに晩ご飯にかかったので近寄らないようにして本を読んでいたが、いい匂いがするので引き寄せられた。トーストしたパンにほうれん草を炒めたのをのせ、その上にポーチドエッグをのせる。料理の名前は「ほうれん草とポーチドエッグのタルティーヌ」。次は、生椎茸、えのき、マッシュルームなどきのこ類とジャガイモをあわせたポテトサラダ。ジャガイモは塩麹をまぶしてあって全部混ぜるとものすごくうまい味になる。次はビーツに熱を通したのの一皿。赤い色合いがよくて品良くうまい。もう一皿は緑の葉っぱと豚肉小片を炒めたの。以上を赤ワインで食べて、あとは紅茶。そのあとウイスキー ジェイムソンを小さいグラスで。

鯖水煮缶のココナッツカレー

どこかで食べた鯖缶とトマトのカレーがおいしかったからうちでもやってみるかと、今夜のメニューは鯖の水煮缶のカレーに決まった。最近の雑誌の料理ページで鯖缶をよく使っているように思うが、たまたま我が家が鯖缶を常備しているから目につくのかも。
ベースをココナッツカレーにしようと、これも常備品のココナッツの缶詰を開けた。

サラダは無農薬野菜の店で買ったスティック・セニョールに少し火をとおしたのと、蒸したにんじんとキクイモにマヨネーズ添え。お酒は赤ワイン。
全体にエキゾチックな味でうまかった。
スティック・セニョールはアスパラのように茎を食べるブロッコリーと解説がついていた。なかなかうまいものだ。

新町演舞場(わたしの戦争体験記 50)

もう30年も前だが関東在住の次兄が小学校の同窓会があって西六小学校へ来たことがあり、あちこち案内するとこどもの頃の記憶をたどって「ここがうちの家があったとこや、演舞場はそこやさかい」といった。そのとき新町演舞場は「大阪屋」という書籍販売の会社になっていたが、昔の受付がそのまま保存してあるのを懐かしそうに眺めていた。その斜め向かいに我が家はあったそうな。
「新町演舞場」跡を起点として考えて「我が家はここやった」と落ち着いたのは、その当時は運送会社の車庫や社宅があるところ。いまはスーパーライフが建っている。

わたしらがこどもだったころはぎっしりと木造家屋が立ち並んでおり、その間に狭い道や路地があった。川沿いには広い道があって川には橋がたくさんかかっていた。よく遊んだり走ったりして覚えているのは「白髪橋」と「問屋橋」。いま問屋橋があったところに立つと、スーパーライフはすぐそこだ。あそこらへんまで走って帰ったんやと懐かしい。

いまも少し西へ行くと道路沿いに戦災から焼け残った細野ビルがある。当主の細野さんが頑張って世話をしているから往時の面影が残っている。とはいえ、わたしには昔の細野ビルの記憶はいっこもない。ビルに入れてもらうと昔のままのカウンターがあって執務室はいまはホールになっていて、立派な書棚がある。隣りの社長室も往時のまま残してある。
当時の細野ビルの写真を使って毎年行われる「細野ビル66展」の案内ハガキが作られている。ビルの横の道路や川、電車、建物、人物がいっしょに写っていて、一度は小学校の講堂が入っていた。おお、見覚えある。ここで入学式をやったんや、映画を全校生が見たんやと懐かしかった。東側から歩いてきて東側にある校門を入り、低学年は昔からある木造校舎だったので、校庭の西側にある新校舎には催しのあるときしか入らなかった。

わたしは国民学校4年生の一学期までしか行ってないから新町演舞場は「えんぶじょう」としか覚えていない。芸者さんの踊りの会などあったらしいけどなにも知らない。覚えているのは一回だけ入場無料の「衛生博覧会」に行ったことだ。細長いガラス瓶に入ったホルマリン漬けの臓器とか並べてあって、気持ち悪かったのだけはよく覚えている。
ぜんぜん新町演舞場らしくない記憶ですみません。

大阪屋さんは引っ越して演舞場は整地され跡形もなくなった。今その土地にはタワーマンションが建っている。

恋愛映画にうつつをぬかして肩も腰もだるい

税金の申告書をせっせと片付けたせいか疲れがいまごろになって出てきた。疲れたからと休むのではなく、昨夜は開放感で映画を見た。こういうことが心に良くても体にあかんのかな。

大好きで4・5回見ているアンソニー・ミンゲラ監督『イングリッシュ・ペイシェント』は1996年製作のアメリカ映画。恋におちる二人がレイフ・ファインズとクリスティン・スコット・トーマス、そしてジュリエット・ビノシュが看護師役でとても素晴らしい。コリン・ファースがちょこっといい役でなく出ているのを発見。上映時間2時間42分だからがんばって見てたら疲れる。終わってからの余韻がいいんだけど話しの結末はつらい。

結局、夜のストレッチはさぼってしまった。そういえば午後のストレッチを忘れていたので、これはあかんと今日は2回分やった。こういうことは毎日やらんとあかんのにね。
晩ご飯の後片付けをしてたらきつい肩こりを感じて、あわててサロンパスを貼った。腰もだるいしナンギなことである。ええトシして恋愛映画にうつつを抜かしてるんやからしゃあない結果である。

確定申告書できた

昨夜は早く寝ようと思っていたのにベッドに入ったのは2時をまわっていた。横になったとたんに眠ってしまって朝までぐっすり。朝起きたんだけど、いくらか病気なんだと決めてまた一眠りしたら12時を過ぎていた。そこで今日は調子がいいし税金の申告やってしまおうと決意(?)して取り掛かったが、年に一度というのはややこしい。でもパソコンで申告するのは、いままでと比べるとうんとやりやすくなったように思う。

ただ、申告書を書くまでの整理がややこしい。数年前までは売り上げがけっこうあって、会社みたいに帳簿や伝票の整理をしてた。もともとが経理事務をやっていたからお手の物だった。20年くらいファイルメーカーというソフトで我が社用の経理事務をやってた。

老齢年金をもらえるようになり、仕事を減らしてから、整理などの仕事も手抜きになってしまった。税金の申告書を書くときに大慌てする。
毎月きちんと整理せなあかんと毎年思うんやけど、結局どさくさになってしまう今日この頃。
さっきプリントしたので明日郵送する。プリントがずいぶんやりやすくなっていた。