アダム・シャンクマン監督・ジョン・トラボルタ主演『ヘアスプレー』

湯山玲子さんの素敵な本『クラブカルチャー!』を図書館で借りて読んだのは数年前のこと。クラブってなにか、クラブミュージックってどんなものか、読んでわかったわけではないがすごく教えてもらった。よく覚えているのはイビサ島のクラブの話で、こんな日本人がいるのかと羨ましく思ったことを覚えている。
その後は『美術手帖』とか雑誌でゲイ関連の記事や対談を読んで、ひとり喜んでいた。
先日、相方が『クラブカルチャー!』を買って読み、湯山さんがこんな映画を紹介しているという。それでアマゾンプライムにあった『ヘアスプレー』をさっき見た。

2007年制作のミュージカル映画。アメリカ、ボルチモアに住む一家、父親がクリストファー・ウォーケン、母親が特殊メイクしたジョン・トラボルタで、二人とも似合っているというか、名演というか怪演というか味のある名演技だった。
娘のトレイシーはダンスとおしゃれの好きな女の子で、テレビの人気番組に出て物怖じせずに踊り歌い、番組の主演ダンサーと堂々と踊る。学校で居残り組になって教室に向かったトレイシーはそこで黒人の生徒たちが踊っていた中にはいってR&Bのステップを踏み踊り出す。
全編R&Bの歌とダンス、外に出るのをいやがる母親を説得して一緒に外に出て、いろんなシーンで歌い踊る。トレイシーはデモに参加して警官に追われる。テレビ局には警備員がいっぱい配備される。そこをくぐり抜けて歌い踊るトレイシーと黒人の少年少女たち。めちゃくちゃ面白かった。

リドリー・スコット監督『ブレードランナー』

『ブレードランナー2049』を見てから前作の『ブレードランナー』を見たくなった。1982年に映画館で見てからテレビで見た記憶がなくて36年ぶりということになる。その間にフィリップ・K・ディックの原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだ。それ以来、近未来SFやディストピア小説を読むようになった。ミステリー(最近は北欧の警察ものが好み)ほどではないが、けっこう読んでいる。

『ブレードランナー』のいろんなシーンをかなり覚えていて我が家の会話には近未来社会系の話がしょっちゅう出てくるのだが、なんと『ブレードランナー』は2019年の物語なのである。都会の空をぶんぶん飛ぶたくさんの車を見て、来年は大阪もこうなっているのかしらと思いました(笑)。
叛逆するレプリカントのリーダーが美しいと思ったら ルトガー・ハウアーだった。一時期彼が不気味な役で出る映画を何本か見たことがあった。
「49」では老けたデッカードだったが、こちらは若くて美しくて激しい戦闘場面をよくこなしている。いろんなことを考えさせた『ブレードランナー』であった。

2日続けて『ブレードランナー2049』

今日もオーケーというので2度目をありがたく見ることにした。
昨日は見終わってから昔見た『ブレードランナー』(1982)を思い出して記憶を喋りあい、その上で見たばかりの「2049」について感想のようなものを話し合い、ネット検索して人様の意見を読み、おおいに満足して寝付いた。

出演者の紹介を読んでいたら、ロビン・ライトが出ているのがわかって、あのきれいで毅然とした人がロビン・ライトだったのかと感慨ひとしお。
『ギルティ・オブ・ラブ』『シーズ・ソー・ラヴリー』『メッセージ・イン・ア・ボトル』くらいしか見てないけど一時大好きだった。ショーン・ペンと結婚してたときは好意を持ってたなあ。今日もジョシ警部補役が毅然としててよかった。

2度見るとストーリーや役柄が納得できてすごく楽しい。近未来の世界に引き込まれてしまった。もっとしゃべったことなんか文章化したいけど、今日も興奮したということでおしまい。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ブレードランナー2049』

うちのパソコンで『ブレードランナー2049』が見られると聞いて、用事をみんな棚上げして夕食後iMacの前に座った。
『ブレードランナー』(1982)を見たのは封切り後3ヶ月くらい後だった。わたしは当時『スター・ウォーズ』のハリソン・フォードが嫌いだったので見に行かなかった。行った男組がみんな「いい、いい、よかった」といいまくるので悔しくなって行ったのだった。実際見たらそれはそれは素晴らしい作品で、すぐに原作を読み、SF小説はあまりすきでなかったのにそれ以来かなり読んで、SFファンとまでいかないがけっこうSF好きになった。

小説もいいけど、映画のほうがずっと身近に感じて、相方がもともとからSFや活劇が好きなこともあって付き合ってよく見るようになった。見ればけっこう好きなんである。

今夜はじっと座っていたら腰に悪いなあと思いつつ、じっと座って『ブレードランナー2049』の世界にはまっていた。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督すごい。

ソフィア・コッポラ 製作・監督・脚本『SOMEWHERE』

2010年の映画で当時は見たいと思っていたが忘れてしまっていまになった。
ハリウッド映画のスター、ジョニーはロサンゼルスの高級ホテルで生活し、フェラーリを乗り回して豪華に暮らしている。きちんと仕組まれた時間と場所を平静に行き来して屈託がない。大スターってこんなんやなと納得した。
前妻から一人娘のクレオを預かって欲しいといわれて淡々とスケートの練習場に送っていき、練習を見守る。元の日々に戻って賑やかに暮らしているところへ、クレオが一人でやってきた。母親が留守するのでサマーキャンプに行くまで泊めてほしいとのことで、父と娘はホテルで一緒に暮らす。いっしょにイタリアの映画祭の催しに参加し、戻ったらラスベガスで遊ぶ。

ホテルの部屋の台所で娘が朝食にポーチドエッグをたくさん作り、パンにハムとエッグをのせた上にハーブを散らすシーンが素敵だった。

クレオをキャンプに出発さすために、ヘリ経由で専用タクシーに乗せて父と娘は別れる。
一人になったジョニーはフェラーリで高速道路を飛ばす。それから車を道路に置いて歩き出す。どこまでも。

ソフィア・コッポラ色が全開な感じですごくよかった。どことなくマルチェロ・マストロヤンニが思い浮かぶスティーヴン・ドーフは最初はなんとも感じなかったのに、だんだん孤独な男としてせまってきた。最後どうなってしまうんだろう。

ジョニーのベッドで、ジョニーの横にクレオが清らかに寝ている。小津安二郎監督を意識してると騒がしいうちら。

ヤン・デ・ボン監督『スピード』

昨日はキアヌ・リーブスについての最新記事を読んで、彼の生活態度などに感心したものだから、すっきりする映画が見たいと思ったときすぐに『スピード』が思い浮かんだ。
「いやー、よかった、よかった」と昨日も見終わって最初見たときと同じことをいっている。すっきりと引き締まった美貌のキアヌとおきゃんなサンドラ・ブロックがよく似合っている。二人とも大スターになったなあ。

久しぶりの『スピード』だったが最初から最後まで楽しくはらはらして見ていた。1994年公開のをすぐに映画館で見た。その後はテレビでやりさえすれば見たから何度見たことか。テレビを捨ててから見てないから20年くらい見てないな。
また遠からず見たい。

お正月映画3本目は、ノア・バームバック監督『フランシス・ハ』

正月三が日の三日目の夜。晩ご飯はトーストにアボカドとレモンをたっぷりのせて焼いたオープンサンド。それにコーヒー。昼ごはんは餅入り粥と芋入りぜんざいだった。2食とも超簡単。
今日相方が見ようと選んだのは『フランシス・ハ』。ニューヨークに住む若い人たちをモノクロで描いた作品でなんだか良さそうと思ったって。映画のタイトルを聞いてわたしは大喜び。一昨年ごろから見たいと思ってた。キャロラーさんや、熱心な女性の映画ファンの方々が折に触れて語っていたから、いつか見たいものだと思っていた。

ニューヨークに住むフランシスはプロのダンサーを目指している。同居している友人のソフィーはパッチと婚約して引っ越して行った。孤独なんだけど、孤独を装わない楽しげなフランシスの姿がいい。他人の部屋に同居したり同じベッドで眠ったりするけど、べたつかずさらっとした人間関係が好ましい。

『フランシス・ハ』という映画のタイトルについて、終わりのほうで笑わせながら、だから『フランシス・ハ』なのだと教えてくれる。とっても粋です。

正月休みは映画を見たい

あっという間に1日と2日が過ぎた。お正月は映画を見たいと思っていたが、昨日の『マグニフィセント・セブン』に続いて「お正月第2弾」は『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』。力と美に圧倒され続けため息とともに終わりぬ。

昨日(元旦)はずっと在宅で相方と小競り合いはあったが穏やかな日だった。もっともわたしはおおかた寝ていた。お腹が減って目が覚めなにか食わしてもらいまた寝る。最高に性に合っている。こんなに疲れていたのかと驚くほどよく眠った。姉の介護とはいわないまでも話し相手や相槌打ちだって疲れるのだ。疲れが溜まっていたのほぐしていく感じで眠っていた。

今日も午後はおおかた寝ていた。夜になって起きたので当分起きている予定。明日は当初の予定では姉の家で新年会だが、断ったので今夜は明朝起きる予定がなくなりゆっくりしていられる。1日の行事が2日間にまたがるから、約束はしないのが一番である(笑)。

タチアナ・ド・ロネ原作、ジル・パケ=ブランネール監督『サラの鍵』

おんな友だちにいい映画だから見るようにと紹介されたのだが見てよかった。
世界的ベストセラーになったタチアナ・ド・ロネの小説を2010年映画化したフランス映画。残念ながら原作を読んでなかったのでこれから買って読むつもり。

サラ・スタルジンスキという女の子がベッドで弟とふざけているところから始まる。幸せな笑い声が響いているところへ警察がやってくる。母が相手をするが警官たちは問答無用で、父と母とサラを連行しヴェルディヴ(屋内競輪場)へ送り込む。1942年7月、ナチに占領されたフランス政府と警察がパリ市内に住むユダヤ人1万3千人を逮捕し、うち8000人をヴェルディヴに収容し、のちにアウシュヴィッツに送った。

一家3人はヴェルディヴに送り込まれる。サラは弟を納戸に隠し鍵を外からかけたため、ずっと弟を助けにいこうと思っている。トイレもなくなんの設備もない競輪場に収容されたユダヤ人たち。ひどい悪臭が立ちこめるところで過ごすが、次は臨時収容所に移され、男・女・子供と別にされる。

サラがもう一人の女の子と建物の外へ出ると、他の人たちはみんなアウシュヴィッツに送られてしまった後だった。弟を助けに行かなければと二人で脱走しようとする。若い監視人が鉄条網を持ち上げてくれ二人をくぐらせてくれた。必死で草原を走る二人は、ひととき小さな沼に体を浮かべて休息する。森を抜けて村へ出たがどこの家も助けてくれない。小屋に潜り込んで寝ているところを農家の夫婦に助けられる。
もう一人の女の子はジフテリアで死ぬ。警官が調べにやってきたがサラは匿われて助かる。
老夫婦はサラを服と帽子で男の子に変装させパリへ連れて行く。サラは自分のアパートへ行くとドアを鍵で開ける。そこで見たものは・・・

アメリカ人ジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)はフランス人の夫と結婚して安定した家庭だが、二人目の子供を妊娠している。いまさらの年齢で子供を持ちたくない夫と気まずくなるジュリア。
「ヴェルディヴ事件」についての記事を書くことになり取材をはじめる。

マーティン・スコセッシ監督『ニューヨーク・ニューヨーク』

ロバート・デ・ニーロとライザ・ミネリ主演の1977年の映画を日本での上映を待ち構えて見に行った。今夜はレンタルブルーレイで見たのだが、記憶とちょっと違っているような気がした。自分に都合よく覚えていただけかもしれないけど。
サックス奏者のジミー(デ・ニーロ)がアフリカ系ミュージシャンとともに演奏するときのシーンが記憶に残っているのだが。もう40年も経っているのだから自分勝手な記憶かも。

1945年日本との戦争に勝った戦勝記念日のニューヨークはたくさんの人出で賑わっていた。ジミーは、うろうろしているうちにテーブル席に一人座るフランシーヌ(ライザ・ミネリ)に気づき強引に誘う。ジミーはサックス奏者でフランシーヌは歌手だった。二人は共にビッグバンド楽団に入って田舎まわりのツアーに出る。ツアー中に結婚。ジミーは演奏はずば抜けているが短気でバンドのメンバーと同調できない。機嫌よく歌っていたフランシーヌは妊娠がわかりニューヨークに帰るという。結局二人は離婚してそれぞれニューヨークに帰る。
レコード会社の偉い人がフランシーヌの歌と容姿を認めて後援し彼女は大衆的な人気を得る。

数年後にはジミーもバンドと店を持ち成功している様子でフランシーヌの舞台を観にくる。
最後にジミーが一緒にご飯を食べようと誘い、楽屋口で待っていて彼女が来ないのに気がつく。