映画『スティーブ・ジョブズ』を見てブルーのiMacの時代を思い出した

今夜は夜中の2時から、Apple Special Event. September 12, 2017. The first evernt at the Steve Jobs Theater を見ようと夜更かしの構えである。
先日から映画『スティーブ・ジョブズ』(監督ダニー・ボイル。脚本アーロン・ソーキン、原作ウォルター・アイザックソン、2015年製作)をもう一度見たいと思っていたので、ちょうどよかった。マイケル・ファスベンダーのジョブズがとてもよくて、 ケイト・ウィンスレットのマーケティング担当ジョアンナが素晴らしい演技。ジョブズとジョアンナのやりとりが真剣勝負なところに引き込まれた。

iMacが最初に発売されたのが1998年、美しいブルーの姿に魅せられたが、お金がなくて買えなかった。1987年にマックプラスを買ったのが最初でぼちぼちと趣味から仕事に使うようになっていった。無理をして歴代のマックと周辺機器を買って仕事してきたが、楽しそうなiMacには手が出なかった。
そのうちにいろんな色のが出揃ったときは、「わたしはイチゴ色を買う!」と息巻いていた。そんなとき、兄がiMacを買うからいっしょに行ってくれという。当時相方は仕事が忙しく買い物に付き合っている時間がないので、わたしがやる以外なかった。
はじめてマックを買う人のための本を調べて、兄といっしょに昼過ぎの空いた時間に難波のソフマップに行った。これとあれをなんてノートを片手に売り場で商品を出してもらった。付け焼き刃の勉強でやっつけたけど、店員さんはうら若い(?)女性のわたしがあれこれいうのでびっくりしてた。設置とか接続とかは相方がのちに日曜日に行ってやった。

そこまではいいんだけど、その後は質問の電話の嵐がやってきて、当時わたしは主婦していたのだが、毎日毎日質問電話攻めに悩まされた。兄はパソコンで謡の会の案内状を作ろうと必死だった。

『オン・ザ・ロード』をもう一度見た

「製作総指揮がフランシス・フォード・コッポラ、監督が『モーターサイクル・ダイアリーズ』のウォルター・サレス、2012年の作品。」と7月にレンタルDVDで見て書いた。そのときは思い込みが先に立っていて映画が終わった時はちょっとがっかりしたんだった。今日もう一度見たら前回よりもずっと登場人物にも理解がとどき「ああよかった、もう一度見てよかったね」という言葉が素直に出てきた。

いまここにビート詩人8人の写真の切り抜きがあるのだが、ジャック・ケルアックのシャープな顔に映画のシーンがダブって「うーむ」とうなずいた。写真のほうがずっといいけど。昔なにかで読んで憧れていたニール・キャサディもこの写真のほうがずっとインテリだ。などとモンクを言いながらも、長い映画の二度目を楽しんだ。
前回は理解が行き届かなかったウィリアム・バロゥズとアレン・ギンズバーグも、ああこの人やねって感じで見られてよかった。

映画としては良かったとはいえないけど、ビート・ジェネレーションの時代の人たち、街や道(ロード)の風景を見て感じるところもあってよかった。

グリーントマトのサラダと映画『フライド・グリーン・トマト』

昨日近所の無農薬野菜の店で買ってきたグリーントマトを今日の昼にサラダにして食べた。キュウリ、レタス、ブロッコリーとグリーントマト、お皿に盛られたグリーン野菜が新鮮でうまかった。赤いトマトよりさっぱりした味のグリーントマトを食べていて思い出した。「『フライド・グリーン・トマト』てあったやん、よかったね、あれ」「覚えてないで、トマトを使った料理か?」「そうやねん、女性2人でレストランやって評判の料理やねん。トマトをスライスして衣をつけてフライパンで揚げるんやて、映画の中でやけどね」なんて話しあった。

覚えているのはそこまでである。解説を読んだら映画は女性2人の友情の物語なのだが、原作は同性愛の物語のようだ。ふーん、映画館で見てからビデオでも見たのはそのせいか。メアリー・スチュアート・マスターソンがすごくよかった。それで『マンハッタン花物語』を見て、相手役のクリスチャン・スレーターにも惚れたんだった。

たしか同じように女性どうしで共感し二人で旅に出る映画もあったっけと思い出した。最後のシーンがじ〜んとくる『テルマ&ルイーズ』(1991)。スーザン・サランドンとジーナ・デイヴィスがよかったが、同じ年に公開されたといま検索して初めて知った。

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』昨日の続き

昨日は映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』をこのわたしのiMacで見ていた。美しい映画画面に見える部屋に背より高いでっかい計算機(?)が置かれている。なんだか音を立てて規則的に動く神秘的な機械が、のちにコンピュータになったんだって。このでっかいものがいまやこの小さなiMacに収っているといるということを話しながら、コンピュータの基礎を作った人を描いた映画を見ていたわけだ。

チューリングは第二次大戦後、当時のイギリスの法律で同性愛者として罪に問われた。映画では執拗な攻撃的取り調べをする警官が出てくる。イギリスの警察ものを読むと出てくる落ち着いた自信をもった警官は相手が悪人の場合を小説で読むと小気味好いが、チューリングに対してのしつこい追求は見たくなかった。

イギリスではアラン・チューリング(1912-1954 )の生誕100年前後から、彼の業績を正当に評価しようという動きが本格化しているそうだ。英国政府によるチューリングの恩赦が発表されたのは2013年12月24日。

モルテン・ティルドゥム監督『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』

2014年のイギリス映画。わたしはタイトルすら知らなくて、翻訳家の山本やよいさんとのメールのやり取りでシャーロック・ホームズの話から巡ってベネディクト・カンバーバッチときて、『イミテーション・ゲーム』を見ましたかと聞かれたという長い話である。
「まだ見ていません」と答えてから、アマゾンプライムをチェックしたら、なんとタダで見られる。さっそく今夜見た。

ケンブリッジ大学の数学者アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)は第二次大戦中、ナチスの暗号機エニグマの解読に挑む。同僚を見下して孤立するチューリングは、上官の「チャーチルがすべての責任者だ」という言葉を聞き、チャーチル首相に直訴して仕事を続けることになり、エニグマ解読のための同僚をクロスワードパズルで選ぶ。一人の女性(キーラ・ナイトレイ)がパズルで優秀な頭脳を見せる。

エニグマを解読するための努力が実るまでの苦労と上官や警察官とのやり合いが詳しく描かれる。
解読してから後の行動についての悩みの大きさもぐさっとくる。またその時代の同性愛者に対する政府の扱い。何十年か前の話なのに大変な苦難を重ねて生きた主人公の苦難に涙した。

アイヴァン・ライトマン監督『デーヴ』

1993年のアメリカ映画でケヴィン・クラインとシガニー・ウィーバー主演。職業斡旋所を経営するデーヴは気楽な生活を楽しんでいるが、顔や姿が大統領とそっくり。
ある日大統領のそっくりさんとしてモノマネをしていると、シークレットサービスに目をつけられる。モノマネはボランティアとしてやってるだけと弁解しても無駄で、大統領の替え玉として使われる。最初の人前を通行する大統領姿がうまくいった。まもなくほんとの大統領がセックスしていて倒れる。

思わぬ事態になりデーヴは替え玉を通すことになる。大統領特別補佐官は副大統領を失脚させて自分は次期大統領になるつもりで画策する。大統領夫人がホワイトハウスに戻ってきて実情を知る。実は大統領夫妻は表向きだけで裏では反目しあっていたのだ。
デーヴはホームレスの子供たち支援の法案をめぐって特別補佐官と対立する。
議会や記者会見など本物っぽいシーンが続き、デーヴの人の良さと機を見るに敏なところが幸いして、最後はハッピーエンド。
久しぶりにケヴィン・クラインとシガニー・ウィーバーを見て楽しんだが、24年前の映画か〜 アマゾンプライム。

大阪駅ステーションシネマで『鉄路の斗い』を見た

最近買い物するのに大阪駅のイカリスーパーへ行くことが多い。明るくて美味しいものが揃っていて買いやすい。駅の建物に入って歩いているとふと思い出すときがある。イカリの隣りには明るいティールームがあって賑わっている。このあたりが暗かったことを思い出すこともない。北側は相変わらずの高架下だが昔とはずいぶん違って明るくなった。
『鉄路の斗い』は石原裕次郎主演作と二本立てだった。ということで、裕次郎の映画のリストをみたらすぐにわかった。

かたや、ルネ・クレマン監督、アンリ・アルカン撮影のモノクロ映画、フランスの鉄道労働者のナチス抵抗を描いた作品である。この映画のことを知ってから絶対見たいと思っていた。大阪駅構内だからどこにでも行くぞというほどの決意ではなかったけど。でも誘う友だちがいなかったのだから孤独やったんやな。
労働者たちが処刑されるときに小さな虫が壁に止り、羽のゆらめきを一人の労働者がじっと眺めていて、すぐに銃の音が響き彼は倒れる。忘れられないシーンだ。

そうだ、裕次郎はたしかドラマーの役だったと思い出して調べたら『嵐を呼ぶ男』で、封切りは昭和32年である。多分、ステーションシネマは二番館だろうからその翌年くらいかな。記憶をたどると、一人で行き、はじめて入る映画館であったこと、トイレの匂いが漂っていたことくらいしか思い出せない。

梅田日活のころ

先日タクシーの運転手さんにイナロクのことを教えてもらった。国道176号線がイナロクか〜と感心したらいろんな知識を付け加えてくれた。イナロクが梅田新道からはじまっているとは知らなかった。梅田新道とは懐かしい。

この日記にしょっちゅう出てくる姉より2歳下、わたしより10年上の亡き姉が小中学時代のわたしにとって憧れだったことを書いておこうとさっきご飯を食べながら思った。断片を相方にしゃべってたらいろいろ思い出した。書いているうちに思いが少しはまとまるかなあ。

二番目の姉はよく遊んだ人だった。タイピストをしている会社をひけると、たいてい遊びにいく。映画、ダンス、そしてどこかの喫茶店のようなところから帰ると寝ている妹にも聞こえるように話すのだった。聞きながらわたしも姉みたいな遊び人になろうと思った(笑)。
父が買う推理雑誌『宝石』、映画は『スクリーン』『映画の友』、姉が買うのはいまなら『アンアン』『ポパイ』のようなものか『スタイル』だった。たまに『新女苑』も。兄が買う『改造』もあった。『世界』も出てたかも。わたしはもちろん『ひまわり』。あれほど雑誌が輝いていた時期はなかったと思う。

姉は大阪駅からまっすぐのけっこう広い通りを「うめしん」といっていた。喫茶店、洋服屋があったように記憶する。
それから10年くらい経ち、ハタチくらいになったころ、その「うめしん」でわたしも遊ぶようになった。コーラスの友人の両親が相次いで亡くなり、遺産に日活の株があったそうで、映画がタダで見られる。毎週のように二人で出かけた。小林旭と宍戸錠がわたしのお目当て。もうちょっと上品なのを見たいと彼女。でも日活映画やもんと2年くらいは通ったかな。帰りにすぐそばのお好み焼き屋に寄るのが楽しみだった。いま思うと北新地の流れだったのか、お座敷になった店で、出来上がりにマヨネーズをかけまわしてくれた。わたしらはいっちょまえの遊び人のような顔をして食べてた。

ダニー・ボイル監督『スティーブ・ジョブズ』

映画化の話を聞いたときはできたらすぐ見たいと思ったが、ころっと忘れていて昨日の夜ようやくアマゾンプライムで見た。原作ウォルター・アイザックソン、脚本アーロン・ソーキン、主演マイケル・ファスベンダー(ジョブズ)とケイト・ウィンスレット(初期からの開発チームメンバーであるジョアンナ・ホフマン)。

このブログにも何度も書いているが、わたしたちがマッキントッシュプラスを買ったのは1987年秋のことだった。話に聞くコンピュータというものを見にいったのだが、日本橋の大型電気店でずらりと並んだNECのマシンに圧倒された。ふと隅っこを見ると、可愛い四角いものが1台置いてあった。わたしは相方の上着の裾を引っ張り「あれにしよう」と叫んだ。359,000円のその小さい箱こそマックプラスで、わたしらが買った最初のマックだった。相方はその日からマックのとりことなり、わたしも基本操作を覚えた。
その後に買ったすぐれもの、性能は段違いに優れプラスと同じくらいの大きさのSE/30ときたら756,000円なのであった。ここから仕事に使えるマックになっていった。

以上のようなマックファンであるからジョブズの映画となると入れ込む。
ウォルター・アイザックソンの伝記はすぐに買って読んだが、いまやかなり時間が経って記憶がおぼろ。ふふ、まだあるのだ、ヤマザキマリの漫画『スティーブ・ジョブズ』(講談社)。1と2を友人にもらって、いまのところ3と4を買って読んだ。映画と同時進行で読んだ感じだ。伝記のほうは正確だがちょっと風味が足りないと感じるところがあった。ヤマザキマリさんの本はしっくりきてすごい。両方読んで映画を見たらお腹いっぱいだ。

ようやく映画の話になるが、とてもよかった。マイケル・ファスベンダーは「ジェーン・エア』のロチェスターさん役しか見てないがよかったし、今回もよかった。ほんとのジョブズみたいだった。ケイト・ウィンスレットも細かい感情をよく出していてよかった。

ウォルター・サレス監督『オン・ザ・ロード』

わたしがジャック・ケルアックの本を読んだのは30年以上も前のことだが、いっときニール・キャサディが猛烈に好きでたまらなかった。今日相方がツタヤで借りてきたDVDを見ていて気がついた。「路上」を書いたケルアックと「路上」を生きたひとニール・キャサディを描いた映画だ。ケルアック役のサム・ライリーは『コントロール』でイアン・カーティスをやった人だって。あれはよかったけど、今日はもひとつもの足りなかった。ニール・キャサディももひとつだった。もうちょっと・・・。
製作総指揮がフランシス・フォード・コッポラ、監督が『モーターサイクル・ダイアリーズ』のウォルター・サレス、2012年の作品。

1940年代のニューヨークに作家志望のサルが父亡き後、母親と住んでいる家を出て旅に出る。広いアメリカの土地を暑いときも寒いときも車やらバスやら歩きやらで、いろんな土地に移動する。時に離れても大体は一緒に行動するディーン。酒、マリファナ、女、ジャズなどについてサムは書き留め、ディーンは体に記憶する。

映画が良いというよりも、ジャック・ケルアックとニール・キャサディが主人公だからいいはずだという思い込みが先に立っていた。