アキラのズンドコ節が好きで

いま「ズンドコ節」で検索したら海軍小唄として歌われていたとある。戦地に赴く男たちの本音を歌った流行歌のようなもので、作詞者及び作曲者は不詳。それからいろんな歌手が歌っているが、1960年に小林旭がカバー。流れものシリーズのテーマ曲として歌った。

わたしの家族はみんな洋画派でわたしも洋画で育った。ところが友だちのお父さんが日活の株を持っていて梅田日活の招待券をくれる。はじめは仕方なしにいっしょに行ったのだが、「銀座旋風児」を見てからわたしのほうがはまってしまった。
当時は石原裕次郎のほうが人気があったから、タダ券で「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」とかもっといろいろ見たけど、わたしはアキラひとすじ。そうそう共演の宍戸錠も好きだった。そういうところから東映ヤクザ映画にも惹かれていったんだと思う。ゴダールもトリュフォーも好きだけどさ。

そんなもんで「アキラのズンドコ節」が好き。昨日若い友人が「きよしのズンドコ節」を歌いながら歩いたとツイッターに書いていたので「わたしはアキラの」と返信したら、アキラを知らなかったようなので動画ズンドコ節を歌っている「海を渡る波止場の風」(昭和35年)のURLを教えてあげた。気に入ったみたい。
今夜はアキラと健さんの動画を探して聞きまくっている。「唐獅子牡丹」もあった!

今夜も過去の発掘して、明日へ

またもやツイッターから情報がもたらされた。
フォロワーさんのツイートに四谷シモンのサイトがリンクされていたので「プロフィール」を読んでいたら、1969年ごろに状況劇場の「腰巻お仙振袖火事」を見たことがわかった。新宿公演しか書いてないが、わたしが京都へ来たのを見に行ったのはたしかだ。京都大学のどこかの寮の空き地にテントを張っていたと記憶する。四谷シモンはブルーのドレスを着て登場し、学生客が食べていたうどん鉢をひったくりうどんを食べて喝采された。李麗仙と唐十郎もすごかったがシモンの洒脱な振る舞いがわたしにはうけた。

ものごころついたころから演劇(新劇、歌舞伎、文楽、すこし後から能)を見るのが好きだったが、70年代前後から旧来のものから醒めて新しいものへと変わっていった。状況劇場を見にいったのもそうだ。その後は日本維新派の芝居をたくさん見た。小劇場というのもけっこう見に行った。その結果は映画のほうが「いま」の気分だという気がして演劇から離れていった。
最近はあんなに毎日のように見ていた映画をろくすっぽ見ていない。SNSやブログが「いま」という気分である。

竹田さんのギターは優しく

竹田一彦さんの演奏日をすっかりご無沙汰してしまった。これ以上行かなかったら「どなたさんでしたっけ」と言われそう。ということで寒い中をSUBへ行った。
はじめは竹田一彦さんと財盛紘さんのデュオで休憩のあとはベースの山本学さんと宮上啓仁さんが入れ替わり、それにテナーサックスの長谷川朗さんが加わって多彩な演奏を聞けた。
やっぱり生音が好き。竹田さんのギターの優しさにほろりとした。

カッコいい竹田さんの弟子の若者と気持ちよく話をした。竹田さんの奥さんと間違われたけど(苦笑)。そういえば西山さん在りし日に愛人と間違われたこともあったっけ(遠い目)。
なんやかんやと楽しい夜を過ごして、帰ったらおいしい食べ物が待っていて、まあまあ幸せ(笑)。

マリオン・ブラウンの訃報をいまごろ知った

天王寺にあったジャズ喫茶マントヒヒの回想サイトに、客としての「マントヒヒの思い出」をと言われて書き出したところだ。最初に行ったときにかかっていたレコード「AFTERNOON OF A GEORGIA FAUN」を確認しようとして検索したら、「横井一江のブログ 【音楽のながいしっぽ】」の「訃報:マリオン・ブラウン」があった。この記事はなんと一昨年2010年の10月のものだ。亡くなられたことを全然知らなかった。(マリオン・ブラウン 1931-2009)

当日記に「突然マリオン・ブラウンを思い出して」を書いたのが2006年1月。マントヒヒのことを思い出したらすごくききたくなってアマゾンでCDを買ったのだ。それでいまうちにはこのCDがあるわけだ。いろんなことを忘れてるなぁ。明日探してきこう。

そのレコードがかかっていたマントヒヒでマスターをしていた、クマこと関西大学教授の木村洋二(当時は京大の大学院生)さんも亡くなられた。マントヒヒとほとんど同時に谷町9丁目でSUBを開店した西山満さんも去年亡くなられた。

ジョン・ミリアスの映画を見たい

先週の水曜日にバーでライブをやっている反対側の壁に写っている「ビッグ・ウェンズデー」 (1978 監督/脚本)を見てから、ジョン・ミリアスの映画を見たくなった。
ずっと昔に道頓堀の浪花座で深夜にサーファーたちに囲まれて「ビッグ・ウェンズデー」を見てからレーザーディスクを買って何度も見たが、LDを見なくなって間もなくもういいかなと処分してしまった。いま思えばもったいないけど、あのときはネット時代に入っていて、もう何度も見た映画はええわと思ったんだんだわ。いろんなシーンを覚えている。あのお母さんはテレビドラマの「ペリー・メイスン」の秘書役だったバーバラ・ヘイルがやっていて、息子のウィリアム・カットが息子役だった。

それよりずっと前にテレビで見てすごく惹かれたのがデリンジャー (1973 監督/脚本)で、ウォーレン・オーツのかっこよさに夢中になった。1933年、大恐慌の時代に銀行強盗を繰り返すデリンジャー、いま解説を読んでいたらミリアスのデビュー作だ。鮮烈なデビューって言葉がぴったり。これは後にレンタルビデオで見ている。
いま知ったところでは「ダーティハリー」1と2の脚本を書いている。そうだったんだ、「ダーティハリー」は1と2がよかったのがうなづける。
「風とライオン 」(1975 監督/脚本)はテレビで見ただけでちゃんと見ていない。ああ、時間があればジョン・ミリアスの映画を見たい。

今夜はビッグ・ウェンズデー

九条のクジラウオさんに食事に行きたいが、寒いしちょっと遠いしなぁとなかなか行けない。そのクジラウオさんが今日はうちの近所のバーでフード担当と知って、晩ご飯を食べに行ったら今日はビッグ・ウェンズデーというパーティがある日だった。もうちょっとしたらライブがあるという。
餃子の入ったスープと豆腐とおからのお焼きを食べてしゃべっていたら、ライブがはじまった。太鼓やジャンベや打楽器が多くてにぎやか。リズムが気持ちよく、わっ、もうかったって感じで楽しんできた。

音楽をやっている反対側に映画が映し出されている。見たことがあるぞと思って眺めていたら「ビッグ・ウェンズデー」(ジョン・ミリアス監督 1978)だ。そうか〜今夜のパーティ名にひっかけてるのか。この映画、むちゃくちゃ好きだったが最近は見ていなかった。片側はライブ、片側は映画とぜいたく極まりない。最後のシーンはいま見ても泣ける。サーファー3人がサーフボードを抱えて高波に向かうところは「昭和残侠伝」で高倉健と池部良がどすを片手に斬り込みに行くところとそっくり。

休憩中に雑貨を置いている好青年(DJもやってた)とおしゃべり。だいたい今夜の客は男女ともに愛想が良くて、話しかけてくる子もいるし、にっこりの子もいて満足だった。雑貨のところで毛糸の帽子を見ていたら、何人もあれがいいこれがいいと大騒ぎ。みんなが買えという赤やピンクは避けて渋い色を何色も使ったのにした。ダウンのコートをもらってから合う帽子を探していたので、いいのがあってよかった。

1961年の1月10日

昔の知り合いからメールが届いたもので、ジャズ喫茶のことなんか思い出したり、ついでに検索して遊んでいるうちに今日がなんの日か思い出した。51年前に大阪フェスティバル・ホールでアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを聞いた日である。ものすごい衝撃を受けたんだけど、忘れるともなしに忘れていた。

ところが数年前にSUBに行ったとき、壁に貼ってあるアート・ブレイキーの写真を見て、西山さんにあのときわたしもあそこにいたと言ったらすごく喜んでくださった。それ以来、いろんなお客さんやミュージシャンに「彼女は1961年にあそこにいたんや」と写真を指差して紹介してくれた。毎週金曜日の竹田一彦さんとのデュオのときに竹田さんが「わしも行っとったで」と言われて、三人組みたいな感じになった(笑)。それでSUBへ行くとわたしはクミちゃんだった(笑)。

去年の夏に西山さんが亡くなられた。「暑い! 冷たーい水を呑んでください。 体に気をつけましょうね!」というメールが残った。
51年前に生意気な娘だったわたしはお金を工面して行ったアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズに熱狂したが、西山さんはあまりのすごさにジャズをやめようかと思ったと語っていた。ちょうど50年後にジャズベーシストとしての人生を終えられた西山さんに想いを馳せる夜、わたしは61年前と相変わらず心は生意気な娘(笑)。

SUBで、荘司幸恵Quartet+1

今年はじめてのSUBである。今日のメンバーは、荘司幸恵(P)、鈴木一郎(G)、財 盛紘(B) 中野圭人(D)、with 城下麻弥(vo)。
荘司さんのピアノをはじめて聞いたのはいま当ブログをさかのぼったら2008年8月だった。そのときは西山さんがチェロで加わっていた。はじめて聞いた荘司さんのピアノが陽気にスイングしていてびっくりした。それがいまや老練さまで感じさせる。財さんは当時18歳で初々しかったがいまや堂々とした共演ぶり。中野くんのドラムははじめて聞いたときから新人と思えない度胸とうまさを感じたが、ますますうまくなっていた。鈴木さんは最初から大人だったからいまも大人で穏やかさが持ち味。つまりとても素敵なカルテットになっている。そこに城下さんのヴォーカルが加わった。
個人的体験からなんだけど、おととしごろまで女性ヴォーカルにちょっと引くところがあった。女性ヴォーカルをあんまり聞きたくないと西山さんに言って「わかるけどな」と言われてほっとしたり(笑)。でも西山さんのまわりの若い女性の歌をそろそろと聞き、また個人的に話をしてたら、わたしの偏見は払拭されていた。みんな素直や〜
今日の麻弥さんの歌は去年聞いたときよりずっと成長していた。ということで、あらあら、今日はみなさんの成長ぶりを楽しんだ日だった。

終わってから30年前からこの店の常連であるA氏と話した。なんと同じ日の反原発デモに行かれていた! 話はハート=ネグリの「帝国」までいった。ああびっくり。この本の訳者のお一人をご存知で、わたしはその方が西梅田公園でデモの前に対談されたのを聞いたことを言ったが、ああ驚いた。

スパイク・リー監督『インサイド・マン』

久しぶりに見た痛快な映画、スパイク・リー監督「インサイド・マン」(2006)。「マルコムX」のスパイク・リーとデンゼル・ワシントンが組んで楽しんでつくったという印象を受けた。できる女弁護士役にジョディ・フォスター、刑事のキャプテン役に懐かしい美男子ウィレム・デフォー。頭の良い銀行強盗のリーダーがクライブ・オーウェン。
いつも言ってるけど、翻訳ミステリファンとしてニューヨークの刑事さんが2人組で出てくるとうれしい。相方がTSUTAYAで借りてきたのでおまかせだったのだが、あれ!うれしい!と身を乗り出して見てしまった。

マンハッタン信託銀行に銀行強盗という通報を受けて、刑事フレイジャーと相棒が駆けつける。フレイジャーは以前担当した事件で14万ドルの小切手紛失という失敗があり、今回は汚名返上のチャンスである。いっぽう、銀行の頭取りは貸金庫に秘密の品物が入れてあるのを守りたいと敏腕の女性弁護士ホワイトに頼む。犯人たちは従業員と客に自分たちと同じ服装に着替えさせマスクをさせて人質にする。

テンポよくはじまり、ユーモアのある会話がある。賢い犯罪者の相手をする刑事に思い入れして見ていた。
さすがスパイク・リーの映画だから、単なる犯罪や刑事たちの活躍だけでなく、銀行頭取の過去に迫ってさすがである。ちょっと年配になったジョディ・フォスターとデンゼル・ワシントンの丁々発止のやりとりがよかった。

PINE BROOKLYNにて PRHYTHM – AMAZON FUNK -  12/31の続き

YA△MAさんのDJがアマゾンを意識した音でどんどん盛り上げて行く。ステージのバックにはアマゾンをイメージして加工した布が張ってあって、それが照明でアマゾン川にも南米の地にも見えるONAさんの素晴らしいデコレーション。

8時、うしろに立っている人たちの厚みがぐっと増していくのを感じつつ座っていたら演奏がはじまった。パンデイロ(ブラジル風のタンバリン、ウィキペディアには「パンデイロ奏者としてはマルコス・スザーノが有名」とある)のマルコス・スザーノがギターのYOSHITAKEさんのほうを見ながら叩く音は不思議なリズムをかもしだして別世界へ連れていく。

今回の演奏にいたるまでにYUSHITAKE EXPEさんの公開リハーサルを秋から3回きいている。それぞれ共演者が違っていてそれぞれよかったけど、その集大成だ。
1ステージが終わったときには、ぺちゃんと座っていたので足腰が疲れて立ち上がった。屋上に出てワインを飲み、昔なじみのピンクさんが子連れで友だちのトトロさんと来ていたのでしゃべったり子どもの相手をしたり。雑貨と食べ物のコーナーでショールを買ったのが暖かい。

2ステージ目は後ろで立ってきいた。後ろの壁いっぱいに現在進行中の舞台が映し出されている。その前の空間で踊るひとたちがいて、すごくいい雰囲気。
10時で一応終わったが拍手でアンコール。ドラムの沼澤さんがすごいのりで叩いてYUSHITAKEさんが神懸かり的に弾きまくって、スザーノさんがこれでもかとパンデイロを叩く。よかった、よかった、来てよかったと友人たちと言い合い笑い合った。
前売り券を買ったらもらえる「YA△MA特製RAWチョコレート」がうまかった。
最後には足が疲れて友人たちとしゃべりまくっている相方をおいて、さきにタクシーで帰った。わたしには明日があるから(笑)。