五番目の三女

ちょっと見渡すぐらいでは見つからないと思う五番目に生まれた三女の人。
我が家は長女、次女、長男、次男、三女、三男、四女の7人きょうだいである。一番上が96歳で施設にいて寝たきりに近い。次女と三男はずっと以前に60歳を目前にして病没。長男は妻を亡くして基本的に一人暮らし、息子夫婦と娘が世話してる。次男は元気で妻子とともに関東で暮らしている。いまは家長の役割を担っている。
そしてわたし、三女は夫と二人で仲良く(笑)大阪で暮らしている。最高齢の長女と一番下の四女はたしか20年離れている。イノシシとなんだっけかなあ。ええっ、78歳か〜 赤ん坊のときから面倒見てきた子が・・・そしてなにかにつけ、わたしは引かされ妹が得するシチュエーションになるのだった。三女はゴミ溜めで末っ子は可愛くていい子で母は溺愛していた。

まあ、いまはそれぞれ年をとって、それぞれ口が達者。うちだけ貧乏。
いま、きょうだいの話を書いていて、書くまでに思っていたモンクというか、これだけはいっておこうとかあったんだけど、やめとこう。誰か読んでたらいかん。

家族の呼び方はアメリカ式

わたしの父親は若い時に浅草で働いていたそうで、東京に住んでいるときは浅草をぶらつくのが大好きだった。「お前を抱いてミミー宮島の踊りを見たんだぞ」と子供のときに聞かされた。3・4歳のときのことである。聞かされた歌は「ダイナ、わたしの恋人〜、胸に抱くはうるわしき姿〜」というんだった。そういう実演とアメリカ映画の影響が我が家では子供達にも浸透していた。「本を読んでも兄や姉のことを兄さん姉さんと呼ばないだろ。名前を呼んでいる。うちも名前で呼ぼう」と父がいったそうな。長女はねえちゃんでなくて和ちゃん、次女武ちゃん、長男みっちゃん、次男勝ちゃん、三女久美ちゃん、三男よっちゃん、四女せっちゃん。父母も子供達を名前で呼ぶようにした。わたしは「くみちゃん」と呼ばれた。母は父の文化的な面を尊敬していたので否応なく笑って従った。

4年生になったころ『若草物語』を読んで、名前で呼びあっているところをうちと同じやと納得。世の中は大東亜戦争真っただなかというのに、我が家は敵のアメリカ式なのであった。よそでいうなよといわれました(笑)。
さすがにパパママとはいわされなかった。ずうーっとおとうちゃん、おかあちゃんと呼んでいた。あれ、なんでやろ。

人生最高の暑さ

今日は暑かった。人生の最高の暑さかと思った。尊いような暑さ(笑)。大阪は37度。
ひょっとしたら山梨県へ疎開しているときにもっと暑い日があったかもしれない。山梨は甲府盆地だから気温が高い。3回すごした夏も毎日暑かった。田舎の暑さと都会の暑さは比べられないが、いまの大阪よりもマシだった。建物や道路の照り返しとかないし、クーラーの熱気もないし。少し山に入ると冷たい水が湧く泉がある。そこでお腹を下にして横たわり手ですくって水を飲む。うまかったなあ。
叔母の家はいまは市に変わっているが。当時は後屋敷村字清水というところだった。あちこちで清水が湧くからだと聞いた。ほんまに石の間から冷たい清水が湧いていていくらでも飲めた。もう大型道路とかできてあんな秘密めいた場所は残ってないだろうな。

いやいやもう、今日は暑かった。結局外にはよう出ず家にこもっていてベランダへ洗濯物の世話に出ただけだった。
冬物のカーテンが残っている窓がひとつあったので、すだれと夏物カーテンを重ねて吊るした。部屋の仕切りのドアを外して、いままでカーテンをかけていたのを「方丈記」やなあといいつつすだれを吊るした。

台風6号が過ぎた

昨夜は台風6号の影響で大雨になるかもしれないと寝る時に洗濯物を取り入れた。カーテンはおおかた乾いていたが、一応室内にかけ今日の午後まで空気にさらしてから片付けた。間の悪い時に大物を洗ったもので一手間余分にかかった。
そのあとに通常の洗濯物2日分を洗ったからいっぱい干してある。さて、今夜はこのまま寝てしまっていいのだろうか。やっぱり取り入れて室内干しかなあ。

相方が昨日出かけたとき本屋に寄りこの間から話題にしていた『脊柱管狭窄症自力克服大全』(わかさ出版「わかさ夢ムック」)を買ってきてくれた。ほんまに自力で脱出したいので真面目にがんばろ。

留守番のわたしのほうはアマゾンで昨夜注文した木村二郎さんが「ジロリンタン通信」で薦めていた『ミステリマガジン』9月号が今日届いた。木村さんの「ジョー・ヴェニスものの新作「厄介な古傷」が載っている。三段組で字が細かくて虫眼鏡がいりそうだが、内容に惹かれて読み続けられたらいいな。休みながら、ストレッチを間に入れながら読む。

ウーパールーパーちゃんさようなら

「ウーパールーパーちゃんこんにちは」と書いたのは去年2018年10月3日。その後も月に一度は顔を見に行っていた。水の中にいても、わたしのことをわかっているみたいで、水槽の向こうのほうにいても、わたしが声をかけたほうに場所を変えて水の中に浮かんでいる。顔を見るとウーパーちゃんも見ているのがわかる。なんやかやと声をかけるとたまに激しく動いてくれる。そんなことを毎月していたが今年の春ごろ「この子、どうも体調がすぐれないんですわ」と飼い主がいうようになった。元気がなくて浮いているだけですわというので、こんちはと声をかけると、目を向けてはくれたが悲しげである。

今日行ったら、昨日の朝水槽を見たらお腹を上にして浮いてましたとのこと。
一人で寂しく夜のうちに逝ってしまったのだろうか。朝日が窓越しにさすのを見ただろうか。おとといきとけばよかったとかいろいろ気になる。飼い主さんが落ち込んでいるのも慰めねばいけないと思いつつ、いっしょに嘆いていた。代わりになにか飼いますわといってたけど、わたしのウーパールーパーちゃんはあの子だけ。

大慌てで夏支度

昨夜はシーツの下に冬用のパットを敷いてあるのに気がついて大慌てだった。どおりで最近ベッドを出ると背中が痒い。背中が温まって痒いのだがなんでたろうと思ってた(笑)。
全体を再点検して夏仕様にした。相方がカーテンを替えるというので金具を外したりして手伝い、毎年夏になると椅子にかける布を出してきて今年も同じくかけた。それで部屋が夏モードになって気分も夏。
そんな雑用でからだが疲れるんだからいやになる。

洗濯物が山積みになったので干せる範囲を考えながら洗濯した。これだけ晴れていれば乾くのも早い。ものを置く場所が狭いので家事には頭を使う。

冬物をしまって夏ものを出した。夏ものはほとんどTシャツだから整理がラクだ。ちょっと小マシな服が欲しいんだけど、どこへ買いにいくべえか。いざというとき、慌ててLLビーンやデパートに買いに行くのがいつもなので、今年もそうなるか。

梅雨明けしたらこの暑さ

大阪も梅雨明けした。明るい日差しが気持ち良い。午後からつるかめ整体院に行って、からだの手入れをしてもらった。終わったら相方が迎えにきてくれた。わたしの治療中に淀屋橋の野菜市に行って、おやつも買ってきたって。
昨日までは外出は傘の代わりのビニールコートをもって出ていた。車椅子だから傘をさすと乗るほうか押すほうかどっちかがややこしい。さいわいにもせっかく買ったコートを一度も着ることなく梅雨が明けた。この二、三日は突然に大雨が降ったが家にいて洗濯物を片付けるだけですんでいる。

おやつは手作り草餅。アンコがずっしりと入っていてうまかった。ここの餅菓子はほんまにうまい。
しかし、暑い、暑い。汗でTシャツがぐっしょりだ。何度でも着替えて洗濯物が山になる夏だ。

夕食後、シーツを交換しタオルケットを出して夏支度した。途中で気がついたのだが、シーツの下に冬用のパットが敷いてあった。ありゃー、こりゃあかんわ。まあ、今日はこのままいっとこ、明日夏用の敷きパッドを出してきて交換しよう。

東京の寄席で林家三平さん

60年くらい前の話。
東京で仕事をしていた兄が呼んでくれたので、年末から年始にかけて1週間ほどひとりで遊びにいった。はたちくらいのときだ。夜行列車の三等車で夜の8時頃から硬い椅子に座りっぱなしで翌朝東京駅に着いた。乗り換えて大森で降りて地図を片手に探しながら兄の家にたどり着いた。
兄は結婚していて長男が生まれていた。仕事がうまくいって生活がやれやれとなったところで、大阪で雑用させていた妹を慰労してやろうと思ったみたい。

着いてから毎日のように戸越銀座の寿司屋さん、銀座のそこそこのレストランなど嫂さんに連れて行ってもらった。1日かけて自動車で鎌倉へ行ってもどった。
東京の寄席に連れて行ってやると、連れて行ってくれたのが、◯◯亭とか名前を書きたかったのだが忘れてしまった。長老の人が最後に出て、その前だったか、林家三平さんが出てきて冗談をばらまいた。お客さんをネタにして「これは冗談ですから」とか、「ここだけの話ですよ」とか親近感をあおりながら話を続ける。

ふだん必死で働きようやく正月休みになった兄の家に1週間も泊まって申し訳なかったといまになって思う。当時はそれだけ東京と大阪の間には距離があり、泊めてもらうのは兄妹だから当たり前みたいな気持ちがあったのだと思う。いまは誰もきょうだいの家に何日も泊まったりしないだろう。

それからも東京へ行った時は寄るようにしていたが、泊まるのは友人宅にして兄宅には顔見せだけにした。でもどこかへ行った帰りに突然おじゃまするほうはいいが、されるほうはたまらんね。

今年の梅雨明けは

空梅雨っぽかった日々が過ぎて、この数日は梅雨らしい雨が降っている。梅雨寒だった日が過ぎてようやく蒸し暑くなってきた。やっぱり梅雨は蒸し暑くなくちゃ。部屋干しの洗濯物に扇風機の風があたっているのは、毎年の我が家の梅雨の風景である。ビンボくさいが家庭感がある(笑)。

天気予報で梅雨明けという言葉がまだ出ない。25日の天神祭は梅雨明けしているだろうか。ずっと前だけど、梅雨明けしてない天神祭があった。傘さしてお神輿を見ていたっけ。
そういえば、京都の祇園祭に行って夕立に打たれて走ったことがあった。あれは梅雨の雨ではなくて夕立だったけど。

湿度が高いのが骨身にこたえる梅雨。この時期は爽やかな5月よりずっと湿度が高くて膝とふくらはぎに負担がかかる。着るもの、はくもの、はめるもの、いろんな場所に注意を払いながら真夏を迎えよう。

帽子を買いに

まだ白髪あたまになるまでだいぶかかりそうだ。あたまのてっぺんが丸く白くて、あちこち白髪が束になっているところがあるが、カットの具合で見えるところはおおかた茶髪である。えらく見苦しくなった。去年買った帽子はあるが、見た目がもうひとつなのでいいのがあれば買おうと心斎橋ハンズへ。

車椅子を相方に押してもらって地下鉄へ。一昨年からずっとタクシーを利用していたから久しぶりの地下鉄である。定期券を持っているのに長いこと使ってなかったのでどうかと思ったが、使えたのでほっとした。心斎橋駅のエレベーターにとまどい、ようやく改札口を出て地下街を行ったら無印の店があった。目の前のTシャツが2枚で1290円だったので色を変えて4枚買った。
そのあと地上に上がってハンズへ。お風呂用麻タオルとヘアケア用品など実用品をいろいろ買った。今日の目的のもうひとつはうちわだ。店員さんに聞いたら問い合わせてくれて1階にだけあるという。
1階ではうちわより先に帽子が目についた。ええ塩梅にパナマっぽいのがあり、かぶってみたらぴったりなのでかぶって帰ることに。懸案がひとつ片付いてやれやれ。うちわはとても気に入ったが高かった。工芸品みたいでなくてすっきりとしているから満足だけど。

地下鉄に乗ろうとしたら、ドームでコンサートがあって前の駅から満員の車両が到着。わたしより先に車椅子の先輩が待っていたので後ろについて乗ったら乗客の人たちがよけてくれうまく乗れた。いろいろ経験中。

地下鉄を降りて、今日は外食しようとカレーのおいしい新町1丁目のよばれ屋へ行ってココナツカレーを注文。ああうまかったと今日の大遠征は終了。