たまには雑誌を 『エル・ア・ターブル』

こどもの頃から雑誌が身の回りにいろいろあった。とにかく7人のきょうだいがいたからこどもの雑誌もいろいろ、大人の雑誌だっていっぱいあった。いちばん上の姉といちばん下の妹の年齢の差は20年である。うちの両親は20年の間に7人のこどもを産んで育てたのだからすごい。これだけのこどもたちにご飯を食べさせた上に本も買ってくれたのだから、父親の稼ぎが少なかったとモンクを言うとバチが当たるね。
そんなわけで、少女雑誌から婦人雑誌、映画雑誌、ミステリ雑誌、なんでもある中で育った。姉たちが結婚して出て行ったあとは「それいゆ」「スクリーン」「婦人公論」など少ない小遣いから自分で買っていた。
雑誌買いはずっと続いていたが、雑誌の黄金期と思える時期があり特にたくさんの雑誌を買っていた時期があった。
「アンアン」は創刊号から買っていた。「装苑」も好きだった。「銀花」「流行通信」など大好きだった。誌名を思い出せないものもたくさんある。ずっと後には「オリーブ」もたまに買っていた。

ある時から雑誌が急速におもしろくなくなって買わなくなった。いまも美容院で見る女性誌を自分で買って読む気が起こらない。最近買った雑誌は「ユリイカ」「現代思想」、たまーに「ミステリマガジン」。相方が買う「Wired」は気に入った特集のときに読む。

今日は相方が料理の雑誌を買ってきたというので見せてもらった。「エル・ア・ターブル」79号で、特集が〈“グルメ”と“きれい”を叶える 今、「おいしい」はヘルシー〉。
相方は実用記事として、わたしは昔のように夢のある雑誌として読んでいる。

『オリーブ』を読んでPHSを買った

最近ツイッターで「オリーブ」(雑誌名)という文字をよく目にする。わたしは当時でさえ「オリーブ少女」の年齢をはるかに超えていたが、楽しい雑誌なのでよく買って読んでいた。いま本棚に2冊残してあったのを開いたのだが、1冊は1999年4月発行の超特大号で中原淳一の紹介ページがある。やっぱり「ひまわり少女」から「オリーブ少女」につながっていたんだ。
もう1冊は携帯電話のページに熟読の跡がある。2000年の7月発行で表紙に「今の時点でベストはどれだ? ケータイ、ピッチ大研究」。これを読んでわたしはPHSを買いました(笑)。お薦めのデザインがよかったから。ねばってお店の奥から出してもらったっけ。

ほんまに携帯電話を買うのが遅れていて、なにを買っていいか悩んでいた。神戸へボランティアに行ってたときは相方の黒くて重いのを持って行ってた。小グループに分かれたときの連絡用に携帯電話持ってるよと言うと、高い電話料を個人経営の女性に払わすわけにいかないと律儀に使ってくれなかったっけ。阪神大震災が1995年だからこのときは97年か。
それでもって、わたしが最初の携帯電話を持ったのが2000年なのね。乙女ちっくなオリーブ少女の話から携帯電話の話になるなんてさすがだな(笑)。

久しぶりに雑誌を買った『現代思想』5月号(大阪特集)

姉に頼まれた買い物を持って電車に乗ったら雨が降ってきた。今日は夕方から降るとかいうてなかったかなと思いつつ二駅前で降りてタクシーに乗った。この駅だとホームからエレベーターで降りてすぐにタクシーが待っている。昨日の疲れが残っているのでちょうどよかった。
用事は買い物だけで、あとは食べてしゃべってテレビを見て夕方まで過ごした。大画面で見た番組は、素人のど自慢、新婚さんいらっしゃい、クイズ、野球(阪神-巨人)の途中まで。朝日新聞も読んだ。異文化に接した感じだった。
姉が古雑誌の整理をしたので、「文芸春秋」3月号(芥川賞発表号)をもらった。田中慎弥氏と円城塔氏の作品が出ている。その他に瀬戸内寂聴さんと村山由佳さんの対談があって儲けものだ。
野球の途中で帰ってきたが、やっぱり阪神は負けたみたいだ。めったに見ないんだから見たときくらい勝ってよね。

帰りは梅田で降りて紀伊国屋で「現代思想」5月号(大阪特集)を買った。モブ・ノリオの「《エンタメ系の北朝鮮》みたいな国の絶望都市(ディストピア)・大阪では、夜中に音楽をかけて踊っているだけで警察が取り締まりに来る」をまず読んだ。次に中沢新一「アースダイバー的大阪の原理」を読む。「週刊現代」に連載されていた「大阪アースダイバー」がよかったので。

紀伊国屋のつぎに地下へ降りて成城石井でお菓子など買った。カレーペーストが高い棚の上にあったので、そばにいた背の高い客に頼んでとってもらった。デモの写真でわれながらチビだとわかったので無理しない(笑)。