世直しカフェ Vol.1 に行った

日時:9月18日 19時〜21時
場所:阪南大学 サテライト
テーマ:在日朝鮮人の運動と弾圧&ナショナリズムと戦後責任
講師:朴栄致(朝鮮総連東成支部)/下地真樹(阪南大学准教授)

下地先生の告知を昨日ツイッターで読んでこれは行かねばと相方とともに行ってきた。いま考えなければいけないことがテーマだ。みんな真剣に聞いていた。質疑応答もまじめだった。わたしはひたすら聞くばかり。
いま感想を書こうとしているのだが難しい。レジュメをもらって話を聞いてメモをとったが、まだ全然こなれてない。うーむ、なるほどと思うばかり。

在日朝鮮人の運動と弾圧について、朴栄致さんは静かに話されたが、状況はますます厳しくなるだろう。

ナショナリズムについての下地先生の話で、いままでまともに考えたことがなかったナショナリズムについて、考えるきっかけを与えてもらった。

今日はこれだけしか書けないな。

VFC会報終って、「モジ放送、勾留取消お祝い」

考えることがいっぱいあるが、まずはヴィク・ファン・クラブの会報作りをやってしまわねば。台風の連休はやる気がなくてさぼり、夜になると映画が見たくなり、本も読みたくなり。なんでファン・クラブをやっているのかを根本的に問わなくてはいけません(笑)。

昨夜プリントしていたら黒のトナーが切れて、これは用意してあったのを入れ替えした。そのあとマゼンダがなくなるとまた表示があり、夜中だけど忘れないうちにとネット注文した。コピー機のトナーもお知らせマークが出て用意してある。コピー用紙や封筒や糊や、小さい仕事だけどいろいろと品切れしないように気を使う。使わせてもらうメールへお願いやら返信やら、出来上がった会報にはいろいろと雑用がつまっている。
原稿もイラストも写真もみんな会員の手になるもので楽しい。
出来上がった会報を見るとやっぱり楽しい。

今日は、〈反原発運動への大弾圧「11.13此花区民ホール『指名逮捕』事件」の最後に残されたUさんに、史上初とも言える「勾留取り消し=無条件解放」を大阪地裁が認めた。〉という快挙があった。そのことについて、下地さんの「モジ放送、勾留取消お祝い」が11時30分ごろからある。これアップしたらちょうどよい時間だ。

「自由を取り戻す!9.1全国集会 エル・おおさか」に山本太郎さんも

ぐるぐるつながるネットワーク主催の「自由を取り戻す!9.1全国集会 エル・おおさか」に行ってきた。こういう集会には久しぶりの参加だ。去年まではデモや学習会によく行っていたが、今年はどうも出かけるのが億劫で遊びにも出かけていない。勤続疲労が暑さで倍増してる感じ。トシには逆らえないと言いたくないが。

今日は絶対行くぞと決めてネットで参加表明したので、どうこうなく雨の中を出かけた。天満橋のエル・おおさかへ行くのははじめてで、地下鉄を谷六で乗り換えて天満橋へはスムーズに着いた。それからお約束どおり(笑)ちょっと方向を間違ったが、豪雨と雷の中をたどり着いた。この雷雨なのに会場の後ろのほうはほとんど満席。比較的空いていた前のほうに座った。膝から下がびしょ濡れだったのでクーラーで冷えて困った。上に着るものとかいろいろ持っていって正解。

12時開場
映像〈何が起こったのか,関電前〜天満署〜大阪駅〜此花〉上映がはじまっていた。何度もネットで見ているけど、きちんと編集されて大きな画面で見たら改めて感動した。

1時スタート
司会:緑の党の長谷川羽衣子さん。赤いドレスで元気いっぱい。
メインスピーチ:下地真樹(モジモジ)さん。
話は「自由について」からはじまった。次に「弾圧」について。日常生活への弾圧として、不当逮捕等への恐怖が〈自主規制に追い込む〉こと。デモの申請が必要な国は少ない。その日本でデモ申請をしに行った下地さんたちがひどい嫌がらせをされたことなど。最近あった「東京リベルタン」の不当逮捕についても話された。
〈休憩〉

ライブ〈はちようび〉+ジャンベ4人 ○山本太郎さん登場。
久しぶりの〈はちようび〉のライブ、ヤンシの歌を聞いて気分があがった。
○途中で山本太郎さんが来られて挨拶された。
ヤンシは山本さんへの拍手が自分らへより大きかったとちょっとご機嫌ななめだった(笑)。ちょっとノリが悪い観客ではあった。○モジモジさんが登場して1曲歌った。
〈休憩〉
受付でチラシなどを収集。「NO NUKES バッジ」と園良太さんの本「ボクが東電前に立ったわけ」を買った。

参加者からのスピーチ
○園良太さん(麻生邸リアリティツアー弾圧,2.9竪川弾圧,差別・排外主義にNO! 9.23新宿デモ弾圧当該)
○大谷隆夫さん(4.5釜ヶ崎大弾圧当該)
○福岡市民救援会・久藤学さん
○関西大弾圧救援会・韓基大さん、前田登志さん(関西大弾圧当該)
○労働組合弾圧から 全日建連帯労組関西生コン支部民救援会関西大弾圧救援会
それぞれのかたが自分の経験からの発言をされた。わたしも真剣に生きなければ。

1分間スピーチ(会場から申し込んだ人による)
○関西弾圧東京の会、監視テントのくまさん。○千葉県から関東大震災90年のこと。○大阪在日男性、3年前の9月1日に逮捕された。○大阪府の学校の先生、君が代のときに座っていて減給処分。○大阪原告団事務局から。○釜ヶ崎日雇い労組、良心を失わない。○福井から普通の人間として福島へ行き、政府の大嘘を知った。○堺市では市長選が近いこと。○車椅子の方が呼びかけ。○最後にさっき言い残したと韓基大さんが裁判の傍聴呼びかけ。

3時半に終了した。参加者700人。
わたしはここまでで帰宅。
帰ったら集中したせいか雨に濡れたせいか疲れて2時間の爆睡。

デモは4時からスタート。雨があがってよかった。
無事に終了したそうです。参加者500人くらいだったって。
いま「たぬき御前のたぬキャス」でデモの様子を見ている。

勤続疲労、選挙には行った

昨夜は蚊取り線香をつけたのに考えなしに風下においたもので、痒くて目が覚めた。腕と顔をあちこち噛まれている。置き場所を変えて掻きながら眠りについた。いまもパソコン前で両腕を豪勢に噛まれていてばりばり掻いている。
昨夜は会報の最後の綴じを夜中にやり、それから半身浴して気分よく横になって、そして蚊の襲来(笑)。
今朝もまず半身浴したが、腰の調子は痛いとか悪いというのではなくてだるい。ちょっと長い時間を立っているとしんどいし、長時間歩くのもしんどい。どうもあちこち勤続疲労しているのを感じる。まあ勤続疲労して当たり前。人生を勤続しているんだもの。

トマトと簡単フレンチトーストの昼食を食べて選挙に行った。午後の暑い時間にしては人が多かったような気がしたが、ネットニュースを見ていたら投票率が悪かったようだ。
湿度の高い暑さに辟易したが、横になったらすぐさま寝てしまい2時間。

晩ご飯(野菜炒めとビール、ソーメン)を食べながら山本太郎事務所からのツイキャスを見ていた。それからずっと見続けていたら当選確実情報が出た。
ボランティアさんたちとの「ひとりじゃない!」の大合唱に感激。太郎さんがいまの日本にいてよかった。これからの艱難辛苦であろう人生に思いをはせる。でも、もうひとりじゃないから。それにしても選挙結果があまりにも・・・

西日と西風が入る部屋

この部屋は西日がたっぷりあたるので午後は暑い。夏は太陽が上のほうにあるからいつまでも西日がさしている。西日が当たる部屋(笑)。
でも、7時になればこちらのもの、全開の窓から風が通っていく。西風が通る部屋(笑)。

今年のはじめに此花区の焼却場で瓦礫焼却がはじまった。西の方を見ると灰色の夕陽の日が多かった。環境省大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」のPM2.5の数値を毎朝見つめていた日々。
窓を開けない暮らしをしながら、夏になったらどないしょうと思っていた。外出はマスクをしていたが、暑くなったら無理やな。
そしたら「そらまめ君」の数値が少しマシになってきた。燃やす瓦礫が減っているようだ。
クーラーが嫌いなのと、クーラーをつけても空気は入れ替わるそうなので、もうこの際窓を開けようと決めた。マスクもだんだんしないようになった。

昨日知ったニュース。
瓦礫の焼却は9月で終了とのことだ。
7月17日の大阪市のサイトに「東日本大震災により生じた廃棄物の広域処理の今後の見通しについて」がアップされている。

モジーズcafe in Osaka の3回目に参加

第1回目は3月だった。4月の2回目は遠かったので見送ったが、3回目の今日は船場のカフェということなので参加した。
雨が降る中、いろいろな年代のひとたちが集まって男女半々だったかな。まず自己紹介。
それから下地(モジモジ)さんが、瓦礫焼却を知ったときからのことを話された。11年秋に大阪府の会議を聞きに行ったこと、それから活動をはじめられて、最初の会合〈大阪に放射能がくるぞ (+_+) 燃やしていいのか放射能(ー_ー)!! それでいいのか大阪人! 【大 阪】住 民 説 明 会 〉はわたしも参加していたのでよく覚えている。それから何十回と会合や集会を重ねられていまになった。これらの活動の影響は浸透しているとモジモジさん。これからは瓦礫だけでなくいろんな問題とからめていこうとおっしゃった。

フランスに長い年月住んでおられて帰国中の女性がフランスの原発分布図を見せてくれた。美しい地図に点々と原発の印がついている。
彼女はすぐにフランスへ行くが日本語のサイトが読めるようになったとのことで、このブログも読んでくれるって。
結婚で柏から出て大阪で暮らすようになった男性からの現地のことなども聞けた。ああ、やっぱり集まりに出てきてよかった。

モジモジさんの言葉から、印象に残った第一、デモや集会で参加者が逮捕された場合、まず抗議をしよう。よく事実関係を調べるのが先とかいう人がいるが、それはおかしい。
印象に残った第二、幸福を感じて生きていこう。幸福は快楽とは違う。暴力をふるって快楽を得ても幸福ではない。
わたしには今日はとても幸福な土曜日だった。

モジーズcafe in Osaka ☆ に参加

ツイッターで知り合った友人のお誘いがあって吹田にあるモモの家での「モジーズcafe in Osaka ☆」に行った。
吹田はずっと昔にメイシアターにいったことがあるだけだが、数年前に下新庄の整骨院へ通ったことがあったのを阪急線に乗って思い出した。下新庄から神崎川を越えて次の駅だ。

古い日本家屋を利用した貸し座敷での学習会だった。庭にカリンとビワの大きな木があって足元にはオオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ハコベが咲いていた。わたしには座卓の下に足を投げ出しての数時間はちょっとしんどかったがユニークな会場で和めた。
お茶を飲みながらの少人数の集まりで終始穏やかな会話だった。
岩手県に行かれた下地(モジモジ)さんの報告があり、同じく岩手に行かれた方の写真を見せてもらった。311のときは栃木県にいて、その後仕事の関係でアメリカに住まれ、いま大阪に一時帰国中の子ども連れのご夫婦が来ておられた。

時間が半分過ぎたところで自己紹介時間に。いろんなところから瓦礫問題に関心を持っているひとがいろんな話をした。それにモジモジさんが答える。わたしは「活動とかしていないけど、ヴィク・ファン・クラブというのをやっており、毎日ブログを書いています。今日は若いひとたちの話を聞きにきました」と自己紹介した。
いつもツイッターで尊敬している若いIさんやSさんの話が、顔を見ながら聞けてラッキーなことであった。
帰りにはアメリカからのお土産のマスクをいただき、前に座っていた方と話しながら梅田までいっしょに帰った。

ミス・リード『村のあらし』

文字通りに〈あらし〉が村をおそう話かと思って読み始めた。なんと!〈あらし〉というのは電子力発電所の職員用住宅地計画なのであった。
架空の村フェアエーカー村は南イングランドのダウンズ地方にある。隣の村がビーチグリーン、そして近くにある町がカクスレー、村からバスで買い物などに行くところだ。

ある日、ミス・クレアが下宿人のミス・ジャクソンの部屋を掃除していると、窓から見慣れない男が2人、ミラー老人が精魂込めて耕している百エーカーの農地の中にいる。
それが始まりだった。男たちはニュータウン計画のために調査にきたことが村中に知れ渡る。原子力発電所の職員と家族が住む住宅とスーパーマーケットなどの設備を備えた大団地を、ミラー老人の農地とその向こうの斜面を開発して作る。発電所に通勤するためにバスがたくさん走ることになる。
だけど、学校はどうなるんだろう、教会はどうなるのか。教師も牧師も村の人々も寄るとその話で反対意見ばかりである。
【「思いあがった木っ葉役人どもめ。『公正なる価格にて、ご譲渡たまわりたく』なんて、ぬかしやがって。百エーカー農地は百年以上も、わしら一族の所有地だったんだぞ。(中略)わしの目が黒いうちは、そんなことはぜったいにさせやせんぞ」(中略)やるなら、やってみろ」老人はどなった。「やるなら、やってみろってんだ」】
説明会や公聴会が行われ、裕福な老婦人は有名な風景画家が好んで描いた村の風景を損なうと猛反発する。そして手にしうるあらゆる武器を使おうと、建設大臣に抗議のクリスマスカードを送る。ミス・リードの友人エイミーは新聞社に反対意見を何度も投書する。

すべての人が反対ではなく賛成する人もいるし、数週間するといずれ実行されるものとして計画を受け入れる態度が広まっていった。
【問題が始まった初期には、あれほど激しかった反対の意気ごみも、時間的にひきのばされ待たされるにつれて弱まったみたいであった。同じことを、今まではあまりに長く論じてきたので、どちらでもいいといった運命論的なあきらめが、かなり多数の人々の心を支配していた。】
だが、ミラー老人は違った。絶対、ここにがんばっていてやる。

〈あらし〉は過ぎ去った。一週間も雪が降り続いたある夜、カクスレーで集会が開かれた。地区議会の人たちと新聞記者は建設大臣と州当局からの文書を読み上げられるのを聞いた。
住宅地計画は取りやめになった。
(佐藤健一訳 角川文庫  1976年 485円+税)

「震災がれき、毎日燃やして大丈夫?? 2/3 講演会」へ行った

大阪市の瓦礫焼却がはじまって不安な日々もはじまった。どうしたら自分の被害を最小限におさえるられるかがいまの関心事である。ネットでの情報収集はもちろんのこと、こうして講演会があれば行って、得た知識をまわりに広めようと思っている。

お昼ご飯をすませてから天神橋6丁目(天六)の大阪市立住まい情報センターのホールで開かれた〈ちょっと待って! 放射能ガレキ 関西ネット〉主催の「震災がれき、毎日燃やして大丈夫?? 2/3 講演会」へ行った。
主催者の女性2人の司会と挨拶に続いて、講師の医師で医療問題研究会の柳 元和さんと北九州市こどもを守るネットワークのYさんが熱く語られた。1時半からはじまり4時半まで、質問もたくさんあって、その後はいろんなところで活動されている人からの報告があって、とても励まされて帰ってきた。

柳先生の講演タイトルは「低線量・内部被曝の危険性 その医学的根拠」で、レジュメが配られパワーポイントを使ってわかりやすく話された。
一応メモはしてきたんだけど、間違っていたりしたら大変なので、本の紹介をしておく。受付に置いてあったのをちらりと見ると山田 真氏推薦の文字が見えたので手に取った。「放射能から子どもたちやあなたを守るためにきっと役に立つ本なので推薦します。」とある。それですぐに買ったのだが、最初に山田さんの推薦文が3ページある。(編:医療問題研究会 発行:耕文社 1000円+税)
内容は〈 I 放射線被曝の基本的知識 II だから、放射線被曝は怖い III 低線量でも障害は発生する IV 原発事故処理労働者の健康被害 V いま、考えるべきこと—被曝をめぐる論争点— 〉
この本はすごくわかりやすく書いてあって日常生活で注意すべきことなどよくわかる。今日の柳先生の話も大阪弁でわかりやすかった。

北九州市の山口さんが次に話された。今日は体調が悪いのでとおっしゃりながらも、いろいろと話された上にたくさんの質問にも答えられた。レジュメのタイトルは「すでに始まっている北九州市がれき焼却 〜その影響、健康被害と対策〜」。
焼却がはじまってからの体の異状がいろいろ出た話を聞いて、これから大阪の人にも現れると思うとおそろしい。ざっとメモしただけでも、口内炎ぽく喉になにかはりつく感じ、頭痛、鼻血、目が赤くなった、目のかゆみ、白内障、腰痛、背中が張る、こむら返り、脚のすね・甲の痛み、骨折の増加、発疹、ジンマシン、眠気、など。眠気で交通事故が増える感じなので歩道を歩くときは気をつけること。そして、記憶力の低下、血が頭に上らない状況になる。
ほとんど影響のない人と、強く影響が出る人とに二極化する。その個人の弱いところに出るそうだ。対策もいろいろ教えていただいたので心強くなった。

どちらかがおっしゃったのだが、瓦礫を焼却しているのは日本だけとのことである。

寒かったけど楽しかったクリスマステント

近所の公園でバザーやライブやアート展示があると聞いて行ってみた。行き慣れた公園に数張りのテントが張ってある。
知り合いの九条クジラウオさんの雑貨、近郊野菜、古本やCDを売るコーナーや飲み物コーナー、白いテントでは写真や絵の展示があり、メインテント前では「おかんとおとんの原発いらない宣言2011」のメンバーがトークを繰り広げていた。

クジラウオさんの手作りケーキと別のコーナーのチャイで腹ごしらえし、トークを聞いたり、横に座った人としゃべったり。
非常に寒かったが気持ちがほかほかする会話でぬくもっている感じ。最近は家にいることが多いのでひとと話せてよかった。ツイッターを読んでいて知っていたつもりのひとの顔を見て納得したり。リクツっぽいひとかと思っていたら、リクツっぽくはあるが爽やかなひとであった(笑)。

野菜を買って1時間くらいいて帰るつもりが居心地よくて5時間くらいいた。途中でコンビニでトイレを借りたときに、手袋とカイロを買って、背中とお腹に貼って頑張った(笑)。
ライブも楽しかった。
こういう日があってとてもよかった〜

買ってきた野菜で晩ご飯。寒い寒いと根菜も葉っぱもいっぱい入れたうどんすき。七味唐辛子たっぷりふりかけて汗をかいた。