ブログは毎日、会報は毎月

タイトルどおりにブログ「kumiko日記」は10年以上一日も休んでないし、ヴィク・ファン・クラブの会報も20年以上続けている。持続力あるなあと自分でも感心する。ほんまによう続けております。自分で自分の生きる力に感心してたりして(笑)。

先日、昔の会員がツイッターで見つけたとフォローしてこられた。まだVFCやってるのでびっくりしたみたい。
ブログを見てのメールもたまにいただく。持続力だけは自慢できると思う。もちろんそれだけではないよという自負はありますけど。

今日から会報づくりにかかっている。1カ月間の会員メールを整理してレイアウトしプリントとコピーを終らせた。あとは連載記事や特集記事のページである。
表紙絵はここ数年ずっとパンク姐貴の鬼蔵さんにお願いしている。
先月帰省していた、いまはパリ留学中のTさんの娘さんS子さんが書き残していったイラストも先月から使っている。

ヴィク・ファン・クラブは来月で23周年である。まだまだやっていきまっせ。

堀江でランチ、心斎橋で午後のお茶

ヴィク・ファン・クラブの古い会員Yさんが福井県から朝早く大阪に子連れできた。子ども達はUSJに行き、Yちゃんは9時から1時まで大阪中央図書館で読書。そしてわたしは1時に図書館前で待ち合わせ、いっしょに堀江へ散歩した。
目指したジャマイカン?ジャークチキンのお店ベースは臨時休業していて残念だったが、近くのインド料理店でカレーランチを食べたのがおいしかったのでオーケー。ナンが大きくて全部食べられなくて残念だった。
ベースの並びにある洋品店ジョローナに寄っておしゃべりして、娘さんたちにお土産の石けんを買った。

アメリカ村三角公園前をきちんと通ってアップルストア前に出てから、話に聞いたブルックリンパーラーへ。ここなら道を間違えるはずがない。御堂筋に面した、昔は上のほうに美術館があったビルだ。正面に狛犬さんが2匹座っている。
階段を降りた地下がすごく広い。すぐにテーブルに案内してくれて気持ちよい応対。チョコレートケーキとコーヒーを頼んだら、でっかいケーキがきた。しゃべりながらケーキを攻略したが、最後はもうお腹いっぱいで苦しい(笑)。
おしゃべりにけりがついて外に出たら夕方の気配だ。
ぶらぶらとまだしゃべりながら、ハンズへ行ってそれぞれの買い物があるので別れた。
ハンズで台所用品を買ってちょっとよそを見たらピンクの小花もようのマグカップが目につき衝動買い。いま、それでコーヒー飲んでいる。

福井名産のお土産 雲丹醤(うにひしお)と和風ドレッシング、明日からの食卓が賑わうでしょう。
しかし、アメリカ流でっかいケーキの威力がすごくて、晩ご飯を食べられずに爆睡30分。目が覚めたけど今日はもう食べるのはやめて早めに寝よう。
(昨日14日に書いたのをアップするのを忘れてました。これからアップ15日)

会報作り、最後の頑張り

今月も会報(VFC NEWS)の出来上がりが20日を過ぎる。今夜やってしまうが、真夜中を過ぎてポストに行くのもなんやから、明日起きたら投函しに行こう。今月はカンパしてもらった切手がたくさんあるので切手を貼って出す。
いま12枚24ページのA4用紙を綴じているところ。中腰でやるから腰にくるので、休み休みやっている。先に封筒に切手を貼ったから綴じさえすれば入れて封をするだけだ。

ヴィク・ファン・クラブ(VFC)は1991年にはじめたので23年になる。なんともすごい。最初からずっと会報を出してきた。いろんな形式で出してきたが、いまのA4でホッチキス止めがいちばん早くてラクなのでずっとそのかたちである。原稿がたくさんあるので、だだだっとやっている。それでも締め切りから10日かかってしまうが、仕事を少々、家事も少々、姉の世話を少々、本を読みたい、映画DVDを見たい、なのでこれ以上早くは無理だ。

印刷はゼロックスコピーでやってきた。仕事用に入れたのを借りているわけだが、仕事でコピー機を使うことがほとんどなくなったのでもう高価なマシンは入れない。今年末がリース延長の期限なので、それでこのクソしんどい綴じ作業ともおさらばする。

その後の会報はごく限られたページをパソコンのプリンタで出して会員限定とする。
そして連載の原稿などは「VFC会員サイト」を作って載せていく。
変わったことをやろうと思うとがぜん頑張る(笑)。
VFCの会員はいつでも募集中です。興味を持ったらメールをください。当ブログの「kumikoのプロフィール」に連絡先あります。

『地球の歩き方 シカゴ 2014〜2015』を送っていただいた

ヴィク・ファン・クラブ(VFC)をやってきた約20年間に、何回シカゴに行ったことがあるかと聞かれたことだろう。翻訳本を読んで育ち、外国映画ファンであるが、外国には一度も行ったことがなく、外国語は一カ国語も話せない、読めない、書けない。旅行することに関心がない。

VFCが発足し、サラ・パレツキーさんが最初に来日されたころが、VFCも翻訳女性探偵小説ももっとも世間に認知されもてはやされていた。
各新聞社、女性誌、週刊誌、経済誌にいたるまで取り上げられた。小保方さんがもてはやされたのにはかなり劣るが(笑)、マスコミって一社がくると続いてくるのだとわかった。
そんなときから一拍遅れて話があったのが「地球の歩き方 シカゴ」だった。旅行者のためにヴィクのことを書いてほしいと言われて書いた「ヴィクのシカゴ」。いま探したのだが掲載誌が出てこない。捨ててないからそのうち出てくるだろう。生まれて初めて原稿料をもらった。

そのときの編集者が先日新しい版を送ってくださった。毎年年賀状を頂いているものの、もう忘れはったと思っていたら憶えていてくださった。ありがたいことだ。
どこにも行かないわたしだけど、こころはシカゴ、ロンドン、ヨークシャー、最近は北欧ミステリの影響でストックホルムとか、どこでも飛んでいく。

ヴィク・ファン・クラブの会報2月号制作は今日がピーク

毎月書いているけど、ヴィク・ファン・クラブの会報は月刊で20年近く欠かさず出している。最初の数年は季刊の会報「 VI 」が主だった。その他にハガキだったりA4サイズの1枚ものを作って送っていた。覚えたてのMacがあるからできたことだ。そしてコピー機。ゼロックスのマシンが仕事以上にVFCの役に立ってきた。

いつからか「 VI 」をやめて「VFC NEWS」だけになり、30ページを越える会報を毎月送っていた。去年からネットにも頼ることにしてページ数を減らしている。
わたしの時間をたくさん使っていることについて考えることもあるが、ここまできたら元気な間はやりまっせの心境である。
このおかげでパソコンを操れてるし、原稿整理やレイアウトなど考えるからボケ防止になっているのではあるまいか(笑)。
本を読んで人に語れるのも会員の方々がいるおかげである。
最近は放射能測定に関係している方々と連載記事を作っている。これも長年培ってきた人間関係のおかげだ。
表紙のイラストがステキなのもVFCならでは。ずっと会員の娘さんが次々と描いてくださっていたが、いまはパンク少女の会員の手になるおしゃれな表紙である。

今月もまた20ページくらいかな。今日は何ページも版下原稿を作った。今年いっぱいは使えるコピー機にももうちょっと働いてもらう。

VFC会報終って、「モジ放送、勾留取消お祝い」

考えることがいっぱいあるが、まずはヴィク・ファン・クラブの会報作りをやってしまわねば。台風の連休はやる気がなくてさぼり、夜になると映画が見たくなり、本も読みたくなり。なんでファン・クラブをやっているのかを根本的に問わなくてはいけません(笑)。

昨夜プリントしていたら黒のトナーが切れて、これは用意してあったのを入れ替えした。そのあとマゼンダがなくなるとまた表示があり、夜中だけど忘れないうちにとネット注文した。コピー機のトナーもお知らせマークが出て用意してある。コピー用紙や封筒や糊や、小さい仕事だけどいろいろと品切れしないように気を使う。使わせてもらうメールへお願いやら返信やら、出来上がった会報にはいろいろと雑用がつまっている。
原稿もイラストも写真もみんな会員の手になるもので楽しい。
出来上がった会報を見るとやっぱり楽しい。

今日は、〈反原発運動への大弾圧「11.13此花区民ホール『指名逮捕』事件」の最後に残されたUさんに、史上初とも言える「勾留取り消し=無条件解放」を大阪地裁が認めた。〉という快挙があった。そのことについて、下地さんの「モジ放送、勾留取消お祝い」が11時30分ごろからある。これアップしたらちょうどよい時間だ。

鬼蔵さんがジョン・ライドンに電話インタビューした記事が「BOLLOCKS」#007に掲載されています!

先月のことだけど、ツイッターで鬼蔵さんが「ジョン・ライドンにインタビューする仕事がきた!」と書いていたのでびっくりした。前々からパンク系のライブで通訳したり、音楽雑誌で翻訳しているのは知っていたけど、直接ジョン・ライドンに電話インタビューとは!! 2・3日前にはドキドキしているという書き込みがあって心配したけど、掲載誌を読んだら堂々たるインタビューぶり。

○ジョン・ライドンとは

70年代後半に世間を驚かせたロンドン発セックス・ピストルズの輝けるヴォーカル。
セックス・ピストルズは1975年にライブデビュー。
労働者階級出身のジョニー・ロットン、シド・ヴィシャスたちは世界の若者たちをとりこにした。
わたしは1978年からパンクミュージックに魅せられて来日したバンドのほとんどを聞きにいった。若い友だちもたくさんできて、そのひとりMちゃんはロンドンで買ったセックス・ピストルズのTシャツ、とさかのような赤髪に大きな安全ピンをあちこちに刺して、道行くひとが振り返って見ていた。

セックス・ピストルズは78年に解散したが、その年の終わりにジョニー・ロットンはジョン・ライドンと名前を変えてPiL(パブリック・イメージ・リミテッド)を発足。
わたしは円盤型の金属製ボックスに入っていておしゃれな「Metal Box」は高価で買えなかったけど、セカンドエディションのレコードを買ってよく聞いていた。
83年にPiLが来日して大阪公演は厚生年金会館中ホールだった。まだセックス・ピストルズの記憶が強くて、あのジョニー・ロットンだったジョン・ライドンを目の前にして興奮した。
それからジョン・ライドンとPiLは活動を休止していたけど、2009年に活動復活。

○ジョン・ライドンへのインタビュー

「ハロー」調子はどうとジョン。鬼蔵さんは「子供の時からのヒーローと話せるということで興奮が隠しきれません。泣きそうです」と答えて「想像できるよ(笑)」とジョン。こうしてはじまったインタビュー「いまLAに住んでいるけど庶民はどこでも変わらないね」

レコード会社の話になって、「自分のレーベルを立ち上げることになったんだよ。音楽業界から独立したってことだ」「問題は流通と販売だったけど、全て自分たちでまかなうことにした」「レーベル名がPiLだよ」。アルバムのアートワークもジョンである。動物愛護家のジョンは動物園に反対で自由に大地を走り回る動物を描いている。
「留まっていては、退屈でしょうがないよ! 物事はやればやるほど深いところが見えてくるし、知識も増えて新しいことに挑戦したくなる。イギリス人以外にはなかなか理解できないメンタル的なことだと思うが、威厳を持って歳をとっていくということなんだよ」

「本物のPUNKじゃない奴ら。PUNKってなにかわかっているのかと思う。あれは自分の生活と経験の中で辱めを受けたから生まれてきたものなんだ。街で脅かされ、警察には追われ、挙げ句の果てには裁判所にまで連れて行かれ・・・もう30年前のことだけど、そこから始まったのがPUNKだ」「35年前にいわゆる当時のPUNKと言われる服装をするということは、一種の覚悟がいった。侮蔑の言葉を知らない奴から投げかけられてもかまわないというね」「(いま)俺が他人と同じような服装をしていたら、それこそ亡くなった両親が、そこまで凡人になってしまったのかと嘆き悲しむよ」

音楽の話になって、いまのメンバーのこといろいろ、レコード制作の主にお金の苦労のことで18年経ってしまったことなど。そして「俺がPiLそのものであるのは間違いないね。だって俺が一人ですべての支払いを担っているんだから(笑)」

鬼蔵「貴方が及ぼした万人への影響は計り知れないと思うのですが、その辺はどのように捉えてますか?」
ジョン「影響を受けた人の中には二種類あると思う。一つは純粋に影響を受けている人々、俺はそういう人には尊敬の念をはらうし、正直さに感謝する。ただし、もう一方は影響を受けたと言いながら、ただ人の物を盗用して自分の利益にしているヤツら。そういうヤツらには過去痛い目にあわされたから、影響というのも考えものだね」
(「BOLLOCKS」#007 メディア総合研究所 発行 890円+税)

ヴィク・ファン・クラブ会報「Vic Fan Club News」4月号から転載しました。

モンゴル岩塩【蒙古颪】

医師で日本とモンゴルとの架け橋をされていて、ヴィク・ファン・クラブ会員でもある梅村さんが、娘さんの涼さんとふたりでモンゴル岩塩の販売をはじめられた。モピ活動の一環として行うので、一部はモピへのカンパになる。

その運動のことをぜひ会報に書いてくださいとお願いしたら、快諾と同時に岩塩を100グラム送ってくださった。食べて感想を知らせてほしいとのこと。
さっそく使わせてもらった。
生野菜をちぎったサラダにオリーブオイルといっしょに岩塩をふりかけている。ごま塩も胡麻を炒ったのに岩塩を混ぜている。蒸した野菜にもふりかけるとおいしい。ふつうに炒め物につかってもおいしい。漬け物もおいしい。

わが家でいままで使っていた塩は沖縄の「粟國の塩(沖縄県粟国島)」である。そこへモンゴル岩塩の到着で、台所に海と山の塩が並んだ。壮観である(笑)。

以前からモンゴル岩塩を使っているひとの話では、お風呂で入浴剤として使っているのだそうだ。そんな贅沢なことはようせんけど、そういう使い方もあるってことね。

いただいた100グラムがなくなりかけたので、今日は500グラム入りの大袋を注文した。ついている説明書には《モンゴル秘境の岩塩 蒙古颪(もうこおろし)3億5千万年前の神聖な塩ジャムツダウス》と書いてある。
(モンゴル岩塩 100グラム入り=300円/500グラム入り=1,000円)

『BOLLOCKS』#007 ジョン・ライドン インタビューに共感

1カ月くらい前に友だちの鬼蔵さんがツイッターにジョン・ライドンにインタビューする仕事がきたと書いていてびっくりした。そのインタビュー記事が「BOLLOCKS」#007に掲載されたというのでさっそくアマゾンで購入。
パンク雑誌で若者向きだから(それがあとで聞くと40代読者が多いそうで、文字が細かいと批判があるとか)全体に字が細かくて老眼鏡をかけても読みづらい。おおかたのページが黒地に白い文字なのだ。他のページはともかく、ジョン・ライドンの言葉はきちんと読みたいので拡大コピーして読んだ(笑)。鬼蔵さんのインタビューは聞くべきことはちゃんと聞いていると思った。根っこからのパンク少女だもんね。
「ヴィク・ファン・クラブの会報に紹介するね!」「紹介お願い!」の会話があって、さっき紹介記事を書いたところ。
本文は会報を出したあとでアップします。

ヴィク・ファン・クラブはステキ

昼過ぎに東京からのSさんと心斎橋駅ホームベンチで待ち合わせ。戎橋から道頓堀へと歩いてお好み焼きを食べた。ずっとしゃべりっぱなし。毎日のようにメールが行き来しているのにね。観光客となって法善寺横町へまわり水掛不動に水をかけ、おみくじをひいたら〈吉〉が出た。「此の人のうんせいは、月の始め年のはじめなどに開く、病人本復す、長き病気ならば草木の変わり時によかるべし、何事も発展力のある気運あり。遠慮なく活躍し停頓していた事をどしどい片付けるべし」とあった。おみくじなんてめっそうひかないので、ここに記しておく。背中を押してくれる言葉だし(笑)。ここで笑ったらご利益ないか。

横にある「夫婦善哉」でぜんざいを食べながらしゃべり、次は千日前通りをタクシーで東へ一直線で鶴橋へ。Sさんは市場で家族へ土産のキムチをぎょうさん買うて大満足。
JR鶴橋駅のブックオフへの矢印がある階段を昇ると古本の棚がぎっしり。つい眺め出したらきりがない。わたしがここへ来たかったのは、店内からJR構内へ行く改札があると聞いていたから。その改札から入って大阪駅へ行く電車に乗った。

それから例会となった。Sさんは同世代の息子さんがいるNさんたちと掛け値無しのおしゃべりを楽しめたと思う。会員どうしは会報で気持ちがわかっているから話がよく通じる。最終の新幹線に乗るためにSさんは走って帰り、そのあともなんやかやとしゃべって、あっという間の3時間であった。