もったいない

1ヶ月くらい前に部屋の夏物を片付けていて、ふと扇風機の掃除をするのが億劫やなと思った。そもそもが突然の猛暑で電気店に扇風機が品切れのときにスーパーで手に入れた安物である。来年の夏がきたら好みの新品を買うたらええやん。それで部屋の隅に片付けておいて、粗大ゴミとして出そうと思った。電話するのを忘れて半月ばかり扇風機はそこにあったが、ふと今朝目が覚めて思った。使えるものをもったいない。ちゃんと掃除して片付けておいて来年使おう。

目が覚めるなり「あの扇風機なあ、もったいないから拭いて使お、きれいに拭いたらまだ使えるで」といった。もちろん異議なし。「もったいないことするなあと思ってた」そうだ。
きれいに拭きあげた扇風機を風に当てて、明日ポリ袋を被せて片付けよう。来年もまたお役に立ってもらう。

楠公炊き(わたしの戦争体験記 18)

楠公炊きは戦時中にお米が増えるご飯の炊き方ということで大きく報じられた。たしか町内会からの呼びかけがあり、新聞の家庭欄や婦人雑誌にも何度も取り上げられたのを読んだ覚えがある。いろんな著名婦人たちが自分の炊き方を披露していた。我が家も一回目は母と姉が立ちあって土鍋で炊いた。お米を炒って膨らませてから水を加えて炊く。量はたしかに増える。

楠公こと楠木正成公が苦難の戦いのときに、こういうご飯を食べて戦ったという話から、模範とするということなんだけど、いくらかの米を水でふやかして炊いて量があるように見えるよう工夫したってお腹がふくれるはずもなく。
うちの母はサツマイモが手に入ったときは芋粥にし、雑草を抜いてきたときは七草粥ふうに炊いていた。でもなにを入れて炊こうが戦時中に腹いっぱいになったことはなかった。

ともだちが減っていく(わたしの戦争体験記 17)

いままで気にしていなかったけど、わたしが4年生の1学期を終えて母の実家の山梨県に疎開する前に学校から去っていった子が多かったようだ。殺伐とした学期末だったと思うが、少しも覚えていない。ただ壽(ひさ)さんとさかえちゃんとの別れがショックだった。『小公女』のセーラのように孤独な境遇になると思うと怖かった。
その頃よく見た夢だが、わたしは座敷に幽閉されていて、ふすまを開けるとまた次のふすまがあり、警護の侍がいて開けたふすまは何度でも閉められる。まさに出口なしの夢だった。トイレの戸を閉めるのが怖くていつも開けたままにしていた。

なんで仲良くなったのか忘れたが堀江の芸者屋の娘の壽さんとしょっちゅう家を行き来する仲になっていたが、一家で引っ越すからと突然来なくなった。向かえに住んでいた1年上のさかえちゃんは、わたしが新町にきたときから引っ張りまわして遊んでくれたが、一家で南海沿線の粉浜に引っ越していった。粉浜では戦災にあわずに済んだそうで、戦後に探して会いにきてくれた。
その他、電気科学館の屋上で遊んだ子、体操の時間をいっしょにサボっておしゃべりしていた子はその後どうなったかしらと70年経ったいま思うのである。

姉(いつもこの日記にでてくる人)がピンク地に白い花が浮かんでいる布でワンピースを縫ってくれた。この服を気に入って夏中着ていたが涼しくなるころにはモンペに変わり、それ以来何年かモンペで暮らした。

うっかりミス

「今日は体育の日なので」という夕方のラジオのアナウンサーの一言でがーん。ダンナに大声で「今日は体育の日やったよ〜さっきは間違えてた」と教えたけど、もう遅い。1時間くらい前にFacebookに今日のうちらの話題を書いたあとだった。

今日は何の日でもかまわないんだけど、ネットを見ていて「今日は敬老の日だ」という書き込みを読んだもので、「今日は敬老の日」と思い込んでしまった。それで午後の陽の射し込む部屋で、「今日は敬老の日やで」とダンナにいった。
あちらの日記には、〈そしてトーンを落として「祝ってくれる人もなし」と続いて。ぼくは思わず苦笑した。〉なんて、思いやりあるんかないんかしらねども、われらのことを書いている。

しかし、どうにもこうにも、体育の日を敬老の日と早合点したわたしがアホである。しかもそのあと、姉に電話で「敬老の日おめでとう」といって、姉がええっとしたもののそこは年の功で「お互いにね」と返したので会話は普通に進行した。向こうもクミコもボケてきたなと思いつつ、かもしれん(笑)。

晩ご飯を食べながらおおいに笑ったが、ボケても笑って過ごせたらこの上なし。笑う門には福がくるというじゃありませんか。

焼き芋がうまい

サツマイモがうまい季節になった。いま焼きあがったのを少し切って味見笑。うまーっ! ポリ袋に入れて冷蔵庫に保存しておくと食べたいときに食べられて便利である。
無農薬野菜を売る店にサツマイモが入いるとさっそく買ってくる。わたしは味噌汁にするのも、甘く炊いて食べるのも好きだけど、相方は焼き芋がいちばん好きみたいでこればっかり。洗った芋をビタクラフトのフライパンに寝かせて蓋をして弱火にかける。かなり時間がかかるが気持ちよく焼きあがる。出来上がってすぐに食べるもよし、冷蔵庫で翌日でもその翌日に食べてもよし。焼けた皮をむくと黄色い中身が現れるところもよい。

さっきできたのは冷蔵庫に入れたものの、ちょっと一人2センチくらいに切ってお茶しようかな。この間買ってきたほうじ茶を淹れて。その後に柿が柔らかくなっているのを食べよう。食べることには頭が回る。

集団疎開の訓練(わたしの戦争体験記 16)

1・2年生のときは戦時教育もゆったりしていたが、3年生になるとだんだん戦時色が強まってきた。なにかにつけ「君が代」「海行かば」を歌う場面が増えた上に、なにかにつけ「勅語」を暗唱させられた。

アメリカ軍の空襲が激しくなるとのことで、大阪市内の国民学校生徒は疎開させられるという噂が駆け巡った。4年生になるとすぐに担任の先生から、子供を預かってくれる親戚がある人は報告するようにと呼びかけがあった。わたしは以前お向かいに住んでいて引っ越したさかえちゃんを思い出したが、親は「親戚でないとダメだろう」と、結局は山梨県の母の実家に頼んだ。疎開先を自分で決めないと集団疎開組に入らねばならない。親はそれよりましと思ったようだ。弟は2年生だったから親といっしょに大阪に残った。

1学期の間にだんだん子供がいなくなっていく。校庭が寂しくなっていった。
ある日、校庭に4年生以上の生徒が呼び出され、明日は集団疎開の訓練をするから用意して登校するようにとのこと。着替えと小さな毛布か布団をリュックに入れ、水筒を忘れずにと注意があった。
うちには大きなリュックがないので、母が大風呂敷を袋に縫って小さな布団を入れて背負えるようにした。

翌日は珍妙なリュックで学校に集まり、ぞろぞろと南海電車のなんば駅に行き、高野線に乗って河内長野で降りた。電車に乗っても遠足ではないし、どこへ連れていかれるのかわからず車中みんな暗かった。
河内長野の駅を降りてすぐに村の国民学校があってここだという。みんな校庭に並んだ。話がついていなかったのか、今日になって断られたのか、今日はここに泊まらずに帰ると聞いたときはほっとした。
校庭に集まった子供たちを実際に見たら、何百人のこどもを教室に一夜寝かせるって無茶過ぎだと誰でも思うだろう。

結局はなにもせずなにも食べずにまた電車に乗って学校へ帰った。全員揃った学校で、みんなにコッペパン1本ずつが配られ、これは学校からお昼の弁当として出すものだから持って帰って家族と食べなさいと先生がいった。

4年生の1学期が終わるとき、ここには2学期はないのだと先生がいった、夏休み中にそれぞれがそれぞれの親戚などに引き取られる。縁故疎開せずに集団疎開した子がいたのか知らないままに。

台風疲れとようやくサヨナラ

来なかった台風にこないに疲れてどないする、というのがわたしの今回の台風についての感想。おとといと昨日は台風24号で疲れ果てていたといま実感。4日の21号がすごかったから、今度はもっとでかそうだとできるだけの対処をした。ベランダの掃除もした。体力を使い緊張して過ごしたからどっと疲れが出た。三日間のおでんはうまかったけどくたびれ気分のほうが強かった(笑)。その上、めったにない胃疲れを感じて昨夜は久しぶりに安中散を飲んで寝た。
だいぶ遅い朝だけど、今朝は気分良く目が覚めて、洗濯をいっぱい片付けた。体調さえよければ元気だ(笑)。

気分がよくなったので夕方から整形外科へリハビリに行った。ふじわらさんはちょうどよい距離にある。スタッフの方々と顔見知りになったし、ありがたく通わせてもらっている。

おでん三日目

おとといは大鍋でおでんつくって腹一杯食べた。二人とも年取ったとはいえ食欲は旺盛で、取り合いまではしないけど、お皿には同じものが盛られ、うまいうまいと残さずに食べた。
昨日は残った出汁に大根とじゃがいもを加えた。今日は大根たっぷりを再び残した出汁に入れ、餅入り巾着を入れた。よく練ったカラシがよく効いていた。

その他に、別皿におとといはブリのアラの焼いたん、昨日はイワシの煮付け、今日は秋刀魚の塩焼き、その他に野菜の炒めたのやおひたしがついていた。
それに味噌汁は毎日だ。その他にキュウリとワカメの酢の物、キムチなど。

ちょっと洗い物が多いが、食べものを盛ったんだからしゃあない。時間をかけて丁寧に洗ってタオルふきんで拭きあげた。

ウーパールーパーちゃんこんにちは

月に一回くらい知り合いの事務所でウーパールーパーちゃんを相手に30分ほど和ませてもらっている。
ウキペディアには「メキシコサンショウウオ(Ambystoma mexicanum)は、両生綱有尾目トラフサンショウウオ科トラフサンショウウオ属に分類される有尾類。」とある。続けて「本種をはじめとした幼形成熟したトラフサンショウウオ科の個体はアホロートルと呼ばれる。流通名ウーパールーパー。」とあって、なんとなくなるほどと思うのは、実際に目の前にウーパールーパーがいて、言葉をかけると返事をしてくれるような気がするから。と思っていても、ルーパーちゃんのほうはちらりとこちらを見るだけ。それもわたしがそんな気がするだけというだけのことである。

わたしの知り合いのウーパーちゃんは肌色のきれいな体で小さいお目々が可愛い。こっちを見ているのか見ていないのかわからないけど、スギヤさんが来たのをこの子はわかってますよと飼い主がいう。それでまた1ヶ月くらいすると顔を見に行く。
たいていは水に浮いたままじっとしているが、たまに動いて場所を変える。激しく動くこともあるらしい。

涼しくなったのでおでん

台風一過以来、といっても昨日と今日だけど、空の色が明るくて気持ち良い。昼間は風が吹いても寒くなくて洗濯ものが干せるのがうれしい。明日もよい天気になるらしいが、そのあとは3日くらい続けて雨になるそうだ。台風25号にもうこないでとお願いしたい。どうやら逸れるらしいけど。

涼しい風に気持ちが誘われたようで「今日はおでんにする」とのこと。入れるものを揃えて夕方大鍋を用意した。大根、じゃがいも、こんにゃく、厚揚げ、がんも、しろてん、つみれ、ちくわ、などなど。
焼酎のソーダ割りにキムチとピクルスを食べながら待っていると、ややしばらくでおでんが出来上がった。辛子を添えて3つずつお皿にいれてゆっくりと何皿も食べて、腹いっぱい。お茶のあと柿で締めた。