東京の寄席で林家三平さん

60年くらい前の話。
東京で仕事をしていた兄が呼んでくれたので、年末から年始にかけて1週間ほどひとりで遊びにいった。はたちくらいのときだ。夜行列車の三等車で夜の8時頃から硬い椅子に座りっぱなしで翌朝東京駅に着いた。乗り換えて大森で降りて地図を片手に探しながら兄の家にたどり着いた。
兄は結婚していて長男が生まれていた。仕事がうまくいって生活がやれやれとなったところで、大阪で雑用させていた妹を慰労してやろうと思ったみたい。

着いてから毎日のように戸越銀座の寿司屋さん、銀座のそこそこのレストランなど嫂さんに連れて行ってもらった。1日かけて自動車で鎌倉へ行ってもどった。
東京の寄席に連れて行ってやると、連れて行ってくれたのが、◯◯亭とか名前を書きたかったのだが忘れてしまった。長老の人が最後に出て、その前だったか、林家三平さんが出てきて冗談をばらまいた。お客さんをネタにして「これは冗談ですから」とか、「ここだけの話ですよ」とか親近感をあおりながら話を続ける。

ふだん必死で働きようやく正月休みになった兄の家に1週間も泊まって申し訳なかったといまになって思う。当時はそれだけ東京と大阪の間には距離があり、泊めてもらうのは兄妹だから当たり前みたいな気持ちがあったのだと思う。いまは誰もきょうだいの家に何日も泊まったりしないだろう。

それからも東京へ行った時は寄るようにしていたが、泊まるのは友人宅にして兄宅には顔見せだけにした。でもどこかへ行った帰りに突然おじゃまするほうはいいが、されるほうはたまらんね。

焼ける前の大阪、川と船(わたしの戦争体験記 67)

焼ける前といっても昭和16年に入学し4年生の夏休みに疎開したから3年ちょっとしか大阪市の学校に通っていない。いま長堀通を西に向かって歩くと北側に日新会病院があるが、そこが西六国民学校の跡地である。校名を記した立派な碑が立っていて「あたしはここの学校に通っていたんや」とちょっとうれしくなる。病院ができたとき碑もできた。

毎日のように同じ路地に住むさかえちゃんや堀江に住む芸者さんの子と遊んだ。夕方暗くなるころ「さいなら、またあした」と別れて問屋橋を走って渡る。橋に身を寄せて眺めると川には船がたくさん留めてあった。どの船にも大きい看板があって船名のほかに「たばこのむな」と大きな文字で書いてあり、船によってはハングル文字が書いてあった。
夕暮れの船は寂しそうで見ているとなんだか哀しくなったものだ。でも、晩ご飯に遅れるから走ったけど。
船には川に落ちないように用心せよというようなことも書いてあったような気がする。

とうふの食べ方

今日はめずらしく晩ご飯に冷奴が出た。醤油とわさびがぴりっと効いてうまい。やっぱり豆腐は冷奴やなと一言が出る。お酒があってカツオのたたきがあると、もう一品のおかずは豆腐になる。そしてご飯になると、味噌汁の具は豆腐とネギ。
麻婆豆腐を最近よく食べるようになった。
改めて、豆腐はうまい。

しかし、最近はほとんど洋風で食べている。豚肉や鶏肉を炒めたりして野菜をつけた皿の空いたところに豆腐を適当に手で割ってのせる。醤油の代わりにオリーブオイルとレモンをふりかける。最近気に入っている食べ方だ。「これがいちばんうまい」とひとこと出る我が家の晩ご飯。質素だけど贅沢してると思う。

今年の梅雨明けは

空梅雨っぽかった日々が過ぎて、この数日は梅雨らしい雨が降っている。梅雨寒だった日が過ぎてようやく蒸し暑くなってきた。やっぱり梅雨は蒸し暑くなくちゃ。部屋干しの洗濯物に扇風機の風があたっているのは、毎年の我が家の梅雨の風景である。ビンボくさいが家庭感がある(笑)。

天気予報で梅雨明けという言葉がまだ出ない。25日の天神祭は梅雨明けしているだろうか。ずっと前だけど、梅雨明けしてない天神祭があった。傘さしてお神輿を見ていたっけ。
そういえば、京都の祇園祭に行って夕立に打たれて走ったことがあった。あれは梅雨の雨ではなくて夕立だったけど。

湿度が高いのが骨身にこたえる梅雨。この時期は爽やかな5月よりずっと湿度が高くて膝とふくらはぎに負担がかかる。着るもの、はくもの、はめるもの、いろんな場所に注意を払いながら真夏を迎えよう。

図書館のホールギャラリーで文楽の展示を見て

昨日は投票の帰り久しぶりに中央図書館に行った。図書館に入るのはほんとに久しぶり。
エントランスホールギャラリーで文楽の展示をしていたのでゆっくり見た。娘役の人形の髪と衣装の美しさにうっとりした。最近すっかり文楽にご無沙汰なので、人形を見ても誰かわからない。車椅子の押し役は文楽をあんまり好きでないので長居は遠慮して要所をくるりとまわって終わり。でも、見るべきところは見た。人形のかしらができるまでの材木を切ったところから完成するまで丁寧な見せ方をしていたし、衣装が美しかったし、楽しんだ。

また古い話です。
1960年ごろ、文楽は二つに分裂していて因会(ちなみかい)と三和会とに別れていた。わたしは桐竹紋十郎さんのファンだったので否応なく三和会を応援していたが、見る機会は劇場がある因会が多かった。
三和会は劇場がないからあちこちの地方で機会があればやっていたようだ。

ある日の午後に三越劇場で三和会の「八百屋お七」を見たことがあった。桐竹紋十郎さんがつかうお七を見たことは若かったわたしの誇りと自慢となった。60年ほど経ったいまでもお七の姿がまざまざと蘇ってくる。
いやー、昨日はいいものを見せてもらって、そこから紋十郎さんを思い出すことができてよい日だった。

期日前投票にいった

今日も雨は降らないがうっとおしい日だった。洗濯したが干していいものやら迷っていたら、雨の降らぬうちに期日前投票に行こうという意見があり、そうやな行こうかと洗濯物をおいて出かける支度をした。支度っていっても、お知らせ封筒と広報紙を出して入れる人を確認するだけだけど。昨日話し合って決めてあるんで早い。
雨が降ってきても大丈夫なようにビニールのレインコートをカバンに入れ、車椅子にちょこんと坐って夫に押してもらう。区役所に着いたら投票室は空いていてゆっくりと投票した。

帰りは図書館に寄ろうと車椅子押してもらっての本棚めぐり。
いちばん奥の児童書コーナーが昔からのお気に入りの棚である。車椅子を降りて杖をつきながら久しぶりにゆっくり見て回った。読みたい本はあるのだが、目下読む本が山積みである。タイトルだけ見て満足することにした。そのうち借りるか買うかしよう。

1冊だけ目に飛び込んできたケルト民話集の『ディアドレ』、知らない本なんだけどすぐに読みたくなり借りてきた。さっき読み出したが単純な短い物語でおもしろい。

投票して、本を借りて、公園で休んで持参のお茶を飲み、餌を持ってくる人を待つ猫と、鳩と、雀を眺め、いい午後を過ごした。

焼ける前の大阪、川があって馬がいた(わたしの戦争体験記 66)

れいわ新選組候補者の一人やすとみあゆみさんが馬を連れて新宿に現れたのをツイッターの動画で見た。その数日後に見た演説会の動画では、やすとみさんは馬と人について語られていた。そうだ、そうだ、わたしが子供のころ、近所の道を馬が歩いていて、決まったところで水を飲んでいた。水は道路脇に水道栓があって容器に溜めた水を馬が飲めるようになっていた。
道路には馬糞が落ちているので歩行注意だったっけ。フンを撒き散らしながら歩いている馬もいた。そうだ、馬が日常的にいた。

家から格子戸を開けてろーじ(路地)へ出て石畳の道を抜けるとアスファルトの道へ出るのだが、路地の終わりのところに大きな水たまりがあった。天気が良いと空が水に映って美しい。のぞいていると吸い込まれそうだった。
水たまりをそおっとまわって大通りに出ると、アスファルトなのに水たまりが多くて、溜まった水にガソリンがこぼれてピンク色に染まっている。美しい縞模様にうっとりした。いま思い出すと路地から出たすぐのこの道は新町南通になるのかな。そこからもうひとつ南の川に沿う大きな通りはいまの長堀通りだ。いま地下鉄があるところは川だった。
川に橋がたくさんかかっていて、走って渡ったり友達と手をつないで渡ったりした。よく覚えているのは白髪橋と問屋橋だ。ずっと東に行くと「橋を四つ渡りけり」の四ツ橋がある。橋の向こうは北堀江。友達が住んでいてよく遊びにいった。北堀江も新町も色街だった。
馬が荷車を引いてぽこぽこ歩いていて、荷車にはおっちゃんが前方を見ながら坐っていた。

安くてうまい青魚

先週の晩ご飯のおかずは、さば、さんま、いわし、あじと青魚の焼いたのが日替わりで続いた。青魚は栄養があって体によい上に美味しい。しかも安い。大根おろしとレモンを添え、ほうれん草のおひたし、ひややっこ、満願寺とうがらしの炒め物もよし。焼きなすがあればもっとよし。

以前は魚を焼くのに煙が出たり脂が落ちて燃えたりしてなんぎだったが、このごろはフライパンにクッキングホイルを敷いて、蓋をして弱火で焼くから煙も火も出ずに清潔に焼き魚が焼ける。ちょっと寂しい時もあるが(笑)。

日本酒の冷酒か焼酎湯割りを一杯飲んで魚と野菜を食べたあとで、ご飯と味噌汁、納豆、海苔で上等な晩ご飯。調味料など無添加のちょっと高価なのを使っている。魚は安いが調味料などが高いです。

今年のうちわ

我が家はクーラーよりも扇風機よりもうちわをよく使う。窓から入る自然の風がいちばん好きだが、真夏になればその風はなくなるから「暑い、暑い」といいながらうちわでばたばたあおぐ。
うちわで間に合わなくなり扇風機の風が生ぬるくなればクーラーをつけるが、少しぐらいは我慢する。特にわたしは「暑い暑い」といいながらうちわを使うのが好きである。足元のクーラー冷えが怖いし。

この前までうちわは毎年どこかからもらうものだった。こどものときはお米屋さんや酒屋さんのうちわが家のあちこちに置いてあるというか放り出してあったものだ。それらを拾って片隅にまとめるのがわたしの仕事だった。晩ご飯がすむと家の外に縁台を出して座り、うちわで足元をばたばたあおいで、父親の子供の頃の浅草のことや映画『駅馬車』『暗黒街の顔役』の話を聞く。空には星がきらきら光っていた。天の川は見えたかどうか忘れたが見えたような気がする。

うちには去年までいろんなうちわがあった。天神祭のや友達にもらった地方の由緒ある神社のや、郵便局でもらった朝顔柄や、文房具屋さんで買った猫ものなど。使うときにちらりと絵の面を見るのがくせになっていた。それを去年の夏の終わりに「来年は新しいのを買おう」といってまとめて捨ててしまった。先日なにげなく「うちわ出そ」と探して捨てたのを思い出した。

スーパーライフで去年売っていたのを思い出して聞いたら、今年は扱っていないとのこと。そういや去年の夏の終わりに売れ残っていたっけ。
昨日ハンズなら絶対あるでと行ったら、毎年夏になるとうちわと扇子と風鈴が派手に置いてあった場所に他の商品が並んでいる。
他の階で買い物して店員さんに聞いたら1階だけにあるというので探してようやく見つけた。普通のうちわより小型で豆絞りのような柄が色違いで2種類あった。柄が1本の竹で先の方が細く分かれている凝ったもの。1本750円と少し高いがあっただけでありがたい。大切に使おう。

帽子を買いに

まだ白髪あたまになるまでだいぶかかりそうだ。あたまのてっぺんが丸く白くて、あちこち白髪が束になっているところがあるが、カットの具合で見えるところはおおかた茶髪である。えらく見苦しくなった。去年買った帽子はあるが、見た目がもうひとつなのでいいのがあれば買おうと心斎橋ハンズへ。

車椅子を相方に押してもらって地下鉄へ。一昨年からずっとタクシーを利用していたから久しぶりの地下鉄である。定期券を持っているのに長いこと使ってなかったのでどうかと思ったが、使えたのでほっとした。心斎橋駅のエレベーターにとまどい、ようやく改札口を出て地下街を行ったら無印の店があった。目の前のTシャツが2枚で1290円だったので色を変えて4枚買った。
そのあと地上に上がってハンズへ。お風呂用麻タオルとヘアケア用品など実用品をいろいろ買った。今日の目的のもうひとつはうちわだ。店員さんに聞いたら問い合わせてくれて1階にだけあるという。
1階ではうちわより先に帽子が目についた。ええ塩梅にパナマっぽいのがあり、かぶってみたらぴったりなのでかぶって帰ることに。懸案がひとつ片付いてやれやれ。うちわはとても気に入ったが高かった。工芸品みたいでなくてすっきりとしているから満足だけど。

地下鉄に乗ろうとしたら、ドームでコンサートがあって前の駅から満員の車両が到着。わたしより先に車椅子の先輩が待っていたので後ろについて乗ったら乗客の人たちがよけてくれうまく乗れた。いろいろ経験中。

地下鉄を降りて、今日は外食しようとカレーのおいしい新町1丁目のよばれ屋へ行ってココナツカレーを注文。ああうまかったと今日の大遠征は終了。