エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事 5』

いただいた分厚い本のページを繰ると文字が小さくてぎっしりと詰まっている。いつになったら読み終わるのかしらと気になったが、心温まる物語ばかりで読みやすくすいすい進んでいった。ブログにどんな感想を書こうかと戸惑ってしまって日にちが経った。「怪盗」ぶってないほんとうの「怪盗」の物語である。
最初の物語「クリスマス・ストッキングを盗め」はニューヨークのクリスマス物語である。ニックと彼のガールフレンドのグロリアにはクリスマスストーリーがよく似合う。この物語ではグロリアは活躍しないが、ニックが帰宅すると待っていて一緒にクリスマスを祝い、プレゼントの交換をする。グラスを傾けながらニックがさっきまで関わっていた事件の話をするだろう。グロリアにはプレゼントの品物にニックの暖かさが重なって素敵な夜になったろう。

怪盗ニックの仕事の最初はでっかい仕事や不可能をやってみせることが多かったように思う。それはそれで面白かったが、今回は心温まる結果になる仕事が多くなったように思う。
グロリアが関わると事件がもひとつ人間臭く感じられる。
ニックとグロリアは長い年月をいっしょに暮らしてきた。結婚はしてなくて内縁関係であるが、長年連れ添ってきた年月の重みがある落ち着いたカップルだ。
この物語が続いているのは、そしてニックの泥棒仕事が続いているのは落ち着いたグロリアがいるからだ。いるだけではなく、ニックの仕事を助け機敏に働く能力がある。家でひとりでパソコンを使ってなにかやる能力ももっている。

引用、314ページ。
彼女がジェット機からおりてくるのを見て、ニックは結婚証明書がなくても、長いあいだグロリアと一緒に暮らしている理由を改めて知らされた。頭には白髪が増え始めてきたのに、染色を拒んでいる。しかし、彼女にはまだ皮肉で陽気なユーモアのセンスがある。彼女は人生全体を娯楽、とくに彼女のために設計された娯楽だと見なしていて、ニックはその中でも最高の娯楽なのだ。おそらく、ニックが一緒にいて満足できる唯一の女性だろう。
(木村二郎訳 創元推理文庫 1300円+税)

思い出いろいろ 第2回

東京の思い出 その3 雑草の名前はヤブガラシ

住んでいた五反田の家の近くの空き地に生えていた雑草がずっとアタマから消えなかった。その花か実を忘れられないで何十年も生きてきた。なんという名の草なのかずっと疑問に思っていた。よく見る草だとはわかっていたが、調べ方がわからなかった。
それが数年前にうちの近くの長堀通りで見つかった。長堀通りの中央に遊びのある草地ができた。最初はきれいに整地してあったがいつのまにか雑草の王国となって、わたしを含めて近くの雑草好き(わたしが知っていたのは1人)が喜んだ。野バラ、レンゲ、スミレ、カラスノエンドウ、ハコベ、ホトケノザ、オニタビラコ、ヒメジョオン、などが咲き、ヘビイチゴが実った。ツクシもたくさん伸びていた。季節が移ると赤まんま、月見草がいっぱい。どこからかタネが飛んできたのかハーブも生えていた。

初夏になると先に書いた雑草とともにヤブガラシがあった。これは折って帰り図鑑で確かめた。そうか、これはヤブガラシというのかと感無量。でも喜んだのは束の間で、夏になると繁る繁る。おっそろしいほど繁殖した。これが子供の時に見たあの寂しげな草の正体かとびっくりした。繁る前のまだ暑くなる前に見たんだね。
大阪のど真ん中の道路だからきれいに整地され植木が植えられ、いまは雑草が生える隙間がない。もうヤブガラシとも会えないかもね。

ブルームーンに照らされて散歩

「ひと月に満月が2回あるとき2回目の満月を“ブルームーン”と呼ぶ」そうである。ということで今夜はブルームーン。ネットのあちこちで読み、ラジオニュースでもいってたが、わたしも昨日から「明日はブルームーン」と楽しみにしていた。
うちは北と西向きの窓なので東と南方面の空は夜遅くなってからでないと見えない。夜中を過ぎたら真上に見えてくる。そして西の空に降りてきたのが見え、やがて向かいのマンションの向こうに落ちていく。
都会の片隅にいてまあまあの天空が見える幸せ。わたしとしてはけっこう贅沢の極み。

晩ご飯後に「ブルームーン見に散歩に行こう」と相方を誘った。昨日は夕方から冷たい風が吹いていてまいったので、今夜は寒さ対策をちゃんとして出かけた。そしたら風がなくてあんまり寒くなかった。長堀通りに出て遊歩道をぶらぶら歩き。頭上には大きな輝く月があった。あまりにもあけっぴろげで色気のない月だと贅沢な感想ですみません。

ぶらぶら歩きながら、この道行ってスーパーライフに寄ることにして長堀通りからスーパーのある道へ。ああしんど。疲れるのは狭窄症のせいで、痛いのは膝痛のせいであると解説しながら道路脇で休んだ。スーパーでは相方が買い物し、わたしは入り口の休憩コーナーで座って待った。
まあ休みながらもけっこう歩いた。毎日少しずつ距離を伸ばせばいいね。お月さま、足元を照らしてくれてありがとう。

yobareyaのおいしいカレー

午後の3時過ぎに歯科医の予約があるので出かけた。全部を歩くのはしんどかろうと車椅子の出番。出発と到着は送迎付きで途中は歩き。毎日ちょっとずつでも歩いて力をつけねば。歩くのを休むとこういうことになると実感しつつ歩いている。
歯科医は3ヶ月検診だったが、進行中の虫歯があるので来週から治療に通うことになった。

帰りにスーパーへ寄ろうと道を戻ったが、たまに外食しようと相談がまとまりまた戻り。近くにあるyobareya(よばれや)でカレーを食べよう。このあいだ来たときは定休日(水曜定休)だそうで休みだった。
今日はドアが開いていて店主さんが店先にいた。よかった〜
素朴で品のいいテーブルと椅子、床は土間の上に幅10センチくらいの板が並べられ、板と板の間に雑草が伸びている。「これ自然に出てきたん?」と尋ねたら「そう見せかけている作り物」なんだって。スコットランドの田舎の土を踏みしめてできた土間かと勘違いしたわー。壁の絵やちょっとした飾りものも趣味がよくて気に入った。

カレーはカレー色のカレーと白いカレーがある。去年はカレー色のカレーにしたので、今日は白いカレー(マッシュルーム&オリーブ)を注文した。ビールとあってうまかった。店と食べ物がよく合って中東の感じがするねと勝手な感想を述べながら食事。量が多くてお腹いっぱい。ゆっくり出してくれたコーヒーも美味で、久しぶりの外食は大成功。

思い出いろいろ 第一回

ぼちぼち書き溜めていこうと思っています。

東京の思い出 その1 東京生まれ

わたしは戦前の東京で生まれた。住所は東京都品川区五反田まで知っていてあとは覚えていない。姉か兄に聞いたらわかるだろう。両親と姉2人と兄2人と弟の8人で5歳ぐらいまで住んでいた。
覚えていることは少ない。簡素な家があり狭い庭があり巡らした木の塀から外に出る木戸があった。庭に立っている洗濯干し竿に母がいつも洗濯物を干していた。
洗濯干しが終わると母は木戸から外に出て買い物に行く。弟をおぶった母に手を引かれて出ることもあったが、留守番するようにいわれて庭や縁側で遊んでいた日が多かった。ある日、母が買い物に出たのを追いかけて迷子になり、お巡りさんに連れて帰ってもらった。迷子札をつけていたので助かったそうな。

東京の思い出 その2 紙芝居

家の庭の周りに低い木の塀が巡らされていたが、ある日、紙芝居屋さんが塀の外に来て仕事を始めた。わたしは塀の中から板の間に顔を突き出して外の子供達といっしょに紙芝居を楽しんだ。「おたけ〜」と女中さんを呼ぶお嬢さんが出てくる。姉の名前が武子なので、姉が呼ばれているような気がした。
紙芝居が終わって顔を引っ込めようとしたら引っかかって入らない。耳が邪魔になってたみたい。通りかかった大人が顔を引っ込めてくれたのだが、それを兄が見ていて、「あれは◯◯だ」と当時の喜劇俳優の名前をいった。ほんまかどうかはわからないまま。

ストレッチ効果

テニスボールストレッチを2月はじめにやりはじめていま3月が終わるところにきた。まる2ヶ月サボらずに毎日2〜3回やってきた。
今日つるかめ整体院で背中が柔らかくなっていると褒められた。毎日やっている人は少ないそうだから毎日3回やってるわたしは優等生だって(笑)。

先日、知り合いにマッサージチェアを使わせてもらった。上等なマシンだそうで、もう2年くらい月一くらいでお借りしているが、すごく肩こりに効く。最初から背中に心地よいと感じていたが、先日お借りしたチェアに横たわっていたら、ストレッチしている場所にチェアのマッサージ機能が作用している。ありゃーと感心した。からだの気持ち良いツボをストレッチで鍛えている場所をマッサージチェアもちゃんとおさえている。
その割に肩こりと目の疲れがなくならないが、ストレッチをやってなければ、もっともっとしんどいはず。

近所の整形外科医院へ行ってきた

開院のチラシを見て内覧会に行ったのが1月21日。すぐは混むから落ち着いた頃にきなさいと院長さんにいわれたまま行ってなかった。暖かくなったしそろそろ行かなきゃと思ってたら、昨日相方が同じマンションに住む女性と道で会って話をした。アメリカ製のキャリーカートを押した彼女は、わたしが家にいることが多いと知って「早く医者にいって診てもらい、道を歩くようにしなさい。歩かないと歩けなくなる」とおどかすように忠告してくれた。彼女のほうは大きな怪我をしたあとで、とにかく歩くことを回復の第一にしているそうだ。

わたしは去年の初冬からのわけがわからんかった脊柱管狭窄症の正体がわかり、ストレッチで回復にむかっているところだ。今度は古傷の膝痛をなんとかしようと思っていた。西洋医学がいやとかいってても結局回復への道はそれしかなさそうである。院長さんは最初の日に、膝をぱっと見て水がようけ溜まっているなといい、治療は水を抜くこととヒアルロン酸やねといった。姉の整形外科通いをいやというほど見聞きしてきたので、わたしもよく知っている。結局はこれしかないのかな。「もっと悪くなったら人工関節やね、いまんとこ大丈夫やけど」なんとかそれはやめておきたい。

今日はいつごろから悪いのと聞かれて30年くらいと答えたら、辛抱強い人やなあと感心&呆れられた。観念していってるから話も早く、先生の熟練の腕でレントゲン撮影や注射がおわっていく。こんなに水が溜まっていたといわれてびっくり。そんなに膝にくっつけて歩いていたのか。水はまたすぐ溜まると友人がいってたが、もうトシだからそんなに気にせず、溜まったら抜いてもらう。

月を見ながらタオルふきんを干した

洗いかごを捨てて白いタオルを使いだして4日目。めんどくさいけどよく片付いて清潔な台所でいい気分である。『クロワッサン』にあった料理研究家の川津幸子さんのページは、わたしには「目からうろこ」だった。三角コーナーは最初からいやで使ったことがないが、洗いかごを捨てる件ではほんまに目からうろこが落ちた。
洗いおけも不要とあったが、野菜を洗うのに使うというので置いてある。そのうちに小さめのボールに替わるかも。

鍋もボールもみんな洗って拭いて片付けた。台所の見えるところに不要なものがない。ドイツ人の台所といっしょだとほくほくしている。最後にタオルを洗ってベランダに干しにいった。上を見ると月が出ている。飛行機がその下を飛んで行った。昨夜は上弦の月が光っていて感動したが、今日もオレンジがかった綺麗な月を見られて幸せ。

得手不得手

昼ごろ起きて個食して、あとは洗濯して干しただけだけど家事労働をこなした感あり。嫌いではないが、面倒くさい家事というもの。うちは相方が料理と買い物を毎日こなしている。わたしは片付けと洗濯を負担している。掃除は埃に気がついたほうがする。

たいていのことはできると思っていままで生きてきたが、最近になって不得手がたくさんあることに気がつかされた。
一番はワインの栓抜き、40年くらい前に高価なドイツ製栓抜きをジャズ喫茶マントヒヒのマスターに誕生祝いにもらった。さっそく使ってみたのだが、わたしには開けられなかった。ずっと「開けて」と相方に頼んできた。半年ほど前にこんなことできんでどないするねんといわれて自分でやってみた。途中であかんわと諦めるときがあるが、なぜかストレートにうまくいくときもある。論理的な相方はこうだからこうと説明してくれるが、根っから道具オンチのわたしはできるときあり、あかんときあり。でも今日は明日からはちゃんとできる自信がついた。空き瓶を睨んでわかるところがあったので(笑)。

パソコンも相方がおればこそできている。メールだ、SNSだ、ブログだと毎日の楽しみも設定を頼んでいるからパソコンが使える。ページレイアウトだ、データベースだと必要になると教えてもらわないとできなかった。まあ教えてもらえば必要なことはやっている。機械は苦手でもiMacで遊ぶのは得意なのである。

ふきんの洗濯がめんどうだけど

おととい書いた「台所から洗いかごをなくす」には反響がなにもない。考えてみるまでもなく、洗いかごを使ってない人が多いのだろう。みんな食器洗い機をご使用なのね。いま検索したんやけど、食器洗い機って高いんやね。

うちの台所には電子レンジがない。なんでもガスコンロで炊いたり茹でたり温めたり。お鍋はビタクラフトが4個ある。鉄のフライパン2個。電気釜がなくご飯はお鍋で炊いている。電気ポットもないから、やかんでお湯をわかして魔法瓶に入れている。姉の家に行くと酒の燗を電子レンジでするので、使い方のわからんわたしはいちいち「これはどないするのん」と聞かねばならぬ。やかんで燗をした酒が好きなんです。

白いタオルをふきんの代わりにということで、在庫のタオルを出してきて、洗いかごがあったところに二つ折りで敷いた。洗った食器等はそこに置いて水気をとる。次のタオルで食器を拭きしまう。鍋やおたまじゃくし類も同様。キッチンペーパーも便利に使う。
使ったタオルは石鹸で洗って干す。細いハンガー何本かをふきん専用に決めた。日が当たり風がある今日のような日は夜に干して翌日の夕方ぱりっと乾いている。濡れたタオルを溜めると洗って干すのがたいへんだ。わたしのように毎日在宅の者に限られるかも。まあたくさん洗ってたくさん干す工夫をすればいいのか。