今朝ツイッターを開いたら中原淳一先生のうるわしい姿が目についた。1913年の今日2月16日が誕生日だそうだ。
わたしが「先生」とよぶのは中原淳一先生だけである。
わたしの一家が住んでいた大阪市内の家は第二次大戦のアメリカ軍の空爆で焼けてしまった。命からがら逃げた家族がのちに郊外の小さな文化住宅にまとまって住むようになった。どんなときでも本を忘れない父親が、知り合いや古本屋や屑屋とかいろんなところで本を手に入れてきて、その中に戦前の『少女の友』があった。
『少女の友』には中原淳一先生の絵がたくさん載っていて、わたしはその絵の上に薄紙をのせてなぞり便箋をつくったりした。
川端康成の『乙女の港』の淳一描く表紙と挿絵が大好きだった。主人公の大河原三千子とお姉さまの八木洋子が大好きだった。
吉屋信子の本もたくさん読んだ。『花物語』の挿絵も淳一先生だった。
ここからわたしの「百合」趣味が生まれたのだから筋金が入っている。
その後は姉が買い始めた『ひまわり』、その後は『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』を引き継いでずっと読んでいた。
いまも、本や絵葉書やメモ用紙やハンカチなんぞの小物を持っていてときどき出して眺めている。