ベ平連のころ

アメリカ軍の北ベトナムへの〈北爆〉に対する抗議活動市民団体「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(ベ平連)は1965年に発足した。のちに「ベトナムに平和を!市民連合」に名称変更。
なんで知ったのかどう連絡したのか覚えてないが、月に一度くらい出ていた通信を購読して、大阪でベ平連主催の講演会があるときは行っていた。朝までの徹夜集会というのに行って朝帰りして近所の主婦に嘲るような顔をされたのを覚えている。

65年の9月にサルトルとヴォーボワールが来日し、ベ平連主催の講演会があるというので頑張って入場券を購入し東京へ行った。そのころはヴォーボワールに夢中だった。講演会が終わって外へ出るとお二人と鶴見良行さんたちがおられたのをうらやましく見ていた。

だいぶ経ってからだと思うが、「関西ベ平連」というのが発足するというので、喜んでその会に行ったが、労働組合ぽい匂いを感じて遠ざかった。
その後は新聞を送ってもらいカンパするだけになった。

のちのち、阪神大震災のボランティアをしているときの会合で小田実さんが側におられてお互いに顔を見たのだけれどなにも言わずだった。それからしばらくして小田さんは亡くなられた。
吉川勇一さんが亡くなり、鶴見俊輔さんが亡くなって、ベ平連の中心を担った方々がいなくなっていく。ベ平連を実際に知っている人も少なくなっただろうから、できるだけ当時を思い出して書いておこう。