藤枝静男『志賀直哉・天皇・中野重治』

アマゾンから読む気を誘う本の広告がよく入るが、本書もミステリとか翻訳小説のあいだに入っていた。この2年ほどのあいだに藤枝静男の作品を何冊か買ったからだろう。最初に読んだのが、一昨年の4月に雑誌「ワイヤード」でメディア美学者の武邑光裕氏が選んだ6冊のうちに入っていた「田紳有楽・空気頭」だった。すごい小説だった。びっくりしたなあ、もう。いまそのとき書いた感想を読んだがすごいと思った気持ちが現れていて笑える。

今回はタイトルに惹かれた。とはいえ、志賀直哉の作品を読んだのは中学の夏休みで、日本文学全集が家にあったからたくさん読んだ中の一人である。なにがいいのかよくわからんかったままにいまにいたる。

中野重治はハタチくらいで夢中になり無理して全集を買った。「むらぎも」がお気に入りだった。いくつかの詩はそらで言えるほどだった。ほら、雨の品川駅とかね。でも30歳くらいのときに北海道旅行するために古本屋に売ってしまった。
その頃から日本文学より翻訳物ばかり読むようになって室生犀星全集とかも売ったなあ。

二人の作家のあいだに「天皇」があるのにも惹かれたのだが、自分の本にしてみると読む気力がない。読まなくてもわかる部分があるような気もする。で、その前に収録されている志賀直哉について書いている随筆のような文章を楽しんで読んだ。藤枝さんが若い頃に志賀直哉に私淑していて、お宅に伺ったり(一日置きに!)していた様子が微笑ましい。

はじめのほうにあった言葉を引用する。
【誰しもそうであろうと思うのであるが、「雑談」を読むと、中野重治という強情で個性的な人間が、志賀直哉という同じく巌のように強い個性と力量を持った芸術家にむかって、まるで相手の懐に頭をおしつけてごりごりに揉みこむような気合いで迫って行く光景が思い浮かんでくるのである。中野氏の心中に内在する畏敬の念が、こういう姿勢のうちに否応なしに現れている点にも快感がある。】
これだけでわたしは納得した。でも志賀直哉を読んでないのでは話にならない。そのうちに読んで、ここにもどることにする。
(講談社文芸文庫 1500円+税)