パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』

映画『太陽がいっぱい』が上映されたのは1960年だった。55年前だ。いまもスクリーンに流れた音楽を口ずさむし、アラン・ドロンとモーリス・ロネの顔が浮かんでくる。そして青い空。
当時も話題になったが映画と原作では結末が違っている。映画は苦労して成し遂げたせっかくの完全犯罪が最後に崩される。見た人が思いを残す素晴らしい結末だった。
そのときから原作は違うといわれていたんだけど、映画が完璧だったのでそれでいいと思ったのか、本を読もうとは思わなかった。ミステリから離れていたときだし。

そのまま、去年の暮れに『キャロル』を読むまでハイスミスのことは忘れていた。『キャロル』はミステリではなく女性どうしの恋愛小説なんだけど、どこか影のあるところに誘われた。そしてリプリーものを読もうと思った。3冊買ったうちの1冊目を読了。

暮れから時間があると読んでいたが、スウェーデンものが間に入ったし雑誌もあった。いちばん時間がとられ、これからもとられる予定のブログの引越し作業がまだ1/20くらいしか進んでいない。

主人公のトム・リプリーはニューヨークに住む陰のある美貌の青年。あたまがまわりちょっとした悪事に手を染めて生き延びている。ある日、大金持ちのグリーンリーフ氏が街でトムを探し出して、イタリアにいる息子ディッキーをアメリカへ連れ帰るように依頼する。
この出だしがすごく好き。後ろをつけてくるのは警官か?探偵か? 捕まったら10年か15年くらいこむことになるかも。そう思ったが、その男は実業家風で頼みたいことがあるという。2年ほど前からイタリアに行ったまま戻ってくる様子がない息子をイタリアまで行って連れ戻してほしい。トムにはちょっとだけ知り合いのディッキーなのだが、イタリアに行くのもいいなと一等船客となって大西洋を渡る。
(佐宗鈴夫訳 河出文庫 860円+税)