田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』の感想を書く前に

11月の終わりに買ってすぐに読んだ。いろいろと考えることが多い作品で、感想を書こうと思っているうちに年を越えてしまった。お正月にと思っていたら風邪をひいてアタマが冴えず今日にいたる。
その間にKindleで「なんとなく、クリスタル」を購入して読んだ。最初に読んだのは33年前で、おもしろがって読んだのを覚えている。その次は18年前に阪神大震災のボランティアで田中さんと知り合ったときに読んだ。

田中康夫さんとお会いしたのは阪神大震災から1〜2年あとの〈週末ボランティア=週ボラ〉だった。代表の東條さんが活動後の集会時に田中さんに話をしてもらうことにした。〈週ボラ〉メンバーはもひとつ気が乗らないようで、わたしだけが田中さん好きと言ったのを覚えている。そんなことで、その後に田中さんが〈週ボラ〉の活動に参加されたときは東條さんが、わたしといっしょに行動するように配慮された。暑いときで汗を拭き拭きわたしと男子2人と4人で仮設住宅を訪問した。その道すがら、わたしがそのころ腹が立っていた〈おばさん〉という呼び方にモンクを言ったら、「では、ぼくはS嬢と呼びましょう」と言われて、それ以来わたしはS嬢と呼ばれることになった。当時の雑誌「噂の真相」連載の「ペログリ日記」にS嬢とあるのはわたしです。よっぽどうれしかったとみえていまだに言っている(笑)。

二度目は震災から2年目の記念訪問日だった。西神駅に集合した〈週ボラ〉メンバーたちは、これから出かける仮設住宅訪問についてレクチャーを受ける。初めての人がいるから「必ず女性の名前を呼ぶこと、おばさんと言うたらいけません」という注意もある。
そのとき田中さんとW嬢(「33年後のなんとなく、クリスタル」のメグミさん)がいて、わたしと3人で出かけるようにと指示があった。集団から少し離れて3人で雑談しるとき、わたしは田中さんにヨイショするつもりで、「ご本読みました」と言ったまではいいが、続けて「されどわれらが日々」と口から出てしまって、大笑いして大謝り。真面目な場での大笑いで真面目な人たちから顰蹙を買った。「されどわれらが日々」は読んだけれどあまり好きでなく、なんでそのとき出てきたかわからない。
その日は3人で神戸ワインの工場の横を通ってずっと奥にある仮設住宅を訪問して、年取った独り住まいの女性の話を聞いた。田中さんたちはきちんと座って、その女性の言葉に相槌を打っておられた。車の中でもらったチョコレートがうまかった。

今日は前書きだけでおしまいです。